幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

野州都賀郡真弓村 田中政之助日記

2009-03-23 18:13:50 | Weblog
先日、日記を求めました。
野州都賀郡真弓村の田中政之助氏の書いた日記です。
天保14年、弘化1、3、4年、嘉永2、3、4、5、6、7年の10冊あり中には毎日の天気と人の出入り、米や麦の相場が書かれています。
時々書いた人の名前や住所が分からない日記があります。書いた本人にとっては当たり前のことであり書く必要が無かったのでしょう。
実は、私もこのような日記を二つ持っております。両方とも天気や地震の記事がありますから、類似する記事を探すことによって、書かれた場所はだいたい推測できます。
幸いに今回の日記は書いた人物と場所がはっきりしています。
真弓村は現在の栃木県下都賀郡大平町真弓です。
 次に問題になるのが、日記が本物かどうかですが、私は次のやり方で調べます。
①紙の質や経年のよごれ、虫のナメなどが時代相応のであるか。
②日記の月の大小や、閏月が正しいかどうかを確かめる。
(よく冊子の場合、冊子が壊れて、前後の年代の一部が紛れ込んでいる場合があります、例えば吉川好文館から出ました鷹見泉石日記にもそのような箇所があります。このような場合月の大小、閏月そして天気や地震の記述が周辺の日記とあわなくなります。)
今回の日記は①②ともにOKでした。
③日記の天気を辺りの日記の記事に合わせて合っているかどうか。
この作業を実際に田中政之助日記で行って見ますと、                       
天保14年の旧暦の2月太平町で降水のあったと書かれている日は、2月2、7、9、13、14、16、17、24の8日です。
一方、栃木県真岡市での降水は、2月、14、17、24日。     

江戸では、2月2、13、14、16、21、24日です。
日記により天気の記事が詳しい場合と大雑把な場合があり、大雑把な場合は一時的な雨は書かれていませんから、これらの日記にの天気には強い相関関係があると言えるでしょう。
したがって、田中政之助日記は信用できる史料だと思っています。
日記には時々面白い記事もあります。
天気記事をデータベースに入力しながら、時々紹介してまいります。





コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うそ大流行

2009-03-01 19:04:48 | Weblog
 真覚寺日記と言う日記があります。真覚寺の僧侶、静照によって書かれた日記です。この坊様流行に大変敏感です。

 この日記の安政三年五月三日(1856年6月5日)の記事に「此節嘘大流行」とありました。ウソはどこにでもありますから特別に書かなくても良いにのにと思っておりました。ところが、先日テレビでオレオレ詐欺の特集をみまして、はっと気がつきました。真覚寺日記の「嘘」とは詐欺のことではなかったのでしょうか。

 また、安政二年9月21日(1855年10月31日)「此頃坊さんかんさしの歌大流行」とあります。「八月頃より諸方ニ絵嶋踊り、大ニ流行、、是世界の一変といふべし」ともあります。そういえば、この頃よさこい踊りが流行っています。どこかに鬱屈したエネルギーが溜まっているのでしょうか。
この頃の記事が今の時代にも当てはまっているような気がします。江戸から明治に移り変わったように、10年程で新しい時代が拓けてゆくのでしょうか。

 ともあれ、この日記には、その頃流行ったものとして、毒魚、ネズミが人をかじる事などが書かれています。中でも怖いのは、コレラなど流行病です。「病が世界を廻りて人を殺して通る様に思ひ」と病気を擬人法で例えています。今話題の、鳥インフルイエンザなど流行しなければ良いのですが、、

 安政六年にコロリが流行ったときには、一首詠んでおりますので紹介いたします。

 
   此瘡(このかさ)を
       亜墨利加人(アメリカ人)に移しなば
              筒も台場もいらぬものなり  静照


          もっともです。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする