帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 中務 (三)

2014-10-16 00:11:28 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 中務 十首(三)


 いそのかみ古き都を来て見れば むかしかざしし花咲きにけり

(石上、古き都に来て見れば、昔、髪飾りに挿した花が、咲いていたことよ……古妻、いにしえの宮こに、来て見れば、昔・武樫、彼挿ししおとこ花、咲いていたことよ)


 言の戯れと言の心

「いそのかみ…石上…古き都のあった所の名…名は戯れる。古い女、古妻、老いた女」「石…言の心は女」「上…女の尊称」「みやこ…都…京…宮こ…極まった所…感の極み」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「むかし…昔…武樫…強く堅い…おとこ」「かざし…挿頭…髪などに挿した飾り…桜の小枝・梅の小枝など…花挿し…彼挿し」「花…木の花…梅・桜など男花…おとこ花」


 新古今和歌集 春歌上に、題しらず よみ人しらず、としてある。
屏風の絵を見て詠んだ歌らしい。


 古都に咲いた桜を詠んで、歌の姿は清げである。それだけでは歌ではない。歌には「心におかしきところ」がある。作者は八十歳の長寿を全うした人。この歌は何歳ぐらい時のことかわからないけれど、「何となく艶にもあはれにも聞こえる」。


 

新古今和歌集にある他の「いそのかみ」の歌を聞きましょう。巻第十七 雑歌中、「西院辺りに、早うあひ知れる人を尋ね侍りけるに、すみれ摘みける女、知らぬよし申しければ、よみ侍りける」、能因法師、


 いそのかみ古りにし人をたづぬれば 荒れたる宿にすみれ摘みけり

(石上、古くなってしまった人を尋ねれば、荒れた家で、知らぬ女が・すみれを摘んでいた……昔、佳き人、今は老いた人を、尋ねたところ、荒れた宿で、見知らぬ女がすみれ摘んでいた・若い時は一夜寝たことよ)


 言の戯れと言の心

「いそのかみ…上の歌と同じ」「人…知人…女」「やど…宿…家…言の心は女」「すみれ…春の草花…草…言の心は女」「摘み…採り…かり…娶り…まぐあい」。


 山部赤人の歌(万葉集・巻第八)が思い浮ぶ。


 春の野にすみれ摘みにとこしものを 野をなつかしみ一夜寝にけり

(春の野にすみれ摘みにと、来たものを、野に親しみを感じたため一夜寝たことよ……春の野に、若きすみれ花つみにと来たものを、山ばこえたあと・ひら野でも慕わしくて、その夜も寝たことよ)


 「すみれつむ…草花摘む…女娶る」などという言の戯れは、山部赤人も用いていた。「いそのかみ…石上…古妻」という言の戯れは、中務も用いていた。これらの「歌の様」と「言の戯れ」を、能因法師は継承していたのである。


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。


 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。

紀貫之は、山部赤人を、歌のひじり柿本人麻呂と同等に評価した。「赤人は・歌に妖しく妙なりけり」と述べた。「赤人は・歌に於いて、妖艶であり、その表現の程は絶妙である」と聞こえる。

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。

 

藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 

清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 

藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 

上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。

 

それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。