先日、日記を求めました。
野州都賀郡真弓村の田中政之助氏の書いた日記です。
天保14年、弘化1、3、4年、嘉永2、3、4、5、6、7年の10冊あり中には毎日の天気と人の出入り、米や麦の相場が書かれています。
時々書いた人の名前や住所が分からない日記があります。書いた本人にとっては当たり前のことであり書く必要が無かったのでしょう。
実は、私もこのような日記を二つ持っております。両方とも天気や地震の記事がありますから、類似する記事を探すことによって、書かれた場所はだいたい推測できます。
幸いに今回の日記は書いた人物と場所がはっきりしています。
真弓村は現在の栃木県下都賀郡大平町真弓です。
次に問題になるのが、日記が本物かどうかですが、私は次のやり方で調べます。
①紙の質や経年のよごれ、虫のナメなどが時代相応のであるか。
②日記の月の大小や、閏月が正しいかどうかを確かめる。
(よく冊子の場合、冊子が壊れて、前後の年代の一部が紛れ込んでいる場合があります、例えば吉川好文館から出ました鷹見泉石日記にもそのような箇所があります。このような場合月の大小、閏月そして天気や地震の記述が周辺の日記とあわなくなります。)
今回の日記は①②ともにOKでした。
③日記の天気を辺りの日記の記事に合わせて合っているかどうか。
この作業を実際に田中政之助日記で行って見ますと、
天保14年の旧暦の2月太平町で降水のあったと書かれている日は、2月2、7、9、13、14、16、17、24の8日です。
一方、栃木県真岡市での降水は、2月、14、17、24日。
江戸では、2月2、13、14、16、21、24日です。
日記により天気の記事が詳しい場合と大雑把な場合があり、大雑把な場合は一時的な雨は書かれていませんから、これらの日記にの天気には強い相関関係があると言えるでしょう。
したがって、田中政之助日記は信用できる史料だと思っています。
日記には時々面白い記事もあります。
天気記事をデータベースに入力しながら、時々紹介してまいります。
野州都賀郡真弓村の田中政之助氏の書いた日記です。
天保14年、弘化1、3、4年、嘉永2、3、4、5、6、7年の10冊あり中には毎日の天気と人の出入り、米や麦の相場が書かれています。
時々書いた人の名前や住所が分からない日記があります。書いた本人にとっては当たり前のことであり書く必要が無かったのでしょう。
実は、私もこのような日記を二つ持っております。両方とも天気や地震の記事がありますから、類似する記事を探すことによって、書かれた場所はだいたい推測できます。
幸いに今回の日記は書いた人物と場所がはっきりしています。
真弓村は現在の栃木県下都賀郡大平町真弓です。
次に問題になるのが、日記が本物かどうかですが、私は次のやり方で調べます。
①紙の質や経年のよごれ、虫のナメなどが時代相応のであるか。
②日記の月の大小や、閏月が正しいかどうかを確かめる。
(よく冊子の場合、冊子が壊れて、前後の年代の一部が紛れ込んでいる場合があります、例えば吉川好文館から出ました鷹見泉石日記にもそのような箇所があります。このような場合月の大小、閏月そして天気や地震の記述が周辺の日記とあわなくなります。)
今回の日記は①②ともにOKでした。
③日記の天気を辺りの日記の記事に合わせて合っているかどうか。
この作業を実際に田中政之助日記で行って見ますと、
天保14年の旧暦の2月太平町で降水のあったと書かれている日は、2月2、7、9、13、14、16、17、24の8日です。
一方、栃木県真岡市での降水は、2月、14、17、24日。
江戸では、2月2、13、14、16、21、24日です。
日記により天気の記事が詳しい場合と大雑把な場合があり、大雑把な場合は一時的な雨は書かれていませんから、これらの日記にの天気には強い相関関係があると言えるでしょう。
したがって、田中政之助日記は信用できる史料だと思っています。
日記には時々面白い記事もあります。
天気記事をデータベースに入力しながら、時々紹介してまいります。