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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

忍野八海(山梨県南都留郡忍野村)

2017年07月07日 | 名所・旧跡
忍野八海(世界文化遺産)
自然の美しさに興味のない私でも知っている「忍野八海」、テレビでも何度か視たことがある
「忍野村観光案内所」があったので立ち寄る。美人で親切な女性から資料にて説明を受ける

出口池(一番霊場) 祭神:難陀竜王
  「あめつちの ひらける時にうこきなき おやまのみつの出口たうとき」

八海の中で一つだけ離れた場所にあり最も面積が広い池



ブログでは一番から八番霊場の順番になっているが、実際に廻った順とは大きく異なる



お釜池(二番霊場) 祭神:跋難陀竜王
  「ふじの根のふもとの原にわきいづる水は此の世のおかまなりけり」

八海の中で最も小さな池



富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で、約20年の歳月をかけてろ過され、湧水となって8か所の池をつくっている。



底抜池(三番霊場) 祭神:釈迦羅竜王
  「くむからにつみはきへなん御仏のちかひぞふかしそこぬけの池」

忍野八海で唯一個人所有の池。入館料300円



洗物が消えると云う伝説のある池






有料施設だけに良く整備されていて、とても美しい。



本来なら写真中央に富士山が見えるはずだが、数十分待っても雲に隠れたまま。



銚子池(四番霊場) 祭神:和脩吉竜王
  「くめばこそ銚子の池もさはぐらんもとより水に波のある川」

縁結びの池と伝えられている



酒を注ぐ銚子の形からこの名が付けられたという
池の底の砂地から砂を巻き上げ水が湧いている



湧池(五番霊場) 祭神:徳叉迦竜王
  「いまもなほわく池水に守神のすへの世うけてかはれるぞしる」

八海一の湧水量と景観を誇る池が見えてくる



富士山の頂上付近が視界に入ってきたので望遠レンズで



観光客が覗いて見ている場所にどうしたら行けるのか解らなかった
探すと売店の中に出入口があった。お土産屋の店員から掛けられる声に気持ちが動く



この地を訪れるまで、忍野八海はこのサークルに囲まれた部分だと勘違いしていた



底知れぬ魅力がある場所と感じていたが、水中洞窟を持ち、池の底から最奥部まで約55mあることが確認された
底に光っているのは中国人観光客が投げ入れたコイン。罰金千円の看板もある



周辺の様子



国指定の天然記念物、名水百選に指定



湧水量も豊富で、売店ではこの水も販売している



透明度が高く水草もはっきり見ることができる



水車小屋からの風景



濁池(第六霊場) 祭神:阿那婆達多竜王
  「ひれならす竜の都のありさまをくみてしれとやにごる池水」

みすぼらしい行者が一杯の水を求めたが断わられ濁ったといわれる池



湧水は池底から少しだけ湧き出ている



川に隣接している



鏡池(第七霊場) 祭神:麻那斯竜王
  「そこすみてのどけき池はこれぞこのしろたへの雪のしづくなるらん」

水面に富士山を映す池と説明があった瞬間、富士山の頂上付近が見えてきた



池に富士山をと思ったが、実に難しい



菖蒲池(第八霊場) 祭神:優鉢羅竜王
  「あやめ草名におふ池はくもりなきさつきの鏡みるここちなり」

菖蒲にまつわる美しい伝説が残る池。奥には八海菖蒲池公園がある



八つの池の全てを廻ってみた。所要時間は休憩も含み約2時間



かつてこの地に存在した忍野湖が干上がって盆地になり、富士山や近くの火山山麓の伏流水を水源とする湧水の出口が池として残った姿が忍野八海である
「八海」の名は、富士講の人々が富士登山の際に行った8つの湧泉を巡礼する八海めぐりからきている
1843年に各池に守護神の「八大竜王」が祀られ、出口池を一番霊場、菖蒲池を八番霊場とする巡礼路が整備された

富士山の雪どけ水



周辺が急に賑やかになったと思ったら、中国人観光客を乗せたバスが着いた。一気に雰囲気が変わる



静かな場所を求め、有料施設で「底抜池」のある「榛の木材資料館」に逃げ込むことにした















「はんのき資料館」敷地内の大型の池「榛の木池」は人工池






撮影 平成29年5月16日
コメント (2)
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登呂遺跡(静岡県静岡市駿河区登呂)

2017年06月20日 | 名所・旧跡
特別史跡 登呂遺跡
昔、歴史教科書で学んだ記憶はあるが、詳細については全く理解していない
弥生時代後期のもので2度目の洪水で集落が埋没する直前の住居のうち4軒と高床倉庫2棟、祭殿1棟が復元されている



