幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

木の芽峠の雪 戊辰戦争鍋島藩士従軍記録より

2016-10-30 13:40:25 | Weblog

手元に表紙のない日記風の書物があります。




読み進めてみますと、戊辰戦争時の鍋島藩士の京都~新潟~江戸への行軍記録です。

裏表紙も立派で、それなりの地位を持った人の従軍日記のようですが、名前は分かりません。

鍋島藩士、某氏は慶応四年二月十七日に大津を発し、日記は始ります。

同十八日は雨天で、武佐で昼食、愛智川泊りです。途中の安川と愛川では川水が溢れて所々仮橋が掛けられていました。

十九日は晴天で長浜泊り、廿日も晴天で梁ケ瀬泊りです。

廿一日は今庄に抜ける予定でしたが、雪が深く荷駄と一緒に通行が出来ないため急遽、敦賀経由で遠回りするように通達がありました。


「翌廿一日今庄泊候筈之処、雪深ニ而、荷物其外運送揃通行難成ニ付、夜五ツ半時比我々敦賀泊り」


廿一日は通達通り「此道中平日ニハ中河内道路□処、雪深キ故敦賀え廻り道」しまして無事敦賀で泊りました。





廿二日は今庄までの行軍で、「直々木ノ芽峠大難渋、□□□山中之雪五六尺往来丈□切抜相成居」とあります。

慶応四年二月二十二日は、西暦で1868年3月15日です。この時期で木の芽峠の雪が150cm~180cmあったようです。
予定を変える程ですから、例年と較べてさぞかし積雪が多いことと思いますが、土地勘も無く全く分かりません(分かる方に御教示ください)

ちょっと前になりますが、長浜の林市郎経歴書に、慶応三年、坂本竜馬が福井から帰京する際に「折悪ク、雪中殊ニ深雪ニテ塩津ニ立寄事能ハサリシヨリ、已ム無ク西近江路ヲ経テ帰京セシ次第ナリ」とありました。
(余談ですが、京都や近江にの本堅田に初雪が降ったのは慶応十一月三年十一月三日ですから経歴書が正しいとしますと、竜馬は十一月四日以降に西近江路を帰京したことになります。十一月十五日に暗殺されますから、ほんと直前ですね。)

この史料からも、慶応三年暮れから、四年は琵琶湖北嶺の雪は深かったようです。

この積雪が戊辰戦争時の琵琶湖の膨張につながったのでしょうか。

ともあれ、大難渋して上った木の芽峠で、某氏は「峠之絶頂ニ太閤之茶釜有」とあり、秀吉公拝領の茶釜を見物したようです。

木の芽峠で検索をしますと、未だにこの茶釜は存在するようです。
行ってみたいのですが、木の芽峠はあまりに遠いので、せめて土瓶で燗をつけて雪深い木の芽峠を偲びたいと存ずる。













翌、戊辰の年は琵琶湖の湖水が膨張したのですが、次はこのあたりを調べたいと思っています。



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高津の雪 追記

2016-10-26 20:46:11 | Weblog
追記

八軒家絵巻様によりますと、、『滑稽浪花名所』シリーズを分担した芳梅、芳豊の活動時期が重なるのは安政4年・同5年の2年間である可能性ががあり、「高津の雪」がこの時期に描かれたかもしれない。とのことでした。

早速 安政4年・同5年のデ-タを調べましたが大阪のデ-タがありません。

そこで、京都や大阪近辺の積雪デ-タを調べて見ました。

雪だるまが出来る位の積雪があったと思われるのは、安政五年十二月五日の雪と
安政四年二月二日夜の雪です。


安政五年十二月五日の雪は、京都や大津で五寸の積雪を記録していますが、
晴天【田辺】、晴【鳥取】、雪晴【小倉】、晴【豊橋】、天気よし、尤朝少々宛雪舞【長野市】
などとなっていまして、京都付近のみの局地的な雪と思われます。
大阪に偶々滞在していた、四屋恒之の日記には天気が書いてありませんでしたので、大阪での積雪は
それほどではなかったのかと推測しています。


 次に、安政四年二月二日夜の雪ですが、京都では
曇天八ツ半時より雪降夜同断近年ニ無之雪降ニ候【京都】
晴、夕方より雪入夜四五寸斗【京都】
とあり、翌日には七寸程積もったことが知られます。
他の地域の様子を見ますと、
曇ル、九ツ頃より雪降【岡崎市額田】
雪積むこと六寸強【鳥居日録】【丸亀】
四ツ前より雪降、終日降積候【美祢】
殊之外大雪ふり申候、五寸斗もつみ申候【伊予市】
太平洋側のみならず日本海側でも、
(3日の日記)雪、昨夜三寸斗【鯖江】
(3日の日記)昨夜中より雪降五六寸積重、寒気つよし、四ツ頃より淡陰帯温、四ツ半頃より折々雨降る、、八ツ頃より淡雪等降かち【金沢】
となっていて全国的に大雪に見舞われたようすです。

肝心の大阪のデ-タが無いのですが、程近い池田市の【稲束家日記】には
2日の日記「曇未下刻より雪降近来大雪也。」
3日の日記「夜より雪降今朝ニ而凡五寸積近来稀成大雪也、千載松枝雪ニ而おれ候」
とあり、名物の松の枝が折れた程の大雪を記録して居ます。

高津の雪のモデルは、どうも安政四年二月三日の朝であったような気がします。
コメント (5)
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