幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

泣いて昔が返るなら 「唐人お吉物語」

2013-11-03 21:34:23 | Weblog
「 泣いて昔が 返るなら、なんで愚痴など言うものか 」

御存じ「お吉物語」出だしですが、先日「唐人お吉絵物語」が出てきました。
父か祖父あたりが下田に観光して買ってきたものでしょう。

あまり詳しくなかったものですから、興味深く読みました。この絵葉書物語のあらすじを言いますと、

お吉には鶴松という恋人いましたが、下田奉行所の伊佐信次郎に説得され、

ハリスのもとに駕籠で通います。安政四年五月二十二日のことでございます。

ハリスの寵愛をうけますが、心は晴れません。

ハリス帰国の後は、「安直楼」と言う、遊女屋など開いたりしますが、酒に溺れみを持ち崩します。

晩年のお吉はあわれで、ついに稲生沢川の淵に身をなげて50歳の数奇な生涯を終えたのでありました。

「 花のいのちは 一度だけ,よしておくれよ気休めは 」

お吉の生涯で、良くも悪くも、人生が最も輝いた日は 駕籠でハリスの下に上がった、安政四年五月二十二日であったろう。
その日はどんな天気だったのだろうか。

安政四年の五月二十二日は、西暦で言えば1857年の6月13日で、現在の東海地方の梅雨入りの平均値が6月8日ですから、梅雨前線の位置が気になるところです。

事実、 関東、東海の天気は、安政四年の五月十七日ころから、曇りや雨の日が続き梅雨入りを思わせます。
五月二十一日の正午頃の天気図を見ますと、
となっていて一見晴れのところが多いようにみえますが、各地の日記には時々雨とか朝雨降、大雷といった、記述が多く天気は不安定だったことが分かります。

お吉が玉泉寺に上がった、二十二日の天気図は、

となって、やはり天気が良いように見えますが、

朝霧、後晴天、昼夜時々ばらばら雨、、松魚贈る、、躑躅一輪咲始【江戸】

などとありますように、やはり天気は不安定でした。当日水戸近くでは、

入梅、65度、今日ハ小場石塚戸崎辺ひやうふり青きものハ無之由、壱ツ目方弐十目有之候よし梅干位之よし、、朝きりふるむしあつし、朝之内少々雷声九ツ半時俄ニ雷雨直ニ止快晴、七ツ半時より又々雨ふり【水戸】

とありますように梅干し位の大きさの雹がふるほどで天気は不安定でした。(ちなみに、水戸では午前8時頃の気温は摂氏18度位でした。)

あえて、お吉の玉泉寺に行った時の天気を想像しますと、雨があがって晴あがり、遠く近くに山つつじの花が鮮やかに咲いていたのではないかと思います。

翌日になって、梅雨前線がさらに南下した模様で、天気は本格的に回復します。



空は晴れ上がりましたが、お吉の心中は如何だったでしょうか。
人の心は、天気図のようには参りませんなあ~。





コメント (2)
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