祭殿
正面の幅7m、奥行き4m。棟木を建物本体の外側で支える棟持柱(むねもちはしら)が特徴



登呂ムラ全体の儀式(豊作祈願やその占い)や重要な話し合いなどに使われたと考えられる
建物の前に広場が設けられ、周囲の溝によって、住居とは区別された特別な区域であったと考えられる



廃絶後の状況を示す住居跡
柱や梁、羽目板、屋根などの上屋の構造材を取り去った住居跡
環状に盛土された周堤と土留めの板材、床面には抜き去られた柱の跡を再現している



2号住居
昭和25年に発見された住居跡を復原



上屋は4本の柱で支え、床の中央に炉を設けている



周堤は盛土され、内側に羽目板をめぐらす






3号住居
昭和23年に発見






1号住居
昭和22年に発見



住居の中で炉を使用しての各種の体験をしている



4号住居






2号高床倉庫
平成12年の再調査で発見された。6本柱の高床倉庫跡
柱間は3.9m×2.3m、床板までの高さは推定で1.3m。穀物類の保管を目的とした建物



火おこし体験



摩擦熱を利用した体験で小学生姉妹が挑戦。見事に成功し大喜び



次に姉妹の父親が違った道具による難関の火おこしに挑戦
結果は残念ながら失敗、楽しい一時だった



丸太割体験
丸太をそれよりも硬い木片でくさびを入れ、木槌で割っていくというもの



現在、遺跡は登呂公園として整備されている
親子連れが多く体験などもあり十分楽しむことができる



残っている場所を廻ってみる
住居を見ながら、現在のキャンプ用のテントと構造が似ていると考えていた



屋外では大昔の人の智慧が、文明の発達した現代にも活かされているとしたら凄いことだ






静岡市立登呂博物館
登呂公園内に隣接している。博物館内は初めての経験だが写真撮影禁止になっている



撮影 平成29年5月13日
コメント (2)
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小袖海岸(岩手県久慈市宇部町)

2016年12月14日 | 名所・旧跡
あまちゃんの舞台「小袖漁港」
NHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった「袖ヶ浜」が小袖漁港である
毎日欠かさず視ていたので東北旅行を計画したとき訪れてみたい場所であった



「じぇじぇじぇ!」は2013年の流行語大賞にもなった
「今でしょう!」「お・も・て・な・し」「倍返し」の時代である



1959年(昭和34年)11月にラジオドラマ「北限の海女」が放送され、その題名が海女を指す名称として用いられるようになった



駐車場から一番離れている場所へ。監視小屋である。歩くと太腿筋に負荷がかかる、少し高い場所にある
途中、老いた女性に逢ったので、挨拶がてら距離と時間を尋ねるが、話している言葉がまったく理解できなかった



「監視小屋」:ドラマで使われた場所でもある。



ここからの眺めはよく、監視場所に選ばれている理由がよくわかる






防波堤の先にドラマのオープニングにでてくる灯台が見える



下に降り小さな港の周辺を歩いてみる



大きな岩が視界に飛び込んでくる



小袖海岸を代表する「柱状節理」と呼ばれる現象の岩石で、三陸ジオパークのジオポイントにも選定されている。



小さな鳥居の赤磯大明神



「夫婦岩」:2つの岩に結ばれた注連縄は東日本大震災の津波でも切れなかったという



防波堤から夫婦岩を見る。山の上にあるのは監視小屋



ドラマでアキが走った防波堤をゆっくり歩いてみたかったが、立入禁止になっていた
走って海に飛び込む輩がいたとか…



ドラマではこの場所と灯台が大切な役割を果たしているが、これまでみてきた灯台では一番小さく、形も変わっている



駐車場には私の車が一台だけ。前日、温泉で聞いた話しだが「ブームは去った」と



震災の時はこの漁港の船も流され、大きな被害に遭ったという



被害に遭った「海女センター」も新築された



中に入ってみると、簡単な資料館のような役割を果たしている



屋上からの景色が一番綺麗な感じがする。目の前で海女さんたちによる素潜り実演が行われる



食堂で「まめぶ汁」を食べた
ドラマ同様、不味くもなければ美味くもない「微妙な味」だ



駐車場に戻ると山口ナンバーの軽乗用車から若い女性が降りてきた
車内の様子が私と同じなので声を掛けると、車中泊の旅をしているという
仕事を辞め、昨年の10月に出発。途中、住み込みのアルバイトで貯金し、また旅を続ける
「私って変ですよね」と聞かれたので、「いや、とても素晴らしい人生を送っている」と思っていたことを口にした
「まめぶ汁」が美味しいので食べるようにと別れ際に言って車を走らせた



