帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十三〕職の御曹司に (その二)

2011-06-01 00:04:18 | 古典

   



                                     帯とけの枕草子〔八十三〕職の
御曹司に (その二) 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 



 清少納言 枕草子〔八十三〕しきの御ざうしに

 
師走の十日過ぎごろに、雪がたいそう降ったのを、女官たちで集めて縁にとっても多く置くのを、同じことなら、庭に本物の雪山を造らせましょうと、侍を召して、仰せごとなのでと言えば集まって造る。殿守の官人が御清掃に参ったのも、みな寄って来て、たいそう高く造る。宮司(中宮職の役人)なども参り集まって、あれこれ言っては興じる。三、四人だった主殿寮の者どもも二十人ばかりになった。里にいる侍を召しに使いを遣わしたりする。「今日、この山を造る人には、休日三日賜うであろう。また、参らなかった者は、同じ日数休日を止める」などと言えば、聞き付けては、とまどいながら来る者もいる。里が遠い者は告げに行けない。造り終わったので宮司を召して、衣を二括り与えて、縁に投げ出したのを、一つづつ次々に取って、拝みつつ、腰に差してみな退出した。上の衣(袍)など着ていたのが、そのうち狩衣姿になっている。

「これ、いつまであろうか」と女房たちに仰せになられるので、「十日間はあるでしょう」「十日間以上はあるでしょう」など、ただこの程度に、居あわす者はみな申し上げるときに、「いかに(如何に・思うか…五十日に・するか)」と、私めに・問われたので、「むつきの十よひまでは侍りなん(睦月の十数日まではございましょう…白ゆきの山ばは睦ましいつきの半ばまではございましょう)」と申し上げたけれど、宮におかれても、えさはあらじ(そうはあり得ない…え?三十日余り、そうではない・五十日にせよといっているのに)とお思いになっておられる。女房はみな年内のつもごりまでも在り得ないだろうとばかり申し上げているのに、私だけあまりにも遠く申し上げたかな、たしかにあり得ないでしょう。睦つきのついたち、ぐらいに言うべきであったと内心思うけれども、どうあれ、それほどまでなくても、言いだしたことはと、かたくなに争った。

五日目の二十日ごろに雨が降るけれど、消えるような様子はない。少しだけ衰えて行く。「白山の観音、これ消えさせ給うな」と祈るのも、我ながら気違いじみている。

 
 さて、その雪山を造った日、主上の・御使者で、式部丞忠隆が参ったので、敷物を差し出して、ものなど言っていて、「今日、雪の山をお造りにならない所はございませんよ。御前の壷(清涼殿の中庭)にもお造りになり、春宮にも弘徽殿にも造られました。京極殿にもお造りになられました」などと言うので、

ここにのみめづらしと見る雪の山 所どころにふりにけるかな

(此処にだけ珍しいと見ている雪の山、所々に降り積もっていたのね……ここだけと愛でて見ている白ゆきの山ば、君はあちこちでふらせていたかな)

と傍らにいる女房に言わせると、忠隆は度々首をかしげて、「返歌をして、折角の歌を汚しますまい。あざやかなもので、御簾の前にて人に語り伝えましょう」と言って帰った。

忠隆は歌をたいそう好んでいると聞いていたのにあやしい。宮にお聞かせすると、「いみじうよくとぞ思つらん(たいそう良い返しをと思ったのでしょう……そなたの歌を・たいそう良いとでも思ったのでしょうよ)」とおっしゃる。


 師走の・つごもりの頃に、雪山は少し小さくなるようだけれど、それでもたいそう高かったとき、「ひたちのすけ」が出てきた。「どうして、ずいぶん久しく見えなかったの」と問えば、「どうしてかって、心憂きことがございましてねえ」と言う。「何事ぞ」と問うと、「今もなお、こう思っているのです」と長々と詠みだす。

浦山しあしもひかれずわたつ海の いかなるあまに物たまふらん

(羨ましい、あしひきならぬわたつ海の如何なる海女に、物を賜せられるのでしょうか……羨ましい、足も引けぬ舞もできない海の烏賊なる尼に、物を賜わせられるのでしょうか)

というのを、にくみわらひて(けなし笑って)、女房たちが目も向けないので、雪の山に登り、かゝづらひありきて(難儀してみせながら…白ゆきの山ばにこだわってみせて)帰った後に、右近の内侍に、こうだったなどと言い伝えると、「どうしてなの、女房を付き添わせてでもこちらに賜せないのは。彼女がはしたなく、雪の山までのぼりつたよひけんこそ(雪の山にまで登り彷徨ったのこそ…白ゆきの山ばにまで登りさまよったのは)、いとかなしけれ(とってもいとしいことよ…とってもせつないわ)」と返事にあるのを、またわらふ(また笑う)。


 言の戯れと言の心

「雪…白…おとこの色…おとこの情念」「雪山…白山…白いやまば…白逝きのはかないおとこの山ば」「いか…如何…五十日…烏賊」「かかづらふ…あちこちひっかかる…こだわる…執着する」「のぼりつたよひ…のぼりさまよう…のぼって逝きばをみ失う」「かなし…愛し…身につまされていとしい…悲し…心がいたむほどせつない」。



 「雪山」がいつまで在るかという問題がおかしいのは、その「言の心」を心得ているからで、心得ていなければおかしくないでしょう。


 「ゆき」を一義な言葉として、ここでは「雪」と決め付けてしまったとき、その理性は「言葉」を捉え把握したつもりが、本性が「ぬえ」のような言葉に逃げられている。しかもそのことに気づかない。ここでの「雪」が「逝き」であることなど永遠に理性の想定外にある。


 「ひたちのすけ」が雪山に執着してみせ、「つたよふ…さまよう」て見せたのは「ゆき山」の「言の心」を心得ていることを示している。


 「ひたちのすけ」の演技を「いとかなしけれ」という右近の内侍の言葉を笑えるのは、「言の心」を心得ていて、おとこ白ゆきの山ばのはかなさのわかる、おとなの女だからで、言の心を心得ない人と心幼き人は笑えないしょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)

 
 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による