幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

御殿山英国公使館焼討 井上馨卿のうそ

2009-07-12 10:59:18 | Weblog
 御殿山のイギリス公使館焼討ちを描いた小説に司馬遼太郎氏の「世に棲む日日」があります。小説では、井上馨卿の記憶をもとにして、御殿山の英国公使館焼討ちは十二月十三日の午前二時過ぎで、十二日は終日の雨、決行時には、雪まじりの風雨が地をたたき途中、下帯までぬれたと書いています。
先ず、事件の日時は、多摩で書かれた【富沢家日記】に十二日の夜御殿山外国人旅館焼失致し候由とあり、また江戸で書かれた【小笠原唯八日記】には今暁(十三日)御殿山異館焼失とありますので、小説に書かれている通り、英国公使館の焼討ちは文久二年十二月十三日(西暦1863年2月1日)の未明に起きたことは間違いないと思われます。
さて、天気はどうだったのでしょうか。
十二日は、【富沢家日記】では「日和」となっていて江戸の近郊は他の日記でも全て晴れとなっています。
ただ、秋田、山形、福井県で雪降りとなっていて、銚子や流山では西風、新島では北風が観測されています。
この、太平洋側晴れ、日本海側雪、北西の風といった天気状況と、新暦で2月1日という日付を考え合わせますと、決行前日の十二月十二日は、九日から十日にかけて日本列島を横断した低気圧の影響で、西高東低の冬型の気圧配置となり江戸では空気が乾燥し西風が吹いていたと思われます。十三日の未明もほぼ同じような天気だったようです。



衛星画像がその時にあれば、大陸から離れた筋状の雲が日本列島に西側にかかっていたでしょう。
「世に棲む日日」では「井上馨の記憶では」とありますが、十二日の「終日の雨」や、「雪まじりの雨が地をたたき、途中、下帯までぬれた」と言う記述は、井上の記憶違いか、ウソということになります。
さて、どちらでしょうか。
これからは、私の推測です。江戸大火の条件は、乾燥と強風です。上州にからっ風が吹く西高東低型の日、江戸の町の西側から火を放てば当然大火になる可能性があります。高杉晋作は大義名分のため、放火場所を御殿山の英国公使館としましたが、江戸の街を火の海にすることも想定していたのではないでしょうか。
「風の強い夜に火を放ち会津中将を殺し、天皇を奪い取る」とした池田屋事件直前の長州藩や志士の計画に近いものを感じます。
「井上馨の記憶」が記録されたのは、恐らく井上馨が功成り名を遂げてからでしょうから、外務、大蔵、内務大臣などを歴任した後であろうと思います。明治政府の元勲である井上が冗談でも、江戸を火の海にする計画だったとは言えるはずもありません。井上馨の回顧談は雨が降っていたとすることで、御殿山英国公使館焼討ちのもう一つのねらいを隠したのではないでしょうか。
高野長英の放火とこの焼討ちは、江戸の市街地を焼き払う意図があるのか無いのかと言う点において、気象状況が全く違った時に行われたと思われます。
コメント (2)
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