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帯とけの三十六人撰
四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。
藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任（きんとう）を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。
中務 十首（二）
鶯の声なかりせば雪きえぬ 山里いかで春をしらまし
（鶯の声が、もしも無かったならば、雪の消えない山里では、どのようにして季節の春を知るのでしょうね……浮く泌す・憂く否すの小枝、なければ、逝き消えない山ばの女、どのようにして張るを感知すればいいのよ）
言の戯れと言の心
「うぐひす…鶯…鳥…言の心は女…春告げ鳥…はるが来た…鳥の名…名は戯れる。浮く泌す、憂く否す」「こゑ…声…小枝…おとこ」「雪…冬の名残り…逝き…おとこ白ゆき…色ごとのはて」「山…山ば」「里…人里…家…言の心は女…さ門」「春…季節の春…春情…張る…はればれする…張るもの」「しらまし…知るのだろうか…感知すればいいのだろう」「まし…もし何々なら何々だろう…（どうすれば）いいのだろう」
この歌は、拾遺和歌集 巻第一 春に、朝忠朝臣の歌としてある。天歴十年内裏歌合の歌という。このころ参議朝忠、四十五歳ぐらい、中務は、ほぼ同じ年配で健在だった。勅撰集で、女の歌を詠み人知らずにしたり、男の歌とするのは、歌の内容によるものと思われる。プライバシーを侵害しないためだろう。歌は、清げに包装して、エロス（性愛・生の本能）を詠むものである。
これを、男の歌とすると（……浮くひすと泣く声がなければ、逝き消えない山ばの女、どのようにして春情を感知すればいいのだろう）。
拾遺和歌集 巻第一 春にある、中務の歌を聞きましょう。「題しらず」、
吉野山たえず霞のたなびくは 人に知られぬ花や咲くらむ
（吉野山、絶えることなく春霞がたなびくのは、人に知られない花でも咲いているのかしら……見良しのの・好しのの山ば、常に彼済みの横ざまにのびるのは、女に知られない花でも咲いているのでしょう）
言の戯れと言の心
「よしの…吉野…山の名…名は戯れる。美良しの、見好しの」「山…山ば」「たえず…絶えず…常に…いつも」「霞…かすみ…見えにくくする…彼済み…彼果てる」「たなびく…横に広がる…横にのびる」「人…人々…女」「花…木の花…男花…おとこ花」「らむ…目に見ていない事実について推量する意を表す…今頃何々だろう…事実について其の理由などを推量する意を表す…というので何々しているのだろう」
歌の姿は、清げである。「心におかしきところ」は、おとこの性の欠陥について婉曲なご指摘。
『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。
以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林（その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく）ものなり、とある。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。
藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。
清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって（意味の）異なるもの、（それが）、法師の言葉・男の言葉・女の言葉（即ち我々上衆の言葉である）」と、重要な言語観を記している。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ（歌の言葉）は、浮言綺語の戯れには似たれども、（そこに）ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。
上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。
それに、歌のよきこと（優れた歌の様）について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、（公任のいう、心におかしきところが）何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。（歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある）」。