撮影 平成28年5月30日
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北山崎(岩手県下閉伊郡田野畑村北山)

2016年12月06日 | 名所・旧跡
北山崎(三陸復興国立公園)
半年前のことではあるが、どうしてここを訪れたのか思い出せない
計画を立てて旅をしている訳ではないので、きっかけとなった出来事があったはずだが






大きな駐車場から2~3分歩くと展望台のような場所があった



ガイドの説明では晴れた日でもこのように遠くまで見えることは少ないそうだ。「運がいい」と言われた
5~6人に記念写真撮影を頼まれた。きれいに撮ってくれとの注文もある
風景だけならきれいに撮れますが…と応える



団体客が近づいてきたので、階段を下りた所にあるという展望台を目指すことにした
年齢のせいか最近では下りでも息が切れる



少し下ると見え方も違ってくる。断崖絶壁の自然景勝地



海面からの高さ200mの断崖絶壁が連なる景色は、JTB全国観光資源評価の「自然資源・海岸の部」で唯一の特A級に格付けされた



遊覧船による観光もできるようだ



北山崎断崖は、粉砕された火山砕屑岩の堆積層が厚かったため、削り残された奇岩の多い断崖となった



さらに階段を下りるともう一つ展望台があるようだが、膝が「駄目」と言っている
最初の展望台に戻る。しばらく景色を眺め駐車場に戻る



撮影 平成28年5月29日
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平井賀川の水門(岩手県下閉伊郡田野畑村)

2016年12月05日 | 名所・旧跡
車旅を続けていると突然驚く光景を目にすることがある
特に震災後の東北地方を見てきただけになおさらである
車を止め車窓から眺めて見たが、状況が理解できないので、近くにあった駅に車を駐め、来た道を戻ることにした

  

なんと三陸鉄道の車両がレールに載っている。乗客は無事だったのか、様々な情景が頭をよぎった
後で調べてみようと思い、場所の確認のため駅名を記録して、先を急いだ

 

その後、調べてみると、予想とは違う結果に
三陸鉄道北リアス線「田野畑駅」の近くにある「水門」であることがわかった
震災前からある、「平井賀川の水門」で、車両は水門を運用するための施設
「三陸鉄道」の車両と同じ色に塗っている


 
「田野畑駅」の愛称は「カンパネルラ」。宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に登場する人物に由来
また、NHK朝ドラの「あまちゃん」のロケ地で「畑野駅」として登場している

撮影 平成28年5月29日
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浄土ヶ浜(岩手県宮古市)

2016年12月03日 | 名所・旧跡
名勝 浄土ヶ浜
東日本大震災による津波で指定区域が大きな被害を受け、震災からの復興および被害の伝承を目的として、陸中海岸国立公園から現在の「三陸復興国立公園」の名称に改められた



観光船を降りると観光客の流れが駐車場ではない方向に進んでいく



何があるのかまったくわからないが、ついて行くことに



観光船で見た風景とは違った景色が目の前に現れてきた



写真右中央のトンネルの向こう側が観光船乗り場になる



私は人間が創り出したものには興味があり感動するが、自然美についてはかなり鈍感である



浄土ヶ浜の由来は、宮古山常安寺の霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと伝わる



海の色が見る位置によって変わっていくのが面白い



入り江を利用した海水浴場は環境省による「快水浴場百選」に選定されている



宮沢賢治はここに訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌を詠んでいる



この日は5月末で海水温は低いはずだが、楽しそうに泳いでいる少年がいる
テレビゲームに熱中している子供と比較すると、実にたくましいではないか



 


先ほど乗っていた観光船が新たな客を乗せ航行していく
 





私は幼い頃から海の側で育っているため海を見ても心は動かないが、この海岸の海の色には興味を持った



駐車場から10分ほど歩くが、周囲の景色を眺めて歩くとあっという間に着いてしまう
家族連れ、カップルが時間を過ごすには最適の場所だ



撮影 平成28年5月29日
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みやこ浄土ヶ浜遊覧船「浄土ヶ浜周遊コース」(岩手県宮古市)

2016年12月01日 | 名所・旧跡
みやこ浄土ヶ浜遊覧船「浄土ヶ浜周遊コース」
東北6県の車旅も終わりに近づいている。これまで触れてはこなかったが、震災の状況を撮り投稿することを目的とした旅でもあった
ところが、仮設住宅や黒いビニール袋の山、廃屋と化した商店や住宅にレンズを向けることができなかった



生死の境で難を逃れた方々の話も聞いてきた。そのようななか、道路地図に浄土ヶ浜の地名があった
「浄土」という文字目が止まり、行かねばという気持ちが強くなって訪れることになった



