幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

安政六年 九月二十日(西暦1859年10月15日)坂本竜馬、土佐藩砲術家

2010-02-14 18:32:40 | Weblog
 明治維新の前後に活躍した人たちは沢山いますが、天保年間生まれで、安政年間に修行、文久から慶応、明治に活躍すると言うのが一つのパターンのように思われす。
 竜馬が、土佐藩砲術家徳弘孝蔵に弟子入り したのが、安政六年九月二十日と講談社の「再現日本史」にありましたが、この日長岡藩の河井継之助は全国遊学中ですし、同じ年の三月九日に土方歳三は天然理心流に入門しています。皆それぞれに研鑽に励んでおります。
 それでは、安政六年 九月二十日(西暦1859年10月15日)の天気を見て参りましょう。

晴【青森県八戸市】
朝より晴【福島県相馬】
曇、夕晴【江戸】
晴【甲府市】
晴【福井県鯖江市】
晴【愛知県岡崎市】
晴【京都】
晴【山口県萩市】
晴【小倉市】
晴、曇天【鹿児島県肝属町】
となっていて、全国的に晴れ模様だった事が分かります。
風はと言いますと、

東北風【千葉県銚子市】
北風【東京都新島】
また、香川県の金比羅様をお参りして船で東を目指している河合継之助さんのレポートによりますと「向かい風」とありますので、瀬戸内海でも北東方向の風が吹いていたようです。

肝心の高知県の天気を【真覚寺日記】で見ますと
晴【高知県高知市】となっております。

 従いまして、竜馬は晴れた北東風の日に徳弘孝蔵に弟子入りしたことになります。

また、【真覚寺日記】には、こうもあります。

「悪疾流行、、城下市中往来ニ線香ニ火を付持もの多し 」
この頃はマスクをする人も少なくなってきましたが、安政六年九月二十日の高知では疫病除けのため線香を持って歩いていた人が多かったようです。

ひょっとして、竜馬も線香を持たせられて、徳弘孝蔵の門を叩いたのかもしれません。
往来では、北東の風に載って線香の煙が南西方向に流れていたでしょう。




写真は、三重県四日市市の三好堂春吉の絵日記から、こうもあろうかと言う挿絵を載せてみました。



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