goo blog サービス終了のお知らせ 

今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

愛知高原国定公園・岩屋堂公園(愛知県瀬戸市岩屋町)

2019年06月21日 | 名所・旧跡
愛知高原国定公園・岩屋堂公園
ある場所を目指し走行していた時、道路標識に「岩屋堂」の案内が目に入り、反射的にハンドルを右に切った
駐車場から500m程歩き、先の見えない舗装された道を上って行く

加藤新右ヱ衛門像
舗装された道を上った所に広場があり、その一画にこの像が置かれている
石炭窯を築いて焼成法を研究。瀬戸美濃地方の業者に呼びかけ普及させた人物だという



更に数m進むと、「御身浄地……」の文字の刻まれた岩がある



岩屋堂
725年(紳亀2年)行基がこの地に草庵を作り、この岩窟内で三体の仏像を彫刻し、聖武天皇の病気平穏を祈願したという霊跡



入口左側に安置されている小振りの石仏「不動明王」



岩窟内に入る入口。浄源寺の奧の院になっている



岩窟内の様子









こちらがもう一つの入口になる。自然の力の凄さを感じる



近くにある階段を見上げると、お堂が見えたので上ることにした



まだ旅の初めで、寺社の階段の昇降に体が慣れていないため、息切れに加えて膝にも痛みがある



毘沙門堂
石柱には「毘沙門天王」



額には「遊行庵」



手水鉢



暁明ヶ滝
岩屋堂周辺にくると水の流れる音が心地よく耳に入ってくる



数十m先にこの小さな滝が見えてくる



寒い北海道から来て、いきなりの強い日差しと30度近い気温に体が順応しない



しばらくの間、滝から流れる水を見ながら涼と疲れをとった



レンズを引くとこのような大自然の中にある小さな滝である



岩屋堂から駐車場に戻り、本来の目的地に向かう



撮影 令和元年5月15日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東尋坊(福井県坂井市三国町安島)

