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飢饉の年である天保4年の8月1日は、西暦では、1833年9月14日になります。
史料によりますと、江戸、神奈川など関東圏で、強風や大雨、高潮による重大な被害が発生ししました。
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また、強風域は北東方向に移動していますので、江戸付近を台風が通過したことは、間違いないと思われます。
それでは、台風が江戸を襲った前々日の天保四年七月二十九日の天気図を見てみましょう。
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となっていて、全国的にばらつきのある天気となっています。
翌七月三十日は、台風の影響が鮮明になってきます。
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天気は全国的に悪いのですが、北日本から北陸にかけて雨
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いよいよ、八月一日の天気ですが、まず台風の通過経路
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台風は中心に近い程風が強いので、風による被害の記事を見てみますと、
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となっていて、風による被害の記事は関東、特に現在の首都圏に集中しています。他の地方の記事では、大雨大風
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そこで台風は、海上を北北東進して来て首都圏を直撃し北日本の太平洋側に去って行ったのではないかと思われます。
天気図は八月一日の正午ころの想像図です。
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「昼過より西風ニ成」【新島】とありますので、お昼過ぎに新島付近を通過して、「晡前に反風は西よりし」【江戸】とあります。晡とは申の刻(ひぐれ)のことですので、午後四時頃に江戸を通過したことが分かります。
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新島から東京までは約160kmですので、台風の速度はざっと40km/時となります。
台風の強さは、
「石井方屋根少々斗吹散裏囲倒候斗木弐本倒、内海方土蔵上家吹飛、、諏訪社吹潰、、大木倒候分有之、、」
「宿内大破致候者多、荒宿百姓平助屋根防上リ居候処屋根之侭吹飛凡廿間も行即死致候、其外怪我致候もの多有之、、石井方屋根少々斗吹散裏囲倒候斗木弐本倒、」
とありますので、風力階級からいきますと、
風力10
「強風(ぜんきょうふう) / 暴風(ぼうふう)
Storm / Whole gale 24.5〜28.4m/s
48〜55ノット 内陸部では稀。根こそぎ倒される木が出始める。人家に大きな被害が起こる。 のしかかるような大波。白い泡が筋を引いて海面は白く見え、波は激しく崩れて視界が悪くなる。 」
よりやや強めなような気がします。おそらく中心付近は、30m/秒くらいの平均風速だったとおもいます。最大瞬間風速はおよそ、この1.5倍~2倍ですので、50m/秒くらいにはなったと思います。猛烈
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強風域は、「風雨四半時比より大風雨夕七時止」とありますので、約五時間強風が続いたとして、時間×速度で、5×40kmで直径200km
位だったかも知れません。(現在の強風域15m/秒よりは大分強い風の範囲のようです)
台風の去った後、北海道ゼンボウシ、生麦、江戸で高潮、高波が記録されています。
特に江戸では、
「昨夜風止みて後、潮波にわかにおこって邸(佐倉)を囲み、遠近の街くは水深きこと尺余にして関候邸は地が頗る低く、銅楼より望めば舟に乗って行けリ」
とあり、現在もありうる災害だとおもっています。
台風の後の北西の風は、大陸方面にあった寒気を呼び込み
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勿論、天保四年は、大冷害の年で太平洋高気圧の張り出しも弱かった
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蛇足ながら、色々天気史料を収集しておりますが、天保四年の飢饉以降、天気記事が多くなって来るよな気がします。
天保四年以来の天保の飢饉は幕末への転向点だったとも考えられます。
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