幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

池田屋事件 梅雨明けとともに、蛤御門の変 太平洋高気圧の中

2008-10-01 20:30:54 | Weblog
篤姫も来週は「蛤御門の変」のようです。
そこで、今回は池田屋事件から蛤御門の変までの天気をたどって行きたいと思います。
元治元年六月五日(西暦1864年7月8日)池田屋騒動のあと、梅雨明が明けました。当時気象庁があったとすれば、京都の梅雨明け宣言は六月六日だったと思われます。事件の翌日晴天の中を屯所に引き上げる近藤勇が北の空を見上げれば、そこには北上しつつある、梅雨前線の後姿が見えたことでしょう。
京都のその後の天気を佐久間象山の日記から見てみましょう。
6/6、6/7暑90度、6/8、6/9、6/10朝間微雨、6/11、6/12、6/13、6/14朝冷70度を減ず、6/15、6/16暑90度、6/17微陰、6/186/19微雨あり、6/20、6/2191度、6/22(二條家御番所日記)、6/23、6/24、6/25、6/26、6/27、6/28暑気90度、6/2992度、7/192度、7/2午後、7/3、7/4、7/5、7/6、7/7朝涼78度、7/8(二條家御番所日記)、7/9晩間、7/10暑気朝間既に93度に及ぶ。
ここで佐久間象山の日記は終わります。翌七月十一日木階宮参殿途中に三条木屋町で象山は暗殺されてしまいました。ちなみに温度は華氏で華氏90度は摂氏約32度です。蛤御門の変までの京都の天気は、「二條家御番所日記」に乗り換えます。  7/11、7/12、7/13、7/14、7/15、7/16、7/17、7/18(朝彦親王日記)
 そして「蛤御門の変」当日、元治元年七月十九日(西暦1864年8月20日)の京都の天気は「晴、炎暑甚」しかったようです。当日の風は日本列島全般に北風であり岩手県花巻で「大北風吹」、千葉県銚子市で「東北風」、和歌山県田辺市で「北風強」などの記述があります。京都も例外ではなく若山要助日記に「晴、、北風烈、、段々と南へ焼下り」とありますように、京都では強い北風のため、事件によって起こった火は、北から南へと燃え広がり、翌二十日の午前九時ころ漸く鎮火しました。
 池田屋騒動以来京都では晴れで暑い日が続き、蛤御門の変もまた元治元年の太平洋高気圧の下で戦われたのでした。  

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2 コメント

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佐久間象山って (くり1000)
2008-10-02 23:35:20
地震の予知器みたいなのつくってましたよね。
地震防災マニュアルというソフトをつくってたときに、写真を見たことを思い出しました。

なかなか貴重な幕末のお天気レポートですね。
データにストーリーがあるのがおもしろい。

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儒学者とは (いろは丸)
2008-10-11 09:35:20
コメント有り難うございます。
佐久間象山も一応儒学者なのでしょうが、何でも屋ですね、他の儒学者も得意不得意はあるにしても何でもやっている先生方も多いようです。学者の日記を読んでますと、かえって今、学問が文系、理系に分かれているのが不思議な気がします。誰が何のためにわけたのでしょうか。分かりません。
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