サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

5年前は一人でバスに乗って

2015年12月08日 22時58分45秒 | サキさんとの記憶
先日の日曜日、サキさんの面会を終え、お姉さんとお昼を食べた。そこでの話の中で、「おばあさんが亡くなってもう5年になるね」という話題が出てきた。そのあたりのサキさんの様子を思いだしてみた。

グループホームに入っていたおばあさん。体調を崩し入院。(この辺の細かい記憶がなかなか出てこない。何の病気だったのか、何が悪くなったのか。おそらく聞いてはいたのだろうが右から左に流れていたのかも)
サキさんはおばあさんの面会(付き添い)によく出かけていた。この時サキさんはすでにもの忘れ外来を受診してから2年が経過している。自分の病気もそこそこ進行していたのだが、一人で面会に行っていた。
車の運転はもうしていない。免許はそのままだが、自分から怖くなって運転はやめた。そして自転車も。よく自転車でバランスを崩し倒れたらしい。車の運転をしなくなってから、ほどなく自転車もやめた。

おばあさんの病院までは、バスで行くことになる。家からバス停までは歩いて1・2分。病院の目の前にもバス停があるので助かる。問題は降りる時だ。サキさんの話では、降りるバス停を間違えて乗り過ごしたり、料金の支払いにまごついてほかの乗客から文句も言われたらしい。バス料金は160円くらいだったと思う。市内均一料金は200円だったが、近距離のため端数の料金だったと思う。この小銭の支払いに時間がかかったのだと思われる
だけど、よく頑張って一人でおばあさんのために面会に行ってくれたものだ。バスに乗る不安もあっただろうに。きっと、おばあさんへの思いの方が強かったんだろうね。

おばあさんが亡くなって、葬儀の時、途中でサキさんがトイレに行ったきり戻ってこなくなった。娘に女子トイレに探しに行ってもらったが見つからない。息子にも頼んで男子トイレも探してもらったら、男子トイレの個室にいたらしい。
サキさん自身も病気は進行していたのに、特に空間、位置がとりわけわからなくなっていたのに、本当に病院への行き返り大変だったね。よく頑張ってくれたね。


この前のサキさんがうとうとしていた時の写真。拡大すると左目のあたりが腫れているように感じる。左手は自分の力で動くようになり、目のあたりをしきりに掻いているからだろうか。


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