近くで上船待ちをしている人に挨拶をすると、写真を撮るならいい場所があると船尾のデッキの席を確保してくれた
小舟による観光では洞窟の近くまで案内してくれるらしい



船内放送によりそれぞれの場所の見所や歴史など、時には船を止めて説明が加えられる



その中でも記憶に残っていることがある



その一つは乗船している船が、観光を終え港に戻ろうとしたときに、3.11の大地震で津波が発生したという



船員のとっさの判断で港には戻らず、沖に向かったそうだ
とてつもないことが起こっていることは想像できたが情報がまったくない
さらに食料もないなか、ウミネコの餌づけ用のエサで飢えを凌いで3日後に港に戻ったという



会社が所有していた三艘あった観光船の二艘が破壊され、沖に逃れたこの船だけが残った
その時乗船していた船員の一人がこの船を動かしていると放送されると、船内から大きな拍手が起こった



話しは変わる。観光船ではウミネコの餌づけを行っているため、観光船の周辺を群れをなして飛んでいる
ウミネコとカモメの区別はつかないが「ジョナサン」を撮ってみた



私に席を確保してくれたご夫婦は大変親切な方でいろいろ話しをしてくれた
地元の方らしく震災のことも語ってくれた



娘さんが結婚するらしく、相手の方を連れての観光のようだが船酔いに耐えている様子がおかしかった



もう一つ記憶に残っていることが、この島にある



岸壁のいくつにも重なった層で、その年代が判断できるという



私にはさっぱり理解はできないが、とても貴重とのこと



普段、観光船にはあまり乗らないのだが、新しい出会いもあり楽しい一時を過ごすことができた



何事もなかったような穏やかな海と島



日常を取り戻しつつある



親切にしていただいたご夫婦に感謝の言葉をのべ、挨拶をして別れた
文字では表現できないが東北人の強さ、優しさをつよく感じた



撮影 平成28年5月29日
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民話の里 遠野を車で巡る その3(岩手県遠野市)

2016年09月28日 | 名所・旧跡
1日では廻りきることができなかった遠野。2日目に入る

とおの物語の館
「とおの昔話村」がリニューアルされたと説明を受ける。駐車場も併設されていて便利だ



館内に入ると、子供が楽しめるための空間かなと思っていたが…



様々な工夫がなされていて、初老の私でも十分に楽しむことができた
例えば、ここでは手を叩くと音に反応して物語が始まる



小さなお椀の中に映像が映し出される仕組みだが、これは面白い



基本的に音声で昔話を聞くのだが、目の前にあるオブジェによりより内容を理解することができる






高善旅館と柳田國男
遠野における柳田國男の定宿



日本民俗学の黎明期を知る老舗旅館



 


柳田は3回遠野を訪れているが、いずれもこの旅館に宿泊している



柳田のほか折口信夫やロシア人のネフスキーらも宿泊し、民族調査の拠点となっていた






日本民俗学は、為政者ではなく日本の普通の人々の歴史を発掘、記録しその意味を明らかにしようとした学問



この後、「遠野座」で楽しみにしていた、語り部による昔話を聴く

遠野城下町資料館






「博打に熱中」に目が止まる



絵貝が博打の道具とはなんと昔の人は優雅ではないか





 
遠野市立博物館
日本で初めての民俗専門の博物館
遠野の人々の自然や暮らし、文化、歴史を、『遠野物語』を軸に多彩な映像や展示でご紹介している









遠野には「町」「里」「山」という暮らしの領域がある
それぞれが独自の文化を育み、互いに影響しあいながら、一体となっている遠野の暮らしの姿を、豊富な実物資料や写真、映像で紹介している















「遠野七観音」



「供養絵額」:個人が家族団らんを楽しんだり、生前好んだ趣味、遊び、仕事をする様子が描かれている
死後の世界で楽しく暮らすことを願う気持ちが込められている















博物館から出たところにある一般会社の前に設置されていた



道の駅「遠野風の丘」:風力発電の風車が印象的な道の駅。居心地がよく、私も2泊お世話になった



夜にはライトアップされ美しい



撮影 平成28年5月27日
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民話の里 遠野を車で巡る その2(岩手県遠野市)

2016年09月27日 | 名所・旧跡
方向音痴の私にとってナビをフル活用できない遠野観光は悩みの種
「続石」も周辺を数往復してやっと駐車場(道路際にあったのだが)を見つけた
鳥居の左下に「熊出没注意」の看板が…



