今は亡き叔母が信仰していた天理教の新聞、天理時報を購読していることは、過去、何度も書いた。
今日のブログ記事も、その天理時報の記事である。
知る人ぞ知る盲聾の東大教授、福島智氏、の母上は天理教信者であられる。
福島智氏も、そうであられるかもしれない。
昨日届いた天理時報には、その福島智氏の母上の記事があった。上の写真。↑
何でも、この母上、福島令子氏が指点字を思いつかれたのは偶然だったとか。
まず、智氏の目の異常に気づいたのは、智氏が一歳のとき、
失明したのは、小学校3年のときだったという。
負けん気の強い智氏は、頑張って点字を覚えて小学校4年からは盲学校に通うようになったらしい。
それだけだったら、案外世間にありがちの話かも知れないが、智氏には、さらに厳しい試練が与えられた。
高校2年のとき風邪を引いて、耳に水がたまったため、病院で鼓膜を切除してもらい、その水を出してもらった。
これを機に聴力が低下していった。
ここからが、智氏の偉いところで、
「目が見えなくなって、耳が聞こえなくなった。これは不思議なこと。しかし、神様がいるのなら苦しめてばかりもいないやろう。これはきっと何か神様の思惑があるのではないか」
と考えた。
ここから、母上、令子氏の偉さも。
自宅療養中、智と会話がうまくいかないもどかしさを感じ、点字タイプライターを打つ要領で、智の指をたたいてみた。
「さ と し わ か る か」
智は、にっと笑って「わかるでえ」と答えた。指点字が生まれた瞬間だった。
この母上あって、この子があると思わせられる。
私など、耳がよく聞こえないことだけでも心を倒してしまっている。
自分が聴覚障害ある子の母親であっても同様に、ただ悲しむだけだったかもしれない。
しかし、この福島令子さんはめげない。
ここまでの記事は天理時報の裏表紙の記事だが、今号では、中の紙面にも、福島氏の記事が載っていた。↓
「”言葉の世界”に生きる交友」と題して福島智氏と作家、北方謙三氏の対談本の紹介も掲載されていた。
書名は、『
運命を切りひらくもの』
この記事で、北方氏は、福島智氏と対談したときの印象を次のように述べている。
「不安と戸惑いがまとわりついていたが、それは握手でかなり消えた(中略)途中から、盲ろうという者と喋っているのだと、私は思えなくなった。そして、言葉が、ただの言葉ではなくなったのだ。意味は、通じ合う。意味以上のなにかを帯びて、二人の間で言葉が踊る」
一方の福島氏は、
「私は指点字の通訳の方に手に触れてもらって言葉を伝えてもらいますが、手を離した瞬間に世界と断絶するんです。だから空気や食べ物と同じように言葉が自分を活かしてくれている」と。
また、北方氏は、肺結核に罹(かか)り小説家を目指したこと、10年に及ぶ不遇時代のエピソードなどを紹介し、
「生きることは書くこと。書くことは生きること」
と、自身が見出した書き続ける作家姿勢に言及している。
書くことが生きることとは私のことかもしれずブログ書き継ぐ biko
福島智氏は、この天理教の出版社「道友社」から、今年の5月に
『言葉は光』という本も上梓されているようだ。
読んでみたいものだ。