幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

難物 天保八年の「晴雨日記」の続き

2020-12-21 20:01:24 | Weblog
前回の、晴雨日記の書かれた場所について、考察してみます。

まず、日記の地震の記載についてしらべましたが、この日記には、地震の記載がありません。

現代でこそ地震と気象の因果関係は小さいと考えられていますが、江戸時代は地震と天気は連動するものと捉えられていたように思われます。
従いまして、天気が詳しく記載されている日記には、必ずと言って良いほど地震の発生時間や強度が書かれています。
としますと、この晴雨日記の書かれた場所は地震の空白域だった可能性が強いと思われます。


そこで、日記の書かれた期間の地震発生を、他の日記で調べてみました。

天保八年一月十九日  仙台
    二月十三日  宮城県 涌谷町
    二月十四日  神奈川県 生麦
    二月二十二日 江戸、銚子、流山
    三月二十七日 江戸
    三月二十九日 金沢
    三月三十日  金沢
    五月六日   江戸、銚子、流山、大間々町
    五月十八日  八戸市
    五月二十一日 流山
    五月二十五日 江戸
    五月三十日  仙台、涌谷
    六月朔日   大間々
    六月九日   弘前
    六月十日   仙台
    六月十二日  東京新島
    七月朔日   仙台
    七月十九日  仙台
    八月六日   東京新島
    八月十一日  仙台

となっており、 東北地方、関東地方、金沢近辺で地震が起きており、
地震の記録が見つからない、中部、近畿、四国、九州地方は地震空白域となってます。



また、筆者であると思われる山園氏の苗字分布を見ますと熊本県を中心に大阪以西に分布しております。
従いまして、この日記は京都、大坂以西で書かれた可能性が強いと思われます。

ここで庭の大雪を見て思いつきました。

こんな晩は、雪見酒をしないといけません。庭の石灯篭が盃の形にみえてきました。
続きはまたの機会に致します。  
コメント
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