花や木にも囲まれ、整備された散策路を快適に歩いていく



途中から上りに変わり、次第に呼吸が乱れ心拍数が増していく
「不動岩」の案内があるが無視して先に進む



間もなく足が止まった。数十m先に「熊がいる」。熊出没注意の看板が頭をよぎる
数分間様子を見たが、動く気配がないので意を決して先に進んでみると、何と、熊の形に似た岩であった



間もなく「弁慶の寝床」に到着
鳥居があったということはここは「手水鉢」ということになる



泣石
弁慶が今の続き石に乗っている笠岩を、初めに乗せたと云われる石だ



「自分の方が位の高い石なのに、こんな石を乗せられて悔しい…。」と、悔しくて泣いたのだという
弁慶もその泣き声が煩いので、笠岩を現在の場所に代えたという話が伝わっている



続石



見る角度によっても違うが迫力ある巨石が迫ってくる



横から見るとこのようになっている
弁慶が乗せたとも言われている巨石、長さ7m奥行き5m高さ2m



更に近づいてみると、二つの石ではなく一つの石だけにのっている。これには驚いた



続石の奥に祠がある。「山神社」と近くの石に刻まれている



不動岩の方から見える「続石」



不動岩
大きすぎて動かないので不動なのか。数秒の滞在で駐車場に戻ることにした。



野に咲く花の名前は知らないが…



違う土地だと、このような何気ない瞬間も新鮮で楽しむことができる



かっぱ淵 
遠野では一番人気の場所である。「常堅寺」(後日紹介)の境内を通り向かう



ここはかつて河童が多く住んでいたという伝説の残る淵。独特の雰囲気を醸し出している






川辺には乳の神である夫婦のカッパが鎮座する祠があり、拝むと胸が大きくなるという噂も



竿先には、えさの「きゅうり」が






「稲荷堂」 奥の鳥居はかなり傷んでいる



阿部一族の屋敷跡もこの周辺にある



かっぱ淵に戻ると釣り人が一人



そこに若者が竿を持ってくると「許可証」がなければ駄目だと説明
実はこれはTV局の番組のリハーサル風景。観光客がいなくなったので始まった



かっぱ淵からの帰り道。道路の両側にホップの栽培作業を行っていた女性に声をかける
「どこのビール会社のホップですか」と私。「キリン一番搾り」だと女性



キリン本社から送られてきた苗を育てているそうだ
旨い「一番搾り」が飲みたくなった



伝承園
遠野地方の農家のかつての暮らしを再現している
数年前、愛想の良い女性が受付にいて、お土産を買った記憶が甦ってきた



佐々木喜善記念館
1908年(明治41年)頃から柳田國男に知己を得、喜善の語った遠野の話を基に柳田が『遠野物語』を著す






曲り家 菊池家(重要文化財)



旧菊池家住宅は18世紀中頃までに建立された曲り家



当初は曲り部分を持たない直家(すごや)だったが、建立後間もない時期に曲り部分の馬屋を増築し、現在の曲り家の姿となった



天皇陛下もこの場所で昔話をお聴きになった



家の中の様子



私のお気に入りの場所



この奥に心残りの場所がある



御蚕神堂(オシラ堂)
心残りというのは、前回訪れたときピンぼけ写真ばかりだったということ



東北地方の家の神様といわれている「オシラサマ」を祭った「御蚕神堂(おしらどう)」






神域というのは写真には向かないと思いつつ、お堂を後にする









もう一度、佐々木喜善記念館に立ち寄り、資料をゆっくり読み直す






伝承園の出口が売店になっていて、数年前の愛想の良い女性もいた
無料の冷たいお茶をご馳走になり、何かを買いたいという衝動にかられたが…

撮影 平成28年5月26日
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民話の里 遠野を車で巡る その1(岩手県遠野市)

2016年09月26日 | 名所・旧跡
民話の里 遠野を車で巡る。遠野は二度目であるが新たな発見があるかも知れない
道の駅「遠野風の丘」で入手した「遠野マップ」を片手に出発

