幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

玉子も鍋も割れる寒波 (嘉永六年一月十九日、二十日)

2014-07-01 21:55:32 | Weblog
1853年の昼の気温と現在の昼の気温を比較してみました。



暑さは、7月、8月、9月と三ヵ月連続で現在の平年値を超えています。やはり、ペリーが来航した、嘉永六年の夏は暑かったことがわかります。

(暇でしたら、当ブログ ペリー来航の夏を御覧下さい。

ところが、この年の一月十九日と二十日に強い寒波が日本列島を襲った様子です。

埼玉県志木市の【星野半右衛門日記】によると

薄曇り、昨十九日、今日、両日近年稀之寒気強ク、所々ニ而玉子割レ而、鍋抔も割レ候よし

とありまして、稀な強い寒気のために、玉子や鍋が割れたとあります。

また、程近い立川でも

快晴之所、午時より陰ル、余寒烈敷事、寒中不及、茶わん手水はち等砕け、鶏卵割而三日之連雪百年已来覚なしとの評判、余寒も同断、春雪ニ而降なから消るといえとも平地積る事壱尺弐三寸也、、
大雪中、山谷所々迷ひ歩行両足片手雪ニ而こけ腐爛いたし右疵ニ而相果昨日葬送、下谷保ニ而も主人雪ニここえ死去いたし候由、関東ニ而は珍敷事也

とあり鶏卵、や茶碗、手水鉢などが割れたと書かれております。
また、時ならぬ大雪で道を失い凍傷にかかり落命したものや凍え死んだものもあったと述べられています。

もちろん、天気図は西高東低の冬型です。

実際に各地の朝の気温を調べますと

十九日
沼津では24度(最低温度近く、摂氏-.4.4度)
水戸では26度(寒暖計朝五ツ時をしるし申候、摂氏-3.3度)
江戸では、朝20度(摂氏‐6.7度)

二十日
沼津では24度(最低温度近く、摂氏-.4.4度)

水戸では30度(寒暖計朝五ツ時をしるし申候、摂氏-1.1度)
江戸では、朝22度許(摂氏‐5.6度)

となっていて、最低気温は江戸で-7度位にはなったであろうと思われます。

このごろ、異常気象とか言って大騒ぎをしていますが、幕末には東京で1mちかくの雪が降ったこともあり、またこの日には、立川近辺では、吹雪に迷い凍死人がでています。

まるで、八甲田山の彷徨のようですが、事実です。

今年の大雪もそうでしたが、なってから騒ぐより、事前に史料から謙虚に学ぶべきだと思います。
コメント
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