2019年04月17日 | 名所・旧跡
天然記念物および名勝 東尋坊
この日は、朝から晴れていたので景勝地である「東尋坊」も候補地の一つに入れていた



商店街を歩いて海にでるのだが、魚介類の焼ける香ばしい匂いが鼻孔を刺激する



東尋坊は今回で2回目で、初めて訪れた日は雨が降っていた
やはり、晴れの日は気持ちがいい



ブラタモリで東尋坊を解説していたのを視ていたが、すでに内容は忘れてしまった
観光客も岩の上で何やら楽しそうにしている



この男性の数メートル前は崖になっていて、高所恐怖症の私には近づくことができない



この写真を撮るだけでも命がけ。昔、自殺の名所と聞いていたが、飛び降りる勇気があるなら、生きていたら何でもできそうな気がする



観光船乗り場もそれなりの場所にある



人間の大きさと比較すると、高さを想像することができる






若い女性が崖の近くに座っていたので近づいてみた。笑っている



若い男性のグループが崖の突端で笑顔で話している。信じられない



東尋坊は仲間の僧から嫌われていて、酒を飲まされて突き落とされたという
この年齢で高所恐怖の克服は無理だが、仲間から嫌われないような余生を過ごしたい



撮影 平成30年10月22日
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国道249線を走る

2019年03月08日 | 名所・旧跡
国道249号線を走る
主目的の寺院が工事中ということもあり、気持ちが萎えた
寺社巡りを止め、能登金剛巡りをすることにした

赤神隧道
いつもは通り抜ける赤神隧道だが、今回は近くの駐車場に駐めた



岩の色に注目してみる



この辺りだけ岩の色が赤茶色になっている



鳴き砂海岸「琴ヶ浜」
「砂の鳴らせ方」の説明文を熟読し砂浜に下りる



数カ所で試してみるが、鳴らない
波の音に消されているのかもしれないが、まったく音が聞こえてこない



半島からの漂流物なのか、あまり美しいとはいえない海岸線だった



ヤセの断崖



10年程前、早朝に訪れたことがある
自殺者と間違えられ、一定の間隔でついてくる警察官を不審に思い(笑)、こちらから声をかけたことがある



松本清張の「ゼロの焦点」のロケ地としても、当時は自殺の名所としても有名
横からみるとこのようになっている。人の顔に見えるから不思議だ



義経の舟隠し



高所恐怖症の私にとっては苦手な場所だ



勇気を持って岩の方に近寄り、臨場感ある一枚を狙ったが無理だった



どこから下りたのかわからないが、釣り人が竿をふっている



世界一長いベンチ
世界一とか日本一の言葉に弱い私だ。どのようになっているのか気になってしまう



海岸線を前に右半分はこのようになっている



増穂浦海岸にあり、全長460.9メートルの世界一長いベンチとして、ギネスブックに掲載された



ベンチ付近は「サンセットヒルイン増穂」と呼ばれる夕日の名所らしい



老人には似合わない場所だった



機具岩(はたごいわ)



機織り(はたおり)の神様の伝説を生んだ夫婦岩






伊勢の二見岩によく似ていることから、別名「能登二見」とも呼ばれている



過去、能登半島で雨に当たらなかったことがなく、今回も雲行きが怪しくなってきた



旧福浦灯台(日本一古い木造灯台)



慶長13年(1608)、福浦の日野資信がこの地で篝火(かがりび)をたき、夜の暗い海を航行する舟を導いたことが「灯台」の始まりといわれている



現在の灯台は、明治9年(1876)年にかつての形状を残したまま建造した



撮影 平成30年10月19日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大王わさび農場(長野県安曇野市穂高)

2019年02月08日 | 名所・旧跡
大王わさび農場
数年前、山梨県のワイナリーの店員から紹介された場所である
日本最大規模のわさび園であり、年間約120万人が訪れる安曇野随一の観光スポットである

蓼川(たでがわ)と水車小屋
映画のワンシーンのように美しい風景だ



ここは黒澤明監督の映画『夢』のロケ地としても知られる



初めて訪れた時に、何処かで見たことのある風景だと思っていたが、NHK朝ドラ「おひさま」で流れていた画像だと云うことがわかった
安曇野と松本を舞台に、陽子(井上真央)が「太陽のようにいつも笑って世界を照らす」という亡き母との約束を胸に、戦前、戦中、戦後を生きていく爽やかな一代記である



ドラマの後半では、この川をボートに乗っているシーンもある



外国人の親子から「水車を背景に写真を撮ってほしい」と頼まれた。笑顔が素敵な若い親子、日本での観光を楽しんでもらいたい



この場所には二本の川が流れている
手前が「蓼川(たでがわ)、奥が万水川(よろずいがわ)」



わさび畑
雑草の生い茂る原野を20年の歳月をかけ完成させたという



カップルで渡ると幸せになれるという、「幸いのかけ橋」から眺めるわさび田



北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田






今回、ここへ来た目的は「わさび入り大根の漬け物」を購入すること
漬け物が苦手な私でもボリボリ食べることができる
ところが、保存料が使われていないため消費期限が短くお土産にすることができないことがわかった。残念!



撮影 平成30年10月15日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富岡製糸場 その2(群馬県富岡市富岡1番地)

2019年01月19日 | 名所・旧跡
世界遺産 富岡製糸場

社宅群
官営時代から民営化され、入札の結果「三井家」に払い下げが決定した



三井家時代の役職者用の社宅である



国宝の「東置繭所」を通り奥の方に進んでみる。赤い花が美しい



さらに奥に進む



繰糸所(国宝)
繭から糸を取る作業が行われていた建物



創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場だった
透明のビニールにより器械を保護している



現在の日産自動車である



車好きならわかるプリンス自動車(スカイラインを製造)製の器械である



小屋組みに「トラス構造」を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作りだしている



精密・繊細で機能的なデザインが美しい









横田(和田) 英
明治6年15歳で官営富岡製糸場の伝習工女となる
翌年、日本初の民営器械製糸場の技術教師。後に長野県営製糸場の製糸教授となった。

「富岡日記」は富岡製糸場で働いた武士の娘の貴重な記録である。



診療所






首長館(重要文化財)
指導者として雇われたフランス人 ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居



ブリュナが去った後は工女の寄宿舎や教育・娯楽の場として利用された



寄宿舎



妙義寮。創業当初から3代目となる工女寄宿舎。左下には川が流れる



北側に廊下が付き、部屋は1室15畳、1棟16部屋



榛名寮



女性従業員のための寄宿舎






この辺りは観光客も少ない



影響されやすい私は売店で「富岡日記」を購入(まだ読んでいない)



女工館(重要文化財)



日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居
後に改修され食堂や会議室として使用された



シルクギャラリーの展示品



撮影 平成30年10月13日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富岡製糸場 その1(群馬県富岡市富岡1番地)

2019年01月18日 | 名所・旧跡
世界遺産 富岡製糸場
世界遺産に登録された直後、駐車場が近くになく不便だとの情報があったが、有料駐車場が点在していた
私はナビで検索し、少し離れたところにある無料駐車場に駐めた

片倉工業の経営者は、富岡工場(旧富岡製糸場)を閉業した後も一般向けの公開をせず、
「売らない、貸さない、壊さない」の方針を堅持し、維持と管理に専念した



富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場である

政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めた
こうして富岡製糸場が建設され、現在までほぼ変わらぬ姿で残されている



初めて訪れた場所でどこに何があるのかもわからずに歩いてみる

上記写真のアーチ北側には、富岡製糸場の歴史を映像等で紹介している



アーチ南側では、平日は「フランス式繰糸器実演、土日では「座繰り実演・体験」が行われている



この日は土曜日で「座繰り実演・体験」が行われていた



東置繭所(国宝)
1階は事務所・作業所などとして使い、2階は乾燥させた繭を貯蔵した



建物は、木材で骨組みを造り、壁に煉瓦を用いた「木骨煉瓦造」という工法で建てられた






2階内部 「変形トラス構造」



天気の良い日は窓を開けて風を通して乾燥を完成させていた



乾繭を袋詰めにして保管していた



ブリュナエンジン(復元)



横型単気筒蒸気機関(エンジン)
繰糸器と揚返器の枠を回転させる動力として蒸気釜所に置かれていた



富岡製糸場の設立指導者であるブリュナによって導入されたため、ブリュナエンジンと呼ばれた



煙突









西置繭所(国宝)



現在修復中。1階部分は蒸気機関燃料用の石炭を置いていた
2階部分は繭の貯蔵庫として使用






鉄水溜(重要文化財)



明治8年頃に造られた製糸に必要な水を溜めておくための巨大な水槽



鉄水溜の製造には軍艦の造船技術であるリベット止めが使われ、およそ400トンの水を溜めおくことができる



撮影 平成30年10月13日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大歩危(徳島県三好市山城町)

2018年03月13日 | 名所・旧跡
大歩危
超大型台風が日本に接近しているので、北海道に帰ることにした
その途中に大歩危(おおぼけ)があったので車を降りてみた
「大股で歩くと危険」が「大歩危」の地名由来とされている

流れる川は吉野川で日本三大暴れ川の一つに数えられている
利根川(坂東太郎)、筑紫川(筑紫次郎)、そして四国三郎が吉野川になる



十数年前に徳島を訪れた際に、レンタカーでこの道を通ったことがある
晴れていれば、水の色がエメラルドブルーに輝く美しい川だ



上から眺めていても、川の流れが速いのがわかる
雨続きで水量も多くなっている感じがする



大歩危峡遊覧船乗り場である。この日は悪天候で営業をしていなかった
以前来た時には船に乗ったが、大阪のおばちゃんのグループに男は私ひとり。やり取りは想像つくと思うが…
「昼間から船に乗って、仕事をしていないのか」とか「女の中に男一人で幸せ者だ」とか、矢継ぎ早の質問攻め
今は、誰にも相手にされていないので、昔が懐かしい。



近くにある「ホテルまんなか」が、500円で日帰り入浴ができるということなので向かった
一番風呂で誰もいなく、久々に「大の字(太の字かな)」になって、秋の旅を振り返った



この後は、四国の出口となる場所まで移動することにした

撮影 平成29年10月19日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂浜・坂本龍馬像(高知県高知市浦戸桂浜)

2018年03月10日 | 名所・旧跡
桂浜・坂本龍馬像
高知といえば頭に浮かぶのが、坂本龍馬像とはりまや橋である
龍馬ファンとしては、長崎に続いて高知でも、有名な龍馬像を見ないわけにはいかない

坂本龍馬像
駐車場に車を駐めしばらく歩いていくと、龍馬像か桂浜へと行く道に分かれる。当然足は龍馬像方面に向く
「坂本龍馬先生」と彫られた土台が高いのと生憎の逆光で顔の様子がよくわからない



そこで、有料だが同じ高さで拝顔できるという簡易階段を上がることにした



一眼レフを持っているためか、ここでは多くの人から記念写真を頼まれた
多くは女性で、経験上美人が多いのも知っている。美人は撮られ方も知っているので楽だ
反面、昔、若かった女性のグループは注文が多く苦労する



われ、はじめて西郷を見る
その人物、茫漠としてとらえどころなし
ちょうど大鐘のごとし
小さく叩けば小さく鳴り
大きく叩けば大きく鳴る<名言集より>



反対方向に駐車場が見えた。枠からはみ出しているハイエースが私の車だ



少し下りた所から一枚。右手には何を持っているのだろう
短筒を所持していたと聞くが、よく見ると左手もない



桂浜
高知を代表する名所といわれている
小さい頃から海の近くで生活してきた私からみると、ただの海にしか見えないが…



調べてみると高知城ができるまで、この地が土佐の中心であったらしい



遊歩道があったが砂浜に下りて写真を撮る。時折、高い波が押し寄せる
私の目の前で夢中になって写真を撮っていた女性が、突然の高波に驚き尻餅をついてしまった



下半身はずぶ濡れになってしまったがカメラだけは両手を上に挙げて護っていた。さすが…
「大丈夫ですか」と声をかけたが、可笑しくて笑ってしまった。失敬…
その後、放送で砂浜は危険なので下りないようにと注意を呼びかけていた。遅い…



竜頭岬
観光客が歩いて行く方向に何があるかわからないがついていく。竜頭岬というらしい



海津見(わたつみ)神社






少し高いところに展望台のような狭い空間がある






桂浜全景。晴れていたら海の色ももっと綺麗なはずだ






駐車場に戻る途中にある土産店には、龍馬に関する物が多く並んでいた
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で、人物像に魅力を感じて50年が過ぎようとしている



撮影 平成29年10月18日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈下橋(高知県四万十川)

2018年02月26日 | 名所・旧跡
沈下橋
道の駅「うわじま きさいや広場」で朝を迎えたが激しい雨が止まず、屋内の施設で面白い場所を見つけた
国道381線を走っている途中、案内板に「沈下橋」の標記があった

