なるほどと思った方は、相当歴史好きな方でしょう。
種明かしをいたしますと、
除夜の鐘が鳴ったのは、明治5年12月2日で、
新暦にしますと、1872年12月31日となります。
月給制の明治政府は閏月の給金の支給をしないように
太陰暦から太陽暦に移管したとされています。
東京都国立の南養寺の【寿山和尚日記】によりますと、
「二日、晴、内外大掃除、歳神棚祭、本堂尊厳、餅備之事、
家来立川遣ひニ遣ス、除夜ニ付百八声也
十二月三日ヲ以て一月一日と改る」
とあります。
廃仏毀釈の折ですが、歳神棚を飾った後
除夜の鐘を打ったのでしょう。
ただ、同じ「除夜の鐘」でも「太陰暦の除夜の鐘」
と「太陽暦の除夜の鐘」とでは一ヶ月近くの差があります。
冬、真っ只中に鳴る、今の「太陽暦の除夜の鐘」とちがって、
「太陰暦の除夜の鐘」とお正月は、確かに春を告げる合図だ
ったと思います。
種明かしをいたしますと、
除夜の鐘が鳴ったのは、明治5年12月2日で、
新暦にしますと、1872年12月31日となります。
月給制の明治政府は閏月の給金の支給をしないように
太陰暦から太陽暦に移管したとされています。
東京都国立の南養寺の【寿山和尚日記】によりますと、
「二日、晴、内外大掃除、歳神棚祭、本堂尊厳、餅備之事、
家来立川遣ひニ遣ス、除夜ニ付百八声也
十二月三日ヲ以て一月一日と改る」
とあります。
廃仏毀釈の折ですが、歳神棚を飾った後
除夜の鐘を打ったのでしょう。
ただ、同じ「除夜の鐘」でも「太陰暦の除夜の鐘」
と「太陽暦の除夜の鐘」とでは一ヶ月近くの差があります。
冬、真っ只中に鳴る、今の「太陽暦の除夜の鐘」とちがって、
「太陰暦の除夜の鐘」とお正月は、確かに春を告げる合図だ
ったと思います。