幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

富士宮市の袖日記

2019-01-27 22:35:53 | Weblog
富士宮市に「袖日記」と言う日記があります。
面白い記事が沢山載っています。少しご紹介します。
皆さんも読んで見てください。



蒸気船の海城王、下に申付、しきりに日本のコメを借りたき由を申付る時ニ、
水主壱人帆柱の上ニあがり、遠目鏡を以て遥ニ安房、相模、上総の方を見渡し、
王の前ニ出て申けるハ、日本ニハ米ハ御座りませぬと申。
王申ニ米が有か無か、遠目鏡くらひで見究らるべきや、何故ニ左様申スと咎めける時、
水主の申ニハどうあっても日本ニ米ハ無ニ違なく候、
其訳ハ総房之台場其外諸大名の陣中も残らずみなアワを喰ふておりまする



異船より書翰候処、
其内ニ 不二山と鷹と茄子と書てあり、
江戸中ニ評定届ず京都へ向ひ伺ひ候処、
是ハ倹約と唱へて民を苦しむる事を異国よりさみしたるなりと禁庭仰候て 
御歌被下   

  それニ鷹 あまり倹約茄子故ニ 三国一のふじのさいなん 


おあとが、宜しいようで
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オ-ルコック 老中公式訪問日の江戸の天気 安政六年六月七日(1859年7月6日)

2019-01-01 13:09:00 | Weblog


 オ-ルコック 老中公式訪問日は、安政六年六月七日(西暦 1859年7月6日)とのことで、天気は如何だったのでしょう。
現在の平年値では、東京の梅雨入りは6月8日ごろで、梅雨明けは7月21日ごろです。
おそらく、安政六年六月七日の江戸の天気は梅雨前線が関与していたと考えられます。

天気分布図がうまく行かず、申し訳ありませんが、安政六年六月五日には九州四国近畿北陸を中心に雨域が分布していて、
翌六月六日には、東海、関東、東北、北海道に雨域が広がり、九州、四国、近畿は晴又は曇りとなっております。
雨域は低気圧と連動していると思われますので、五日から六日にかけて(梅雨前線上を)低気圧が東進したと考えられます。
通常の季節ですと、低気圧一過の後は晴れ上がりそうなものですが、居座った梅雨前線の影響で全国的に天気は不安定だった
模様です。
梅雨前線の位置が確定しにくいので、六月七日の江戸の天気記事を集めてみますと、

朝雨、後晴【村垣公務日記】【江戸】
晴、夕より雨【梅若実日記】【江戸】
曇、七ツ時より雨ふる【尾崎日記】【八王子】
朝雨四前止、晴る、、夜雨【齋藤月岑日記】【江戸】
 となり総合しますと、
朝は雨降りで9時ころ雨があがり、晴れたが午後5時ころから、また降り出し夜も雨だったと思われます。

気温については江戸の史料がありませんが、水戸の大高氏記録に、朝五ツ時の記録があります。
 6月3日70度、 4日73度、 5日68度、 6日73度、 7日記録なし、 8日70度、9日73度、となっていてほぼ安定しております。
平均しますと 約71度で、温度は華氏ですので摂氏22 度位になっています。
特に天気や気温の急変はなかったようですので、江戸の気温もほぼ似たような傾向だと思われます。
現在の7月の平年値では水戸より東京の方が1.5度ほど気温が高いので、推測しますと、
江戸での7日の午前9時ころの気温は摂氏21~25度位だったのではないかと思います。

 風につきましては、手持ちの江戸の史料がないので、近隣の史料を集めてみますと 
北気ニ而陰、後ニは南ニ替り時 夜ニ入陰、雨降【浜浅葉日記】【横須賀】
小雨昼比より半晴南風【吉野家日記】【流山】
南風【玄蕃日記】【銚子】
坤風雨天【新島島役所日記】
となっていて、江戸でも昼過ぎには南風になっていた可能性が強いと思われます。

はっきりした史料がなく、傍証での天気予想になってしまいましたが、

安政六年六月七日(西暦 1859年7月6日)の江戸の天気は
【朝は雨降りで9時ころ雨があがり、気温は摂氏21度~25度で、後に晴れてきました。
風は昼頃から南風となり、午後5時ころから、また雨が降り出し、夜も雨だったと思われます。】

この日あたりは、全国的に御天気が変わりやすい傾向にありました。
(上の天気分布図は、安政六年六月七日のものです)










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