この道路は、日本三大清流の一つ「四万十川」に沿って走っている
数日間雨が降り続いているが、川が濁っている感じが全くしない



「沈下橋」は言葉では聞いたことがあるが見たことはない
注意深く車を走らせ、その場所で車を降りた



一見普通の橋に見えるが、増水時には水面下に沈んでしまうという橋だ



鉄橋と比較してもずいぶん低い位置にあることが解る。道路幅も狭い



架橋技術が未熟であった時代、洪水で壊れない橋を造ることが難しかったため、あえて増水時に沈む高さで橋を造って流木などが橋の上を流れていきやすいように工夫されている



高知県の四万十川には支流も含め47の沈下橋があるそうだ



車に戻ろうとした時に1台の軽自動車が通過して行こうとしていた
欄干もなく私の運転技術では落下し、沈下車になってしまうことだろう



撮影 平成29年9月16日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角島大橋と角島灯台(山口県下関市豊北町神田・角島)

2018年01月23日 | 名所・旧跡
角島大橋と角島灯台
道の駅「おふく」で爽やかな朝を迎える
数年前に山口県防府市に住む友人に案内された角島大橋を目指す

駐車場
車を運転していて風景の美しさに感動した角島大橋
昨年、ドライブレコーダーを設置したのもこの感動を撮りたかったからだ



横断歩道を渡りながら一枚



徒歩になるが、少し高い場所に見晴らしのよい場所がある



奥に見えるのが角島だ



北長門海岸国定公園内に位置することから、橋脚の高さを押さえ、周囲の景観に配慮した構造となっている



その景観から山口県の新たな観光名所となっている。週末には渋滞することもあるという



スマホで動画を撮ることにした。輪ゴムを駆使し運転席に固定、数回テストして出発した



角島側駐車場からの風景



動画
クリック→角島大橋ドライブ
駐車場を出発して40秒後に海上を走行。運転手気分で楽しんで下さい

10分ほど走り、角島灯台下にある駐車場に車を置く



青空に白い雲、風によって雲の形が変わり楽しい



この灯台は上まで上ることができる。一度経験しているのと、高所恐怖症なので今回は止めた



海の方に歩いて行く。この辺りは公園のようになっていて綺麗に整備されている。






海岸で流木を集め、洗浄乾燥し作品を制作しているというご夫婦に会った



秋を感じさせる風景だ



空から爆音が聞こえてきた。小型飛行機が飛んでいる






撮影 平成29年10月5日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津和野の町並み(島根県鹿足郡津和野町)

2018年01月15日 | 名所・旧跡
津和野の町並み
山陰の小京都と呼ばれる津和野を歩いてみた
地元の人の話ではブームが去り観光客は減ったというが、結構賑わっている

旧津和野藩家老多胡家表門(島根県指定文化財)



鷺舞の像
「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている









大岡家老門
現在は教育委員会などの庁舎として使われている



藩校養老館
幾多俊才を輩出した藩校として名高く、西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)も学んだ。修復工事中だった



津和野カトリック教会
シェーファー神父によって建てられた石造りの教会



城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物



内部に入ってみる。ステンドグラスが印象的



中央にキリスト像



壁の左右にある像






畳敷きの教会に入ったのは初めてだ



桑原史成写真美術館
興味があったので入ってみた



館内の様子






安野光雅美術館



この後、森鴎外の墓がある「永明寺」へ(次回投稿)

道の駅「津和野温泉なごみの里」
併設されている温泉で疲れをとる



西周旧居



ヨーロッパの学間や思想の啓蒙運動に努力した、哲学者・西周が21歳まで暮らした家



鴎外と同じく医者の家









勉強部屋に使った土蔵



津和野川をはさみ、森鴎外旧居の向かいにある



史跡 森鴎外旧宅
森家は代々津和野藩の藩医



森鴎外記念館と隣接している



若かりし鴎外の勉強部屋









撮影 平成29年10月3日・4日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関ヶ原古戦場(岐阜県不破郡関ケ原町)

2017年12月20日 | 名所・旧跡
史跡 関ヶ原古戦場
この日予定していた観光を終え、滋賀県の道の駅に向かう途中「関ヶ原古戦場」の標識が見え、距離も近かったので立ち寄った
途中、道幅が狭い場所もあり注意をしながら駐車場へ向う

