幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

安政五年 コレラ流行の期間

2020-04-25 18:45:45 | Weblog
大変な世の中になってしまいました。
コロナの収拾は何時になるのでしょうか。飲み屋も閉まってしまいました。
そこで、安政五年に流行したコレラの流行期間を調べてみました。
何の御役にも立たないでしょうが、書き溜めていた安政五年のコレラ年表を出してみました。


    旧暦月日   新暦月日
安政五年 7月16日 8月24日 コレラ病段々致流行、於御国元も川副辺、三四百人、市中二百五拾人余、御家中ニも、、数十人死人有之候事、、右之通流行頻ニ有之候付、予防之薬カミルレ三拾三匁、其後十匁両度代品方ヨリ買取相用候事【伊東次兵衛出張日記】【佐賀】
安政五年 7月22日 8月30日 近在急病多く、村々葬式たへず、一時殺シ冒暑と云病とも申、又ハコロリと申、廿日吉原ニて畑ニて鍬を取ながら倒死ス、廿一日富士川船頭、梶を取ながら倒死ス【袖日記】【富士宮】
安政五年 7月29日 9月6日 水府御家来之風聞付、さはぎ有之候、、七月末より頓死のもの多し、八丁堀辺殊ニ多し、疫病なるへし【齊藤月岑日記】【江戸】当年ハ市中別而大不景気商ひ一円無之【大高氏記録】【水戸】
安政五年 8月1日 9月7日 八月頃より、とんころりト唱へ俄ニ病気差発り、一、二時、半日、一日迄ニ死去大阪ニ而ハ大流行、、六月七月へかけ大阪ハ無少当所池田辺多く由、、前代未聞之病気【天保以来永代記】【伊丹】国々村々湿霍乱又暴瀉病と云う、死する者多し、又惣身に小痘を発する者十人に八、九人【指田日記】【武蔵村山】
安政五年 8月7日 9月13日 此頃永代橋の上、一日に葬禮六七十、浅草御門九十程通り候由【齊藤月岑日記】【江戸】
安政五年 8月8日 9月14日 しからきの前葬禮四十人余通り、亀の尾の前廿五と云也【齊藤月岑日記】【江戸】
安政五年 8月9日 9月15日 コレラ。一日の死者蓋,百千人也【江木鰐水日記】【江戸】
安政五年 8月13日 9月19日 此節江戸表にてころりと申病気流行ニ而一日か二日腹痛いたし相果候よし、一日ニハ弐百人余ツツ相果候よし【大高氏記録】【水戸】
安政五年 8月14日 9月20日 厄病流行に付き、、御祈祷【出石藩御用部屋日記】
安政五年 8月16日 9月22日 コロリと云病弥はやる、葬禮夥し、すだ丁通日々五十口六十口其余も通る、永代橋、柳はしナド殊ニ多し【齊藤月岑日記】【江戸】
安政五年 8月17日 9月23日 此の節、府内疫邪、殊に夥しく日々死する者千人余、煩う者三日を過ぎずして死す、世俗是れを三日コロリと名づく、是れに依りて村内百万遍、又神明拝殿で日待【指田日記】【武蔵村山】
安政五年 8月20日 9月26日 フランス真福寺着、、病死、、フランス人ニも有之よし【齊藤月岑日記】【江戸】上方筋より流行六月末より七月中上方流行致候此節東海道筋大流行【大高氏記録】【水戸】
安政五年 8月22日 9月28日 七月下旬より急病ニ而死ニ人多く日々五六百人程死焼場ニ死人積候様子申来ル、世に三日ころりと申候【高木在中日記】【京都】
安政五年 8月23日 9月29日 幕府コレラの治療予防法の冊子を頒布【再現日本史】夜父流行コレラニ付【久保松太郎日記】【萩】9/1父病気快シ二三日追々快シ。フランス鎌倉河岸へ徘徊せし由、、葬禮通行少し減候由【齊藤月岑日記】【江戸】
安政五年 8月24日 9月30日 江戸中、当月十日迄死人書上四万八千人余のよし、今月末の書出弐十六万人程と申す【大高氏記録】【水戸】
安政五年 8月26日 10月2日 近頃異国より渡候由に而霍乱之様成病に而至(急に)取詰死に及候症、長崎辺、東海道、小田原辺、近国に而は豊岡等流行いたし一日或は半日位に而死候由豊岡等は十日程之間に百五十人斗も死候由之噂也、当所に而も、、両人、、死候【宮津山王社家日記】通り町葬禮百人余通リ候由、未病人減せす【齊藤月岑日記】【江戸】上方筋諸国ころりと申病気流行致風分御座候ニ付大般若経祈祷候段申出候ニ付西願寺へ相頼出来申候【村諸日記】【伊予市】