卯子酉(うねどり)様
道の駅に一番近い場所にあるのが「愛宕神社と卯子酉様」。近くに駐車場もある



卯子酉大明神と彫られている



案内板の下の石柱の彫刻



「愛宕神社」



更に奥にお堂があり扁額には「卯子酉」



お堂の横には無人だが赤布が売られている



縁結びの神様として知られているらしい



赤い布を購入し左手だけで結ぶことができれば縁が結ばれるという



私にはもう赤布は必要ないが、地面の木の根が張り、延びている様の方が気になる



さて、次に「五百羅漢」が近くにあるらしいので歩いていくことにする



案内が控えめなところがいい。距離にすると500m弱だが、普段歩く習慣がないため長く感じた



五百羅漢
到着したが羅漢像らしきものが見あたらない



更に緩やかな上り坂を先に進み左右を注視しても見つからない。いったい、どこにあるのだろう
 


半ばあきらめ戻ろうと振り返った時に… これかぁ~ 想像していたものとは違うものだった



200年余り前、東北地方を襲った大飢饉に心を痛めた大慈寺の義山和尚が、犠牲者の冥福を祈り羅漢像を彫ったという



苔むしていて判別できないものも多いが、義山和尚の気持ちは伝わってくる



寺山修司作詞の「野に咲く花の 名前は知らない だけど 野に咲く 花が好き…」を口ずさみながら駐車場に戻る



めがね橋
道の駅「みやもり」の駐車場からその橋がみえる



全国に「めがね橋」はいくつかあるが、ここは東北岩手県ということで何かが違う



車や列車が走っていることではなく



宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルとして知られているのだ



写真を撮っていると近くにいた園児が5~6人寄ってきて礼儀正しく元気にあいさつをしてくれた
大きなカメラが珍しかったのか、一人ずつシャッターを押させてあげると、後ろに回りまた並んでいる



何気ない行動だがこれはすごいことだ
このグループを引率しているのは若い女性の先生だが、子供たちのいないところで、私に挨拶をしてくれていた
大人の立ち居振る舞いをこの幼い子供たちはきちんと見ている。感動した



南部曲り家 千葉家(重要文化財)
修理のため休館中とのこと。駐車場から見上げる



約200年前に建築されたもので、現在も住居としても使用されているというからすごい






愛車との記念撮影



撮影 平成28年5月26日
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大悲山の石仏 その2<観音堂>(福島県南相馬市小高区小高区泉沢)

2016年09月09日 | 名所・旧跡
大悲山の大杉(福島県天然記念物)
観音堂石仏に向かう石段の途中にある霊木



杉というと真っ直ぐ伸びている感じがするが、この杉はかなり変形している






「大悲山大蛇物語公園」内に大きな絵でその伝説を伝えている



公園内のこの絵は遠くから見るといったい何だろうと思うほど目立つ



この公園は地域の歴史的文化遺産の保存と、歴史や伝説とのふれあいややすらぎの場として整備されている






観音堂石仏
「観音堂石仏」に行くには少し距離があったので車で移動することにした
駐車場もなく路上駐車をして100mほど歩くと案内板が目に入る



覆屋が真新しいが東日本大震災で、千手観音像の覆屋が倒壊した。2016年1月に修復工事が完了
 


いわき市から南相馬までの間、悲惨な状況を目にしてきたが、震災の爪痕がここにも残っていた
5年の年月がかかったが「観音堂」の額を掲げるまでに復興してきたということか



高さ9メートルをほこる千手観音坐像。頭部から下は剥落している



日本三大磨崖仏の一つに数えられる大悲山の石仏
他の二つは大谷磨崖仏(栃木県宇都宮市)、臼杵磨崖仏(大分県臼杵市)
 


周囲に化仏と呼ばれる小さい仏像が壁面に多数彫られているというが確認することはできない



 


撮影 平成28年5月23日
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大悲山の石仏 その1<薬師堂・阿弥陀堂>(福島県南相馬市小高区泉沢薬師前)

2016年09月08日 | 名所・旧跡
「日本三大磨崖仏」の一つが近くにあるという情報を、道の駅「南相馬」で得た
磨崖仏は自由に撮影できるため、来た道を十数キロ戻ることになるが目指すことにした

薬師堂石仏
天然記念物の「大悲山の大スギ」の横の石段を上ると目の前に民家のような建物が見えてくる



ここに磨崖仏があるのか、一瞬不安になった
 


「薬師堂」の額があるのでここに間違いないが、人の気配がまったくない
そっと戸を引くと電気が点き奥に磨崖仏が見えた



「大悲山窟薬師如来」の扁額
大悲山の石仏は、「薬師堂石仏」「観音堂石仏」「阿弥陀堂石仏」と呼ばれる3箇所の石仏群の総称



「薬師堂石仏」は覆屋(薬師堂)の中に保存されている



磨崖仏の前にガラス戸があり、蛍光灯が反射し撮影には苦労した
実際にはこのように明るくはっきりは見えないが、レンズを通すと細かな部分まで見ることができる



間口15メートル、高さ5.5メートルの空間に…



4体の如来像と2体の菩薩像を浮彫で表現されている






如来像と菩薩像の間に、線刻で2体の菩薩像と飛天が彫られているというが、まったくわからない



石仏群は平安時代に造立されたもの



「玉市坊碑」
阿弥陀堂石仏に向かう途中にある



近くの公園内にも絵物語で紹介されている(次回掲載)



