幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

天保4年8月1日(1833年9月14日)、強烈な台風首都圏を直撃

2014-11-23 12:02:10 | Weblog

飢饉の年である天保4年の8月1日は、西暦では、1833年9月14日になります。

史料によりますと、江戸、神奈川など関東圏で、強風や大雨、高潮による重大な被害が発生ししました。
また、強風域は北東方向に移動していますので、江戸付近を台風が通過したことは、間違いないと思われます。

それでは、台風が江戸を襲った前々日の天保四年七月二十九日の天気図を見てみましょう。



となっていて、全国的にばらつきのある天気となっています。

翌七月三十日は、台風の影響が鮮明になってきます。



天気は全国的に悪いのですが、北日本から北陸にかけて雨のところが多くなっています。台風から吹送する東南よりの暖風と大陸方面にある寒気との間に発生した前線の影響がありそうな気がします。また、江戸は晴れとなっていますが、「晴風、無程曇吹かけ雨両三度」【江戸】とありますように、台風周辺の、スパイラル状の雲による降水があった様子です。


いよいよ、八月一日の天気ですが、まず台風の通過経路を調べてみましょう。
台風は中心に近い程風が強いので、風による被害の記事を見てみますと、

朝天気辰南風追々強昼前より大風雨申より晴夜同、、朝より南風ニ而昼頃より辰巳風大雨大嵐宿内大破致候者多、荒宿百姓平助屋根防上リ居候処屋根之侭吹飛凡廿間も行即死致候、其外怪我致候もの多有之、、石井方屋根少々斗吹散裏囲倒候斗木弐本倒、内海方土蔵上家吹飛、、諏訪社吹潰、、大木倒候分有之、、上筋、六郷川共川々支【神奈川】

巽風雨天昼過より西風ニ成、夕方右辰巳大風雨ニ而所々屋根垣諸木風損【新島】

雨、此日は大風大雨ニ而水も大きニ出ル、さくもつも風にて吹たおす、朝六ツ半頃より八ツ時迄也【八王子】

出日はこう々たれども、乍ち雨至る。とせんにて園を掃えば、雨止み天又晴る。まさに午ならんとし、東風は雨を挟んで暴起して屋室を振揺し、林木は離披したく折顛覆し、完きものあるなし。南リはみな倒る。晡前に反風は西よりし、しょう刻にして風雨止み、始めて生意あり。、、、文政六年八月十七日夜の東南風に西隣の屋が倒れたるに比すればやや及ばざるが如し。しかれども余の園は東向し、暴を蒙ること殊に甚だし【江戸】

天明ヨリ五時比迄晴其後忽曇四時前より大雨無程小雨に成ル無程又風雨四半時比より大風雨夕七時止夜ニ入晴、、九時前大猛風雨八時比より夕七時前尤甚しく処々のやね、垣等破損に及ぶ、、夕七時比風雨止ムよほどきびしき暴風也、風ハ東風ニ候へども南風吹、、【江戸】

雨天、朝之内曇り、、巳刻より大東風ニ成雨降所々破損、南風強無程止、西之風ニ成、申刻頃初汐往還際迄来ル【生麦】

道より少雨,宅へ帰り大風雨、、大風雨,三十三間堂半分程倒れ候由、金吹丁,霊岸島其の外所々怪我人有之、根岸にて大なる松根より抜ける【江戸神田】

大雨列風、樹木少々ハ折る【御坂町】

となっていて、風による被害の記事は関東、特に現在の首都圏に集中しています。他の地方の記事では、大雨大風の記録はありましたが、具体的な、強風による被害は書かれていません。
そこで台風は、海上を北北東進して来て首都圏を直撃し北日本の太平洋側に去って行ったのではないかと思われます。
天気図は八月一日の正午ころの想像図です。



「昼過より西風ニ成」【新島】とありますので、お昼過ぎに新島付近を通過して、「晡前に反風は西よりし」【江戸】とあります。晡とは申の刻(ひぐれ)のことですので、午後四時頃に江戸を通過したことが分かります。

