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霊憲候簿 で江戸の正午の気温を追いかけて、現在の平年値と比較してきましたが、水野老中の改革の余波でしょうか、はたまた火事にでもあったのでしょうか、
天保十三年二月二十一日から天保十五年二月四日まで気温の記録が途絶えてしまいます。
どうしようもないので、天保十五年から気温の比較を再開いたしましょう。
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天保十五年もまた、現代と比較しますと平均で2,1度ほど寒冷であったことがわかります。
やはり天保は寒かったようです。
天保十五年といえば、飯岡助五郎と笹川繁蔵の大利根河原の決闘
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そんな中で、天保十五年五月十日(1844年6月25日)水戸藩の藤田東湖に日記によりますと、
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まだ暗い午前四時の火事です、消火活動も十分ではなく
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ともあれ、江戸の大火
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九日
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十日
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となっていて、梅雨の最中で連日の雨、しかも火災中は滂沱たる大雨だったことが分かります。
気温は15~19度くらいで、弱い北風がふいていたようです。
油断があったのでしょう、大雨の中の大火、ちょっと珍しい情景です。まったく火災は恐ろしいですね。
というわけで
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写真の牛の絵は、出羽三山を厚く崇敬する人々に火難が生じると どこからともなく神牛が現れ火煙の中を駆け回り火を消すと伝えられ[火伏せの牛]として崇められているお札です。
かく言う私は,修験道羽黒派山伏 健澄 でござります。
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