幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

1854年 嘉永七年の昼気温

2014-09-12 23:55:03 | Weblog
 霊憲侯簿の記述の最後の年である、嘉永七年分の気温の入力が終わりました。
東日本大震災の前から取り掛かっていましたが、五年程かかってしまいました。
1854年の昼気温を現在の平年値とくらべますと、下記のグラフになります。



1月の気温が現在の平年値より高くなっています。
嘉永七年の一月一日は西暦ですと1854年1月28日ですが、そのころ北国の岩手県雫石町や花巻市では、

此年大日照り候、、冬ニ至り雪ふり不申候、昔よりためしなき冬也、土のうへに門松立申候、正月ニ成候ても雪ふり不申【雫石】
雪ハ少も無之礼廻草履道也【花巻市】

とありまして、雪がないお正月を迎え、門松を土の上に建て、正月の年礼を草履で出来たことが書かれています。

また、日本海側の鳥取市でも、

無寸雪、、拝年者皆草履履、山陰未有之事、朝晴、晩細雨【鳥取】

同様に、雪は無く草履道だったことが分かります。


京都と群馬県中之条町での記述には三月のような気候だと書かれています。

快晴大に暖也、昼後少雲あり三月頃の気色の如し如し夜雨【中之条】
晴天甚だ暖にして如三月八ツ時より曇天七ツ半時より雨降、夜九ツ時より晴天【京都】

現在の東京よりも暖かい一月の江戸、1854年の1月は日本全国少雪、暖冬だったようです。
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