幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

天保水滸伝、大利根川原の決闘  飯岡助五郎、舟でなぐり込み。 天保十五年八月六日

2009-08-23 12:29:08 | Weblog
利根の川風袂に受けて、
月に棹差す高瀬舟
の名文句ではじまる、ご存知「天保水滸伝」
二足わらじの飯岡助五郎が笹川繁蔵を召し取るため、舟で颯爽と笹川河岸に乗り付ける。対する繁蔵は平手酒造や勢力富五郎の奮戦で劣勢ながらも助五郎を撃退すると言った物語です。
時に天保十二年、場所は広大な大利根河原、総勢何百人という侠客が相争うという、まさに大時代の様相を帯びた大利根河原の決闘であります。
初代 宝井馬琴は「講釈師 見てきたような うそを言い」と名句を残しておりますが、やはり、「大利根河原の決闘」もご他聞にもれないようです。
伊藤實氏の「飯岡助五郎正伝」によりますと決闘のあったのは、天保十五年(弘化元年)八月六日(西暦1844年9月17日)の早朝、場所は笹川繁蔵宅、襲ったのは、飯岡の助五郎方は州崎の政吉の始め22名で、対する笹川方は20人たらずだったと書かれています。
問題は、飯岡の助五郎が忍村から笹川まで利根川を舟で遡ったとされる従来からの定説です。
まず天保十五年八月六日の朝の関東の天気を見てみましょう。決闘の地に最も近い、銚子で「天気南風」とあります。他には江戸で「雨ふる」、群馬県みどり市(旧大間々町)で「雨天、開晴也」、栃木県二宮町で「雨」、栃木県日光市で「雨」など取り分けて異常な天気ではありませんが、
銚子では、七月二十七日から八月二日、三日を除き全て雨、同じく江戸では七月二十六日から連日の雨、栃木県の日光でも七月二十七日と八月一日を除き連日の雨(八月五日記載なし)、みどり市では七月二十七日から八月三日を除いて雨、など各地で秋雨前線による、連続の雨を記録しております。
そのため、利根川水系では川水が膨満し
   【渡せ川出水一昨夕より舟とまり】【大泉院日記】みどり市
   【七月初旬より八月初旬迄下総国古河辺大風雨】【続泰平年表】
   【連日の降雨に依り墨田川出水し両国橋芥留杭等損所を生す】【金地院雑記    出水一件】
   【(八月)六日下総国洪水】【続泰平年表】
など、利根川水系全般に、川留めや洪水による被害が出ていたことが分かります。
このような中を、飯岡の助五郎が舟で上って行ったのでしょうか。恐らく無理だったと思います。
見てきたように話す、講談、浪曲、落語は恐ろしいものです。









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天気に150年周期はあるか?な... | トップ | 芹沢鴨暗殺時の天気 文久三... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事