幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

月窓庵海松の【俳諧日記】

2018-09-25 20:44:06 | Weblog
ご無沙汰しております。
古文書からの気象情報の収集が一息つきました。



今回はとくに、写真の月窓庵海松の【俳諧日記】に時間がかかりました。

少し紹介いたしましょう。

日記の作者海松は本名 佐々木龍海と言い、三重県川越町豊田の長息坊から80歳近くになって京都元誓寺通りの興徳寺の住職になった僧侶です。
日記には、簡単な自分の履歴が書かれています。



于時文政□年發月十五日勢州朝明郡豊田村長息坊道場也、住居是ハ同国三重郡山之一色村道場住、安藤茂規仲人ニ而此地ニ住居、五拾二歳之朋也、尓ル所明治九年子八月御法主殿より西京元誓寺通り寺今町興徳寺無住ニ付轉住被 仰付、御受申上候、九月八日豊田邑長息坊退寺、、十三日午後二時興徳寺え着

とあります。

一冊めは、嘉永六年、安政元年、二年、  二冊めは安政三年、四年
三冊は安政五年、六年          四冊 欠
五冊は文久二年、            六冊は、文久三年、四年
七冊 欠                八冊は慶応三年、四年
九冊は明治二年             十冊は明治三年
十一冊上 欠              十一冊下 明治六年
十四冊 明治十年、十一年        十五冊 明治十二年
十六冊 明治十三年           十七冊 欠
十八冊 欠               十九冊 欠
二十冊 明治十七年(84歳)       続きは有るかどうか不明

内容は、俳句だけでなく、天気、地震の揺れ、日常生活、世間の話など多岐にわたり、興味深い日記です。ただ虫食いが激しく難読な部分もありました。
写真のようです。



直し方のわかる方、ご教示ください。

先日、電気を点けると、巨大な紙魚がいました。
この日記と一緒に渡来したのかも知れません。大きさは3~5cmもあったでしょうか。
あまりの大きさにゲジゲジと見紛うほどでした。

紙魚もこの位大きくなると、食い物は、古文書など時化たものでなく、残飯を漁っているように見えました。
潰そうと思って追いかけましたが、影に逃げ込み逃げられてしまいました。
翌日はバルサンを買ってきて部屋中を燻蒸しましたが、紙魚がどうなったかは分かりません。

ところで、龍海住職がいた興徳寺は調べますと京都に現存していました。
この日記がどのように流転してきたのか、欠けている日記は現存しているのでしょうか。
あれこれ想像しますが、知る由もありません。
コメント (2)
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