石田三成陣地跡
最近評価が変わってきているが、小説などでは嫌われ者として扱われている三成陣地跡の案内があった
NHK大河ドラマ「真田丸」を視て、私も三成に対する考え方が変わってきたところであった



笹尾山は北国街道を押さえるという位置にあり、高所で盆地を一望でき、防御に適している場所に三成は布陣した



日本史上重要な場所に行ってみることにした



見晴台があり、東軍・西軍の配置図に加え、音声により簡単な説明が加えられる



私も三成になった気分で周囲を眺めてみる
小説の世界でしか知らなかったが、思っていたより「狭い」が第一印象である
この場所で騎馬隊や歩兵が何万も対峙していたとは想像すらつかなかった



決戦地となった場所である
開戦から僅か6時間で勝敗が決したと云うがこの場所に立って、理解できたような気がした



三成陣地跡の馬防柵






「女城主直虎」では関ヶ原の場面はなかったが、井伊の赤鬼「直政」が活躍した戦いでもある



周辺には東西各武将の陣地跡がある



決戦地
今は農地となっているが、歴史の分岐点となった場所である



戦国の英雄であった信玄・謙信・信長・秀吉が去り、この後、大坂の陣を経て徳川の時代に入る
それぞれの天下人が願っていた戦のない時代になった



撮影 平成29年9月27日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川中島古戦場(長野県長野市小島田町)

2017年11月25日 | 名所・旧跡
川中島古戦場
歴史上有名な場所で一度行ってみたいと思っていたが、その場所が何処にあるかなど確認していなかった
偶然の出来事だが、松代城に向かう途中、走行していた道路横に案内があった

「武田・上杉両雄 一騎打ちの地」
予期していなかった、さらに憧れの地だけに気持ちが高ぶる



八幡社
平安中期、源顕清が信濃に流されたとき、この地に八幡大神を鞘堂内の神殿に祀られたことから、この広原一帯を八幡原と名づけた。



手水舎






川中島合戦で破壊された神殿を信玄は高坂弾正に命じて社殿を再建させた
その後松代藩真田家が明治維新まで祭祀、修繕の管理運営をしてきた






執念の石
合戦の最中、身辺が手薄となった信玄めがけて謙信が切り込んできた時、中間頭の原大隅が傍らにあった信玄の槍を馬上の謙信めがけて突き出したが、鎧の肩の上にそれた
残念なりと返す槍で打下したとき馬に当たり、馬は跳ね上がってその場を狂奔し去った



謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は、傍らにあったこの石を槍で突き刺したという



芭蕉句碑
「十六夜も また更科の 郡かな」



武田信玄・上杉謙信一騎討像
雑誌等で何度か見たことがあり、この場に立ってみたかっただけに嬉しい















首塚「敵に塩を送る」
以前は屍塚と呼ばれ、永禄4年(1561)9月10日の戦いの後、武田側の海津城主高坂弾正が激戦地となった
一帯の戦死者(6000余人)の遺体を敵味方の別なく集め、手厚く葬った塚の一つ



これを知った上杉謙信は大変感激し、後に塩不足に悩む武田に対し
「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたといわれている



川中島合戦をしのぶ田中月亀翁父子の歌碑
「跡しのぶ 川中島の朝あらし いぶきのさ霧 おもかげに見ゆ」



逆槐(さかさえんじゅ)
山本勘助等の進言による「キツツキ戦法」により、この場所に土塁を積み重ね、土塁の土どめに自生の「槐(えんじゅ)の杭」を打ち込んだ



その後、400年を経てこのような巨木に成長したという



三太刀七太刀之跡
馬上より謙信は信玄にむけて流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った
後に軍配を調べたところ刀の跡が七か所もあったといわれ、三太刀七太刀之跡という






この両雄、互いに戦いを楽しんでいたのではないかと思ったりしている。両者とも病死による引き分けか



撮影 平成29年5月24日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大王わさび農場(長野県安曇野市穂高)