安政五年 8月27日 10月3日 放生津等ニ変流行多分即死の様子、、異国船の所為ニ候哉【応響雑記】【氷見】?    当八月上旬より関東ニて狐風又は三日風とも云やまい大きニ流行同下旬半田辺ニも大大きニ流行、此時関東ニて薬用ひ候へば夫より人死ス 右之薬法、、【梶川嘉市日記)【碧南市】
安政五年 8月28日 10月4日 三日ころり、、江戸ニも三百人余死候、、金沢辺もおいおい流行、本吉抔ハ毎日十人余充死、、きらず(豆腐から)汁ニ梅干し一ツ入テ喰ス、甚心易事ニ而此流行病を遁レ候由【応響雑記】【氷見】
安政五年 8月29日 10月5日 殿様昨夕方より少々御吐瀉、、今朝ハ大分被遊御相応、、【浦日記】【萩】
安政五年 8月30日 10月6日 トンコロリ、、浦戸辺迄来れりとて、、此頃異国ノ軍艦来るナドと流言し、米穀ハ高直ニ成り、トンコロリハはやる也【真覚寺日記】【土佐市】生肴を喰ハ死スと言て肴を不喰、色々施薬有之且又焼酒を呑ハ病不発と言【高木在中日記】【京都】疫をはらふ為所々に神輿、獅子頭等をわたくしに持出、町々を渡す【齊藤月岑日記】【江戸】稀成悪病流行いたし、、八王子等ニも少々ツツ有之様子【尾崎日記】【八王子】
安政五年 9月1日 10月7日 妖病流行、、張置てよし其文字ニ日  蘇民将来子孫 、、右五字、、疫病除の第一の防ぎ【晴雨日記調】【大津】七月廿七日より八月晦日迄、流行病にて死人寺院より付出左之通、、一、徳隣寺 拾人内四人女、、以上五百人、内百九十八人女【浦日記】【萩】
安政五年 9月2日 10月8日 梁川星巌(70)コレラで没【再現日本史】京市中流行病ニ而死人多分有之【高木在中日記】【京都】
安政五年 9月3日 10月9日 近頃三都共異病流行に付品々の薬方或はまじないつ守護御神名薬方左ニ  奥洲仙台岩沼 武隈太明神宿  又日  釣船清次宿  又、、【晴雨日記調】【大津】所々神輿、獅子頭等出す、神社よりハ借さず、仏師或ハぬしやニ而借りる也【齊藤月岑日記】【江戸】当時江戸流行病ニ而死去、町内近所迄見舞延引いたし、我ら方ニ而も当日見舞差扣へ申候、、江戸市中壱日ニ凡弐千人ツツも死去之由【大沼日記】【駒ケ根市】守護神、、奥州仙台岩沼、武腰大明神宿【晴雨日記調】【舟木】
安政五年 9月4日 10月10日 梁川星巌(70)没。右異病ハ三四十ねんめに一度ヅツ流行するよし【晴雨日記調】【大津】九月四日比よりコロリと申す病気大流行、直ニ病死也、長崎より初メ大坂江戸別而多シ、当四国ハ高松城下始リ一日ニ弐百人程ツツ死ス、未当所ニ而少々御座候、、あらかじめ是をふせぐに都而身を冷すことなく、腹には木綿を巻き大酒、大食を慎ミ其外こなれ難き食物一切給申間敷候、若此症催候ハハ早々寝床入飲食を慎ミ惣身温め、、まじないのうた      梅か香は 其木ばかりに香りして 余の木のえだに うつる かもなし       天がした 神のみすゑの 国なれば 光れるふしの さわりもあらまじ【塩屋記録】【伊予市】 
安政五年 9月7日 10月13日 異病除の薬方、、触之、、【晴雨日記調】【大津】
安政五年 9月8日 10月14日 此節至テ流行ニて萩ニて九百五十八人死去之由【久保松太郎日記】【萩】
安政五年 9月9日 10月15日 御停止中候へ共、町々軒ちやうちん疫除の為私につるす【齊藤月岑日記】【江戸】
安政五年 9月12日 10月18日 江戸表流行病今以退散不致、此節房総辺より日光道中草賀越谷辺江戸海道ハ取手迄有之候よし【大高氏記録】【水戸】
安政五年 9月13日 10月19日 三人五人集りたる所ニトンコロリノ咄しなくハなし【真覚寺日記】【土佐市】
安政五年 9月14日 10月20日 、異病流行の沙汰今甚敷といへども京阪など大分静に相成候よしまた江戸又東海道筋なども大いに打止ミ候よし【晴雨日記調】【八幡】
安政五年 9月16日 10月22日 江戸、、悪病流行、、【萬日記抄】【三戸】下町辺えハころり参候由【大高氏記録】【水戸】
安政五年 9月19日 10月25日 江戸表流行病此節退散致候由、続而郷中より人出市中群集致候【大高氏記録】【水戸】
安政五年 9月20日 10月26日 高知、、トンコロリにて死去ノ男女九拾五人、今病中の者八拾三人有由【真覚寺日記】【土佐市】
安政五年 9月21日 10月27日 商ひ向古今不景気【大高氏記録】【水戸】
安政五年 9月24日 10月30日 流行暴瀉ニ而死去、、年久しき俳諧親友はかなき次第【応響雑記】【氷見】
安政五年 9月25日 10月31日 暴瀉病よほと流行【応響雑記】【氷見】
安政五年 9月27日 11月2日 流行病大方止む【齊藤月岑日記】【江戸】
安政五年 9月29日 11月4日 此節迄ニ流行病にて町中ニ七拾人余病死仕候由、別而湊町ハ多く死し候と申事【応響雑記】【氷見】
安政五年 9月30日 11月5日 江戸表も流行病よほと薄ク相成候よし【大高氏記録】【水戸】
安政五年 10月2日 11月7日 九月朔日より同廿四日之分、寺院より附出左之通、、一、八人 内女三人 端坊、、〆三百三拾五人 内男百九十人、女百四拾五人【浦日記】【萩】
安政五年 10月8日 11月13日 江戸表ニて芳潟病ト申疫病流行致人四十何万人程病死の由、依之殿様ヨリ右疫病治療の法書御下シ、御郡中御触出被仰付候、大行院へ御祈祷被仰付家別切札引渡ニ相成申候【永宝日記】【鯵ヶ沢】
安政五年 10月11日 11月16日 甲州一めん小唄流行       よさこいよさこい   此歌流行ニ付、当病も流行致スならんと、甲州市川其外村々名主より此唄を禁じ候よし【袖日記】【富士宮】
安政五年 10月15日 11月20日 当八月中ころり病にて死候名家、  俳諧、過日庵祖郷 書家、市川米庵 名妓、稲本楼小稲  狂句、緑亭川柳  景画、一立斎広重 狂歌、燕栗園千寿  著述、柳下亭種貞  軍談、一龍斎貞山  俳諧、猩庵西馬  書家、大竹蒋塘  画家、英一笑  狂歌、六朶園二葉  戯作、楽亭西馬  落話、鈴々舎馬風  俳優、嵐小六  音曲、竹本児玉太夫  画工、立川国郷  音曲、天狗連魚辰  音曲、常磐津須磨太夫  、、、他多数【大高氏記録】【水戸】
安政五年 10月25日 11月30日 流行病此頃は相止む当町中に而死候者凡三十人斗也江戸は殊之外流行候而寺院より書上候書付日数五十五日之間十人以上葬候数四十壱万八千百六十七人余古今未曾有之候事也【宮津山王社家日記】
安政五年 10月29日 12月4日 八月より諸国一般、、流行、、頓コレラ【大変略記】【福島濱】当年流行病市中死亡之分、惣括り付出左之通、、流行病ニて死去仕候者、惣町人数高三百四拾弐人、内弐拾九人支配違之者、一同快気仕候者惣町人数高四百八人、、一、当年流行病諸郡死亡之分、惣括り付出左之通、、川島庄 男三拾壱人、女拾四人、、惣合、千五百九拾八人、内男千拾五人、女五百八拾三人 以上【浦日記】【萩】
安政五年 11月1日 12月5日 山王下参籠流行病之願済也【宮津山王社家日記】


総括してみますと、安政五年のコレラは、旧暦6月頃より長崎付近から始まり、10月頃までで収束したようです。
江戸の流行は、七月頃より始まり、九月末ごろで終わったようです。

概ね三か月ですが、翌六年には変異したと思われるコレラが再び流行します。
コメント (4)
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大山鳴動してマスク2枚

2020-04-02 22:01:01 | Weblog
 一人10万円づつ貰えるかと思いましたが、
マスク2枚とは、恐れ入りました。
 ヘヘ~っ
 がへ~ 


画餅と思っていましたら、
なんと、十万円貰えそうです。
マスクはやはり小さくて使いにくいです。
マスクはやめて、十万円に500円足してもらえれば
良かったです。
コメント
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