新島から東京までは約160kmですので、台風の速度はざっと40km/時となります。

台風の強さは、

「石井方屋根少々斗吹散裏囲倒候斗木弐本倒、内海方土蔵上家吹飛、、諏訪社吹潰、、大木倒候分有之、、」

「宿内大破致候者多、荒宿百姓平助屋根防上リ居候処屋根之侭吹飛凡廿間も行即死致候、其外怪我致候もの多有之、、石井方屋根少々斗吹散裏囲倒候斗木弐本倒、」
とありますので、風力階級からいきますと、

風力10
「強風(ぜんきょうふう) / 暴風(ぼうふう)
Storm / Whole gale 24.5〜28.4m/s
48〜55ノット 内陸部では稀。根こそぎ倒される木が出始める。人家に大きな被害が起こる。 のしかかるような大波。白い泡が筋を引いて海面は白く見え、波は激しく崩れて視界が悪くなる。 」

よりやや強めなような気がします。おそらく中心付近は、30m/秒くらいの平均風速だったとおもいます。最大瞬間風速はおよそ、この1.5倍~2倍ですので、50m/秒くらいにはなったと思います。猛烈な台風と言ってよい思います。

強風域は、「風雨四半時比より大風雨夕七時止」とありますので、約五時間強風が続いたとして、時間×速度で、5×40kmで直径200km
位だったかも知れません。(現在の強風域15m/秒よりは大分強い風の範囲のようです)

台風の去った後、北海道ゼンボウシ、生麦、江戸で高潮、高波が記録されています。
特に江戸では、
「昨夜風止みて後、潮波にわかにおこって邸(佐倉)を囲み、遠近の街くは水深きこと尺余にして関候邸は地が頗る低く、銅楼より望めば舟に乗って行けリ」
とあり、現在もありうる災害だとおもっています。

台風の後の北西の風は、大陸方面にあった寒気を呼び込み
岩手山初雪【岩手県災異年表】となって、現在の平年値より半月早い、岩手山初冠雪となりました。



勿論、天保四年は、大冷害の年で太平洋高気圧の張り出しも弱かったようですので、平年ですと九州あたりに上陸する台風が江戸直撃となったのかもしれません。

蛇足ながら、色々天気史料を収集しておりますが、天保四年の飢饉以降、天気記事が多くなって来るよな気がします。
天保四年以来の天保の飢饉は幕末への転向点だったとも考えられます。





















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小天狗亀吉、三井卯吉惨殺時の天気 安政四年一月四日(西暦1857年1月29日) その2

2014-11-12 21:02:36 | Weblog
 それでは、安政四年一月四日(西暦1857年1月29日)の天気図を見て参りましょう。



東日本や太平洋側は概ねはれで、北陸や東北地方の日本海側では雪となっております。

甲府は晴【甲府付近の天候表】

四日の風を見てみますと

寒気折々雪、、頻ニ烈風【弘前】
テンキヨシ、北風【玉村】
西風天気【新島】
晴、大西風【流山】
天気西北風昨夜より今暁マデ雪フル【銚子】
27度、朝より快晴終日天気よし西風ふく【水戸】

関東では「からっ風」となっていて西~北の風が強くふいています。

一月四日の天気概況を申しますと、二日の南岸低気圧に伴う降水の後、三日、四日と気圧配置が
「西高東低」型となり三日には、中国、四国、九州地方に寒気が入り。四日には北陸、東北、関東を中心に寒気が移流
したようです。
衛星雲画像があったらば、三日は筋状の雲が、中国、四国、九州地方から太平洋までかかり、四日は、日本海から北陸、東北の日本海側に掛かっていたと思います。