2017年11月08日 | 名所・旧跡
大王わさび農場
「安曇野ワイナリー」に勤務する複数の女性に勧められた場所である
わさびも美しい風景もそれほど興味はなかったが行ってみることにした



NHK朝ドラ「おひさま」の舞台となった場所と聞いて俄然気持ちが動く
ドラマを見ていて「きれいな所だな」とずっと思っていたからだ



周辺を流れる川岸からの景色



この日は土曜日で開場40分前に着いていたが、すでに数十台の車が駐まっていた

百年記念館
『オモシロクテ、タメニナル』を基本コンセプトとして構成されている



わさびに関する知識もきれいな水が必要だ程度しかなく、歩いて見ることにした



畑の上には細長い黒い色のテントのようなもので覆われている
陸上競技場のトラックのような感じだ



下から覗いて見るとこのようになっている。畑の中を水がちょろちょろと流れている



人が多く集まっている場所がある



万水川と蓼川が合流する地点



開拓ゆかりの人
大王わさび農場を開墾し、現在の繁栄に導いた4人の胸像。左は開拓者初代深澤勇市



大王神社



大王わさび農場の守り神。「魏石鬼八面大王」が祀られている



大王窟
その昔、魏石鬼八面大王が安曇野を治めていた
全国統一を目指す中央政権は、東北に侵略し住民を苦しめまた
住民を守るべく立ちあがった大王は、坂上田村麻呂率いる軍勢とひけをとることなく戦い続けた
追い詰められた大王は、わずかばかりの部下をともない、有明山のふもとの岩屋にたてこもった。その場所を再現



開運洞






幸いのかけ橋
カップルで渡ると幸せになれるとか
「わさび」の花ことばは、「幸せを運ぶ花」「目覚め」「うれし涙」



涼風小道・ポプラ小道
心の底から癒してくれる自然の森。小鳥のさえずりが心地良い涼風の小道
大王わさび農場の中でも穴場的なスポットだそうだ



北アルプス連峰が遠くに






大王さまの見張り台と太陽の石






八面大王の御神水
左から「美人の水」「御神水」「知恵の水」



私が飲んだのは「知恵の水」



水車小屋
この水辺は、1989年黒澤映画「夢」の舞台として選ばれ、当時のままの風景を残している



水車小屋も撮したかったが、絵を描いている人がいてあきらめた



農園内には数々の石仏が安置されている。数点のブロンズ像も…



男女の子供がわさび畑を眺めている姿が安曇野の明るい未来を感じることができ、とても気に入った



美しい自然などに興味がないと自分で決めつけていたが、居心地が良くつい長居をしてしまった
お土産に「わさび」と「大根のわさび漬け」を購入したが、実に旨かった



撮影 平成29年5月20日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万治の石仏(長野県下諏訪町東山田字石仏)

2017年11月05日 | 名所・旧跡
万治の石仏
諏訪神社下社春宮から徒歩3分の場所にある



伝承によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようとノミを入れた
傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、石仏を阿弥陀如来として祀った



大まかな内容を把握して、大好きな石仏に近づいてみる



岡本太郎氏が絶賛したことにより注目されたそうだが、いかにもと云う感じがした



横から観てもこれまで出会ったことのない独創性に溢れた石仏だ



「南無阿弥陀仏」と刻まれている



高さ約2.7メートル、奥行き約4メートルの胴体の上に、高さ約60センチメートルの頭部が載っている



この時期、お願いしたい事があったので作法に則ってきちんとお参りした



小説家・新田次郎も万治の石仏を賞賛
万治の石仏がイースター島の石人の頭部が日本へもたらされたとする大胆に想定
この想定を基に小説「万治の石仏」を書いている



不思議な魅力を持つこの石仏、一度見たら一生忘れない

撮影 平成29年5月19日
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする