帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 中務 (六)

2014-10-20 00:13:58 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 中務 十首(六)


 まちつらむ都の人にあふさかの 関まできぬと告げややらまし

 (今頃帰りを・待っているだろう都の人に、逢坂の関まで来たよと、告げてやろうか・どうしたものか……待っているにちがいない宮この男に、合う坂の山ばの難所まで来たわよ、しばし頑張ってと・告げてやろうかしら、どうしょう)


  言の戯れと言の心

「都…宮こ…京…極み…感の極み…絶頂」「人…知人…男」「あふさか…逢坂…山の名…名は戯れる。合う坂、山ばの極みの合致」「せき…関…難関…難所」「や‐まし…ためらいや迷いを含んだ思いを表す…(告げて遣ろうか)どうしょう」

 

歌は清げな姿をしている。それに「心におかしきところ」がある、この歌では、男女の山ばの合致し難いことを知る女の、宮こへ先だった男への思いである。


 

このときの男の思いを詠んだ歌を聞きましょう。時代は下り『新古今和歌集』仮名序の著者、藤原良経の歌。

新古今和歌集 巻第六 冬歌、題は「山家、雪」、


 まつ人のふもとの道は絶えぬらむ のき端の杉に雪おもるなり

 (訪ね来るのを・待つ人の麓の路は途絶えてしまったのだろう、山家の・軒端の杉に雪重くつもっている……山ばへ来るのを・待つひとのふもとの路は絶えてしまっただろう、のき端のすきに、白ゆきひどくつもっている)

 

言の戯れと言の心

「人…訪問者…女」「のき…軒…やねのさし出た部分」「端…身の端」「杉…木…言の心は男…すき…隙間…おんな」「雪…逝き…おとこ白ゆき」「おもる…重る…重くなる…(疾患などが)重くなる」

 

中務の生きた時代と良経の時代は、二百五十年程も隔たっているが、歌の様(表現様式)と歌言葉の意味や戯れぶりは、変わっていない。

和歌は、生々しくて微妙な人の心情を清げな姿に包んで表現する様式を持っていた。


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。


 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。

 
 その和歌が或る時期、「色好みの家に埋もれ木の人知れぬこと」となったとある。真名序では、「及彼時変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌、其実皆落、其華孤栄、至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之謀」などという。
真名序のこの部分を、あえて意訳すれば、「和歌は・彼の時、(ひとえに色好みだけの)軽薄な歌に変わり、人々は奢り高ぶり淫(みだら)な歌を貴び、浮かれた詞が雲の如く興り、艶流れ泉と湧き、歌の実は皆落ち、其の華のみ独り栄えた。色好みの家は、此れを以て、花(男)と鳥(女)の仲立ちとし、乞食(こつじき)する旅人は、これ(好色な歌)を以て生計の手段とするに至ったのである」。


 紀貫之は、山部赤人を、歌のひじり柿本人麻呂と同等に評価した。「赤人は・歌に妖しく妙なりけり」と述べた。「赤人は・歌に於いて、妖艶であり、その表現の程は絶妙である」と聞こえる。
 また、貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。

 

藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 

清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 

藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


 それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。