幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

吉田東洋暗殺の夜の天気 文久二年四月八日(西暦1862年5月6日)

2010-03-20 19:00:00 | Weblog

 竜馬伝ではゲジゲジ頭の吉田東洋暗殺されたのは、文久二年四月八日(西暦1862年5月6日)です。
実務的な東洋と、理想に走る攘夷論者の結末とも言えます。

ともあれ、東洋は藩主への侍講を終え、酒気を帯びての帰宅途中に暗殺されたと言います。
時間は、土佐市の【真覚寺日記】によりますと、「深更ニ及んて後下城す、、最早四ツ半、九ツ前」とのことですから、今の時間で言えば午後11時を回っていたでしょう。

以前PHPの歴史街道に「その日は晴れ、それとも雨」と言う記事を連載したことがありました(残念ながらすぐ打ち切りと相成りました。)。その中で「池田屋事件」を取り扱ったことがあります。
調べて行きますと、だんだんのめり込みまして、終いには酔って帰宅する時の路地で襲われそうな錯覚にとらわれ、「こう来たら、ああ逃げ、ああ来たらこう逃げる」などシュミレ―ションしながら帰ったものでしたが、今日も元気に暮らしております。

余談が、長くなってしまいました。
それでは、吉田東洋暗殺時の天気をお知らせいたしましょう。

晴天【厚岸】
朝より曇り【相馬】
天気よし、風アリ、寒し【院内】
辰巳風、快晴、凪【江戸】
テンキ、北風【玉村】
晴【豊橋】
晴【京都】
極天気【枚方】
雨天也【美祢】
小雨【小倉】
朝微雨後歇、午後微雨【小倉】
雨天【豊前】
曇天【高山】

となっていまして、天気概況を大まかに言いますと北日本から近畿地方までは晴れ、九州、中国地方は雨だったようす。
雨域は次第に東に進んで来ていますので、低気圧が雨域を伴って東進していた事が分かります。

肝心の四国高知市付近では、
陰天、晩方雲厚ク覆へ共雨ふらす、夜大暖【土佐市】とあります。

吉田東洋が暗殺された時刻の天気は、
雲が厚く垂れ込め、いまにのも降りそうな、むっとした天気だったようです。

飲んだ酒のせいで脂ぎった汗が額に浮いていたかも知れません。


翌 四月九日は、土佐市では、曇りで、午後四時頃からは低気圧の影響で、大雨、夜には風雨ともに強くなったようです。









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西郷勝会談 桜がすくった?江戸の町 慶応 四年三月十四日(1868年4月6日)

2010-03-06 13:56:57 | Weblog
 春一番が過ぎますと、次に待たれるものは桜の開花です。
盆栽の桜が咲きましたので、なんとなく心も浮き立って参ります。

そう言えば、桜の花咲く頃、重要な 会談がありました。
薩摩藩高輪屋敷の西郷と勝の会見です。
おかげで、江戸城は無血開城江戸の町は、火災を免れました。

西郷と勝の会談の日は慶応四年の三月十三、十四日の二日間で西暦に直しますと1868年4月5、6日にあたります。

 各種の日記から三月十四日のお天気デ-タをひろってみますと、
江戸の「幸若実日記」では、両日ともに晴天となっております。
また、板橋の記録がある「永井弘衛日記」でも両日晴
神奈川県生麦の「関口日記」の記載も晴天です。

各地のデ-タから天気概況を申上げますと、三月十三日は北日本を中心に雨や曇りとなっていて、おそらく北海道の北を低気圧が東進しそれ伴う前線が北日本を通過したと考えられます。

十三日の夜から十四日朝にかけて、北日本を中心に弱い西高東低型となり青森、函館で曇り、山形県川西町で雪となっていますが、江戸では低気圧の影響は少なく、十三日から次第に高気圧に覆われて十四日は春日和となった模様です。

翌十五日京都では「桜花微開」の記事がありますから、平年値で三日ほど早い江戸の桜もほころび初めていたことでしょう。
ちなみに十四日、四国の丸亀市では、15度となっております。

会談二日目は、春日和で、西郷さんの心持も良かったことでしょう。
江戸の町を救うために、高輪の桜が一役かったのかも知れません。


コメント (2)
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