虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)
写真家 土門拳氏の写真に感動し訪れてから、今回が何度目になるのだろうか

確か、3度目の頃かと記憶しているが、国宝の観音堂を撮っていたときに「土門先生はそんなに撮っていなかった」とある老人に声を掛けられた

「土門先生って、土門拳ですか」と尋ねると「そうだ」と

その老人は、陶芸家で人間国宝の「荒川豊蔵氏」の下で30年間弟子として働いていて、土門拳が荒川豊蔵の志野焼を撮影している現場にいたという

その後、老人はデッサンをしていた手を止めて話しをしてくれ、その後に境内を案内してくれた

翌年、永保寺を訪れた時にもその老人が絵を描いていて、(私のことは覚えていなかったようなので)挨拶をしてまた話しを聞かせてもらった

2年経った今回はその老人に会いたいが為の訪問になった

写真を撮りながら老人の姿を探したが、境内には参拝者の姿さえ見当たらない

永保寺のある多治見市は埼玉県の熊谷市とともに日本の最高気温を競っている地域で、この日も体感では30度を越えている

老人の年齢は85歳になる。また再会することを願って、老人とともに歩いた道を進むことにした

正和2年(1313年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創した

この池は老人の話では、「心」の字をかたどった「心字池」となっているという

私がこの寺を訪れるきっかけになったのは、この小さな橋を撮った土門拳の一枚の写真
日本にこのような場所があるのかと衝撃をうけたことを思い出す

無際橋
池は「臥龍池」と呼ばれ、池に架かる橋は「無際橋」 こうした屋形のある橋は珍しいという

観音堂(国宝)
無際橋の先に見えるのが南北朝時代の「観音堂(水月場)」

一重裳階付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿。本尊は聖観世音菩薩坐像




六角堂・梵音巌
観音堂の左側にある

梵音岩上にあるのが六角堂で千体地蔵が祀られている。この辺りは石仏で囲まれている

ここには滝があり、いつもなら水が流れているのだが…

開山堂(国宝)
更に進むと木陰で薄暗くなった先に、スポットライトを浴びたように開山堂に姿が見えてくる

初めて来たときには柵の周辺を歩くことができたが、現在は立入禁止になっている

禁断の地に数歩だが足を踏み入れてしまった
観音堂と開山堂の堂内は年に1日だけ、無料で公開している

周辺に置かれている石仏の中で印象に残ったものを2体



開山堂側から、無際橋を見る。国の名勝になっている

僧堂 座禅堂
雲水の修行道場でもあり、現在修行中とのこと

高校大学と心身を鍛練する修行を積んできたが、じっとしている修行経験はない。やってみたいとも思わないが…

鐘楼

山門
私はこの山門の存在を、例の老人に連れてこられるまで知らなかった

この石に刻まれた「虎渓山 永保寺」は、人間国宝 荒川豊蔵の筆によるということを教えられた

裏の最後の3文字の「斗出庵」は荒川豊蔵の号である

老人に再会することができなかったが、教えられたことの記憶をたどりながらの参詣も楽しいものだ


駐車場の戻る途中にある「獅子吼庭」
大学の寮歌の一節に「世に先駆けて獅子吼する-」があり、つい立ち止まってしまう

保寿院
永保寺の塔頭寺院である

この文字も荒川豊蔵の筆

鳥と虫の声しか耳に入ってこないほどの静寂が保たれている

そして、緊張するほど境内が整備されている




願光寺
重要文化財の仏像を持つということで訪れたが、工事中で平成27年完成という

拝観はできるようであるが、二人以上なら500円、一人なら1000円とある
金が惜しいわけではないが、この考え方に嫌気がさした

鬼瓦と呼ぶのかはわからないが、山門の写真を見ていて、その面白さに今気づいき拡大した

撮影 令和元年5月15日
写真家 土門拳氏の写真に感動し訪れてから、今回が何度目になるのだろうか

確か、3度目の頃かと記憶しているが、国宝の観音堂を撮っていたときに「土門先生はそんなに撮っていなかった」とある老人に声を掛けられた

「土門先生って、土門拳ですか」と尋ねると「そうだ」と

その老人は、陶芸家で人間国宝の「荒川豊蔵氏」の下で30年間弟子として働いていて、土門拳が荒川豊蔵の志野焼を撮影している現場にいたという

その後、老人はデッサンをしていた手を止めて話しをしてくれ、その後に境内を案内してくれた

翌年、永保寺を訪れた時にもその老人が絵を描いていて、(私のことは覚えていなかったようなので)挨拶をしてまた話しを聞かせてもらった

2年経った今回はその老人に会いたいが為の訪問になった

写真を撮りながら老人の姿を探したが、境内には参拝者の姿さえ見当たらない

永保寺のある多治見市は埼玉県の熊谷市とともに日本の最高気温を競っている地域で、この日も体感では30度を越えている

老人の年齢は85歳になる。また再会することを願って、老人とともに歩いた道を進むことにした

正和2年(1313年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創した

この池は老人の話では、「心」の字をかたどった「心字池」となっているという

私がこの寺を訪れるきっかけになったのは、この小さな橋を撮った土門拳の一枚の写真
日本にこのような場所があるのかと衝撃をうけたことを思い出す

無際橋
池は「臥龍池」と呼ばれ、池に架かる橋は「無際橋」 こうした屋形のある橋は珍しいという

観音堂(国宝)
無際橋の先に見えるのが南北朝時代の「観音堂(水月場)」

一重裳階付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿。本尊は聖観世音菩薩坐像




六角堂・梵音巌
観音堂の左側にある

梵音岩上にあるのが六角堂で千体地蔵が祀られている。この辺りは石仏で囲まれている

ここには滝があり、いつもなら水が流れているのだが…

開山堂(国宝)
更に進むと木陰で薄暗くなった先に、スポットライトを浴びたように開山堂に姿が見えてくる

初めて来たときには柵の周辺を歩くことができたが、現在は立入禁止になっている

禁断の地に数歩だが足を踏み入れてしまった
観音堂と開山堂の堂内は年に1日だけ、無料で公開している

周辺に置かれている石仏の中で印象に残ったものを2体



開山堂側から、無際橋を見る。国の名勝になっている

僧堂 座禅堂
雲水の修行道場でもあり、現在修行中とのこと

高校大学と心身を鍛練する修行を積んできたが、じっとしている修行経験はない。やってみたいとも思わないが…

鐘楼

山門
私はこの山門の存在を、例の老人に連れてこられるまで知らなかった

この石に刻まれた「虎渓山 永保寺」は、人間国宝 荒川豊蔵の筆によるということを教えられた

裏の最後の3文字の「斗出庵」は荒川豊蔵の号である

老人に再会することができなかったが、教えられたことの記憶をたどりながらの参詣も楽しいものだ


駐車場の戻る途中にある「獅子吼庭」
大学の寮歌の一節に「世に先駆けて獅子吼する-」があり、つい立ち止まってしまう

保寿院
永保寺の塔頭寺院である

この文字も荒川豊蔵の筆

鳥と虫の声しか耳に入ってこないほどの静寂が保たれている

そして、緊張するほど境内が整備されている




願光寺
重要文化財の仏像を持つということで訪れたが、工事中で平成27年完成という

拝観はできるようであるが、二人以上なら500円、一人なら1000円とある
金が惜しいわけではないが、この考え方に嫌気がさした

鬼瓦と呼ぶのかはわからないが、山門の写真を見ていて、その面白さに今気づいき拡大した

撮影 令和元年5月15日
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