阿弥陀堂石仏
薬師堂石仏から徒歩1~2分の所にある



ここも覆屋(阿弥陀堂)の中に保存されている



伝承では阿弥陀仏が刻まれていたというが…



剥落していて形がわからない



観音堂石仏に行くには少し距離があるため来た道を戻ることにした



道脇には石仏が点在している



 


薬師堂に戻ってきた。観音堂には車で向かうことにした



撮影 平成28年5月23日
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裏磐梯 五色沼湖沼群(福島県北塩原村)

2016年07月20日 | 名所・旧跡
学生時代、東京から北海道へ帰省中、途中下車し五色沼を歩いたことがある
自然の美しさにはあまり興味がなかったのか、途中で止めてしまったと記憶している

今回の東北の旅で「九十九島」を歩き、「湯沢ジオパーク」を友人に案内され、車旅の幅を少し広げようと思い訪れた。

五色沼湖沼群
大型駐車場に車を駐め車外に出ると、モーターボートで島巡りをしないかと声を掛けられた。歩いて見たいのでと断る
ここが「五色沼自然探勝路」の出入口になる
 


「柳沼絶景園」  絶景となる季節はいつなのか。どうも新緑の季節ではなさそうだ



雰囲気を出すために違った角度から撮ってみた



遊歩道
ここから五色沼巡りが始まる
この日は夏日であったが新緑の木々に囲まれあまり暑さを感じない



遊歩道の左手にある木々の隙間から、沼の姿を眺めることができる



青沼
私の体型が歩きに不向きなのか、息切れが始まり歩くのが嫌になった時に最初の沼が見えてきた



五色沼湖沼群の中でも最も青白色に光っているそうだ
北海道の「青い沼」とは比べものにならないほど美しいと、側にいた人が大声で話していた



北海道が侮辱されたようで腹立たしかったが、実際「青い沼」を見ていないので反論できずに我慢した



瑠璃沼
遊歩道の右手に入った所にある。遠くに磐梯山の姿が眺望できる



五色沼湖沼群の中で最でも神秘的な沼で、見る場所により水の色が変わるという



目の前の草が視界を遮っているため、肉眼では色の変化を確認することはできなかった
だが、写真で見ると確かに変わって見える



目の前に流れている水は透明だが沼に入ると変色する
科学的に証明されていると思うが、夢が壊れそうで調べるのを止めた
7月16日放映の「ブラタモリ」も興味はあったが視聴しなかった



弁天沼
遊歩道の左手に見えてくるのが弁天沼。遠くに吾妻の山並みが眺望できる
福島競馬場で開催されるレース名に「吾妻小富士賞」「磐梯山特別」そして「五色沼特別」などがある
自然を楽しみながらも、大好きな競馬のことを考えてしまう



五色沼の中で2番目に大きい沼になる



遊歩道から見える沼も美しい



写真からも、色が連続的に変化するグラデーションを楽しむことができる



赤沼
囲の草木は赤い鉄錆色に染まり、赤沼という名前の由来もそこからきている



五色沼巡りといっても片道3.6kmもある。往復することを考えると気が重くなる
告白するが、歩き出してすぐ、いつ引き返すかを考えながら歩いていた



ところが後期高齢者と思われる方々が杖をつき必死に歩いている姿を見て考えが変わった
決心すると急に足が軽くなったような感じがした。数十メートルだが…



純真な若者が、自分の色を創り出していくのか、世間の色に染まっていくのか… 写真を見ながら考えてしまった



毘沙門沼
「五色沼自然探勝路」最後の沼となる



高台からの風景



毘沙門沼から望む磐梯山は裏磐梯を代表する景観の一つだ



五色沼最大の毘沙門沼からは、磐梯山の荒々しい火口壁が目に入ってくる



裏磐梯ビジターセンターがゴールになる(出発口ともなる)
復路はバスもあるらしいが自分に厳しく歩いて戻ることにした



撮影 平成28年5月20日
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湯沢ジオパーク(秋田県湯沢市)

2016年06月28日 | 名所・旧跡
秋田県湯沢市に住む学生時代の友人を訪ねる。半年ぶりの再会になる
友人の車で湯沢市周辺を案内してもらうことに
予備知識も全くなく私にとってはミステリーツアーのような新鮮な感じであった

湯沢ジオパーク
湯沢市役所で資料を入手。私と違って真面目な彼は、事前に下調べをした場所を紙に印刷し案内してくれた

「延命地蔵」  ある橋を渡ったところで車が止まった。橋の入口に地蔵像があるのは珍しい



「三途川渓谷」の案内板。 橋の中央から下を覗くと足がすくむほどの高さ(恐怖で下を撮すことができなかった)。
延命地蔵に三途の川、何となくその意味を理解することができた。