事件の翌日である、五日の天気図は、



となっていて、早くも次の低気圧の影響で中国、四国、九州地方に雪や雨が降っています。
関東地方の風も弱くなり、「西高東低型」は崩れております。

曇天西北風【銚子】
北風今朝雨少々曇天【新島】
ウスクモリ、東風吹【玉村】

さて、それでは四日夜の甲府の天気はどうだったのでしょうか。

五日の富山県氷見、新潟県巻町、青森県弘前市では朝から天気でしたから(西寄りの風が強いと日本海側は、曇りや雪になります。)、四日夜には西よりの風は弱くなっていたと考えられます。

そうしますと、甲府は晴れで、北西の風が止み、四日目の細い月が冴えていたと思われます。

あえて言えば、一月二日に降った雪が薄く残って居たかも知れません。

(ちなみに水戸の午前8時ころの気温は、二日-1.7度、三日-2.8度、四日-2.8度で気温の低い日が続いていました。)




同じような天気図で、同じような気温の日を、気象庁のホームペジからさがしてみましたが、
今年の一月五日の天気図が西高東低型で、水戸の午前8時の気温が-2.5度でした
そこで、この日の甲府の夜12時の天気を御参考に記します。


気圧 984.9ヘクトパスカル 気温1.1度   西北西 の風3.1m

事件の夜の、気温はもっと低かったと思いますがご参考まで。




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小天狗亀吉、三井卯吉惨殺時の天気 安政四年一月四日(西暦1857年1月29日) その1

2014-11-03 21:30:45 | Weblog
リクエスト頂きました。
安政4年一月四日、甲府の天気を調べて見ました。
「当日は、甲府で勢力をもっていた博徒頭・三井卯吉(猿屋勘助)が甲府の山田町の妾宅で殺されました。下手人は市川大門の無宿小天狗亀吉と総勢11名。卯吉の遺体は妾(”しも”という名)と共に五体バラバラに切断され、言い伝えでは、亀吉は門松に隠して卯吉の首を持ちかえったとのことです。」(与左衛門様より御教示頂きました)

とにかく、大変陰惨な殺戮だったようです。
絵金の屏風を思い起こさせる光景ですね。www.muian.com/muian04/04ekin.htm

ともあれ、当日の天気を予想して見たいと思います。

安政四年の元旦(西暦1857年1月26日)の天気図をみますと (天気図が小さくて、すみません。)

となっていて、全国的に穏やかな天気でした。

水戸の大高氏記録によりますと、「朝より至極快晴ニ而寒気殊之外つよし辰巳之方ニ薄横雲すこしあり、終日穏にて、九ツ過より少暖気風なり、夜ニ入くもる」とありまして、朝は放射冷却があり、気温が下がったようですが、おだやかな年明けとなった模様です。


安政四年一月二日は、



となっていて雨や雪、雷の印が日本の南岸に散らばっています。
正午ちかくの天気図ですが、天気の動きが分かりにくいので、各地の降水を追っていきますと、

鹿児島県 肝属郡高山では「霰天」
熊本県阿蘇郡南阿蘇村では「雪降風吹寒強シ」
山口県美祢市では「天気寒シ、雪降出」
京都では「晴、申半刻(夕方4~5時頃)ヨリ雨」
愛知県岡崎では「快晴、夕方より曇ル、夜入雪」
東京では「晴、、、同夜半より雪大分降」
八王子では「曇、此夜雪六七寸程ふる」

とありますように、本州の南岸を通過する、俗に言う「南岸低気圧」の影響で、九州で日中の降水が、段々東へ移動し、関東では二日夜半から三日暁にかけて、にかけて30センチ弱の雪が降った模様です。
この降雪が甲府では、どうだったのかが気になる所ですが、曇、晴【甲府付近の天候表】とあるだけで、史料が十分でなく、はっきりしません。

安政四年一月三日の天気図をみますと

となっていまして、低気圧通過後東日本は天気が回復したのですが、近畿、九州、四国地方には強い寒気の流入があったようで、雪や曇りとなっています。関東地方では寒気の流入を感じさせる、強い西風が吹いています。

いよいよ、安政四年一月四日の天気となりますが、大分長くなって来ましたので、すこし御休みをいただきます。





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