帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 中務 (四)

2014-10-17 00:13:02 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 中務 十首(四)


 さらしなに宿りはとらじをば捨ての 山まで照らせ秋の夜の月

 (更級という所に宿泊したくない、暗い伝承のある・姥捨ての山までも照らせ、秋の夜の月……晒し汝に、宿りたくない、お端捨ての、山ばの果てまで照らせ、飽きの夜の月人壮士)


 言の戯れと言の心
 「さらしな…更級…晒しな…人目にさらすな…言いふらすな」「な…打消しの意を表す…汝…親しみ込めてあれ」「をばすて…姨捨…伯母捨て…お端捨て…男の身の端捨て」「山…山ば」「あき…秋…飽き…厭き」「月…大空の月…月人壮士…おとこ」

 


 姨捨山伝説を、大和物語(157)より要約すると、


 信濃の国の更級とい所に男がいた。幼いころ母を亡くし、母の姉に育てられ、妻をめとり何年か経った頃、この姑、老いて腰折れて役立たずになったので、嫁は常に憎んでいたころ、男のお端の武樫も・昔の如くではなくなったという。嫁の苛立ちはますます増して、どうして死なないのよと思って「もていまして、深き山に捨てたうびてよ(持っていらっしゃって、深い山に捨てておしまいになってよ)」と責め立てられているうちに、男、そうしょうと思うようになった。寺の法会に行くと騙して、老いた「おは」を背負って山深い峰に、帰れそうもないところに置いて逃げて来た。「おは」とはものごころついてより、実の親子のように育ってきたので、あの山の上に出た明るい月を見ていて、眠れず一夜経って、悲しくて堪えられないので、このような歌を詠んだ。


 我が心慰めかねつさらしなや をば捨て山に照る月を見て

 (我が心、慰められそうもない、さらしなや姨捨山の上に、照る月を見ても……我が心、慰められそうもない、いいふらすな、伯母捨て山に・お端捨て山ばに、照るつき人おとこを見ても)

男は、おばを、迎えに行って帰って来た。

 


 古今和歌集 雑歌上に、題しらず、よみ人しらず、として、同じ歌がある。


 この歌は、(夫を責め立てた)女の歌とも聞こえる。聞いてみよう。

(……わたしの心は、慰められそうもないの、いいふらさないでね、男が・お端を棄てる山ばで、照り栄えるおとこを見ても・それでも)


 「見…覯…媾…まぐあい」


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。


 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。

紀貫之は、山部赤人を、歌のひじり柿本人麻呂と同等に評価した。「赤人は・歌に妖しく妙なりけり」と述べた。「赤人は・歌に於いて、妖艶であり、その表現の程は絶妙である」と聞こえる。

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。

 

藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 

清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 

藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 

上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。

 

それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。