川原毛大湯滝(かわらげおおゆたき)
何があるのかわからないで目的地に向かうことはワクワクするほど楽しい



息切れと戦いながら前に進んで行くと、目の前に大きな滝があらわれる



ただ、この滝は普通の滝とは違う。私も長い人生で初めての経験となる



実は、滝そのものが温泉という珍しい滝



滝つぼや渓流は天然の露天風呂になる
手を入れてみるとこの季節では入浴するには冷たすぎる感じがした(写真の男性は友人)



上流で98℃の熱湯が湧き出ており、途中で沢水と混ざり良い湯加減となる。水着着用の注意書きあり



来た道を戻る。息切れを防止するため途中写真を撮りながら呼吸を整える
大湯滝へ流れている様子を見ることができた



川原毛地獄
川原毛地獄山は南部の「恐山」、越中の「立山」とともに日本三霊山に数えられている



硫黄臭が駐車場にも漂ってくる。ここは遠くから眺めるだけにした



「川原毛地蔵菩薩」



車から湖沼らしき景色が視界に入ってくる



苔沼
水面の大半をミズゴケがおおっていて、湿地が大地へ変化しつつある。



宇宙大橋
つながりは不明だが、宇宙飛行士の向井千秋さんが橋名を書いていた



惑星の広がりをモチーフに表現しているそうだ



子安峡「大噴湯」
遊歩道を下っていく。周囲を新緑に囲まれ気持ちはいいが、脚に負担がかかる
遠くに見える赤い橋の下まで歩いて行くことになる



落差60mの階段を下ると温かい川が流れ、その横が遊歩道になっている



橋の下に近づくと岩盤から蒸気がゴーという音をたて噴煙を吹き出している



噴煙が遊歩道まで。側を通ると熱風を感じることができる



岩盤から吹き出ている熱湯は98℃、手で触ってみたが確かに熱い



川向こうの岩盤からも…
幼い頃に戻ったように、嬉しくなり、はしゃいでしまう



新緑を目で楽しみ、豊かな水音を耳で楽しむ、何と贅沢な旅だろう



田舎育ちではあるが最近は自然に接する機会が少なくなり、その良さをすっかり忘れてしまっていた



800mの遊歩道もこの石段が最後になる
この後、友人と温泉に浸かり、その夜は彼の家でご馳走になった



私の車旅では絶対に訪れることのないジャンルだが、友人の案内で旅の幅が広がったように感じた。感謝したい
 
撮影 平成28年5月17日
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山居倉庫(山形県酒田市山居町)

2016年06月26日 | 名所・旧跡
土門拳記念館で声を掛けられた男性に酒田市の人気スポットとして紹介された場所である
何があるかわからず車を走らせ、数分後に着いた。駐車場は満車状態
カメラを持って車外に出ると「来てくれたんですね」と肩をたたかれた

山居(さんきょ)倉庫
明治26年(1893年)、酒田米穀取引所の付属倉庫として旧庄内藩酒井家により建設された
昭和14年(1939年)に取引所は廃止されたが、倉庫は引き続き所轄を移しながら現在も運用されている



肩をたたかれた男性に「山居倉庫裏と欅並木」が有名と案内された。(彼は記念館から自転車で来てくれたらしい)
新緑・紅葉・降雪それぞれの季節に風情があるようだ。土門拳氏も撮っていると話してくれた



「欅並木」の欅は、日本海からの強風(西風)と夏の直射日光(西日)をさえぎり、倉庫内の湿度変化を少なくする目的で植えられた
現在41本の欅が残っている



直線距離で100mほどあるだろうか。半分ほど来たところで振り返って見る
古くなるが、連続テレビ小説「おしん」のロケ地でもある



山居稲荷神社
欅並木の中央に位置している。倉庫鎮守の神社



山居倉庫正面。明治26年(1893年)竣工当時、倉庫一軒当たり、四斗入俵(60キロ)で16442俵を貯蔵することができた



12棟が残り、1棟が「庄内米歴史資料館」、2棟が「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽」として一般開放されている



小鵜飼船
最上川舟運において物資の輸送をするために作られた船
近距離輸送に使われ、積載量は50俵程度



上り船では塩、砂糖、海産物などを、下り船では米や紅花などを運んでいた



案内してくれた男性にお礼のことばをのべ、握手をして別れた
旅の楽しさの一つに人との出逢いがある。今日も良い旅をすることができた



撮影 平成28年5月16日
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