安政二年地震後、四日から六日後の天気は概ね下の図のようになります。
安政二年十月六日正午頃の天気図
安政二年十月七日正午頃の天気図
安政二年十月八日正午頃の天気図
六日、七日は北日本に寒気が残り、北寄りの風で北日本の日本海側で天気が崩れていますが、
八日は西から雨の地域が拡がってきました。江戸では南風が吹きました。
低圧の通過による悪天を感じさせます。江戸では夜に小雨となりました。
余震は相変わらずで、いつも微動している感じで、時々強い余震がありました。
能楽師、梅若実は七日「今夜ハ様子悪敷き故門外ニ寝ル」
また、八日も「今夜も野陣にて外へ寝ル」と二日間門外に避難していた様です。
【藤沢山日鑑】には、困った事が書かれています。
「六日迄火不納所々端々焼候様子、処々寺々死人為山、千住、小塚原、袖ケ浦同断死人山之ことく、大八車ニ而曳出し候との事、寺々へ無沙汰ニ死人等荷ひ込或は捨置候、依之寺々番人付置候との事右数万之死人ニ準し怪我人不識其数、誠ニ、、」
訳しますと、六日までところどころの火事が治まらず、寺々は死人が山となった。千住、小塚原、袖ケ浦も同じく死人が山のようになった。 大八車に死人を乗せて寺に断りもなく死人を遺棄して行く。寺々も番人を雇って、、
いやはや凄まじき様子です。
【藤沢山日鑑】は藤沢にある、藤沢山遊行寺の日記です。遊行寺の僧侶も死体遺棄の危機を感じたのでしょうか。
地震と言う事象は一つですが、人は立場立場で感じ方が違うものでありんす。
安政二年十月六日正午頃の天気図
安政二年十月七日正午頃の天気図
安政二年十月八日正午頃の天気図
六日、七日は北日本に寒気が残り、北寄りの風で北日本の日本海側で天気が崩れていますが、
八日は西から雨の地域が拡がってきました。江戸では南風が吹きました。
低圧の通過による悪天を感じさせます。江戸では夜に小雨となりました。
余震は相変わらずで、いつも微動している感じで、時々強い余震がありました。
能楽師、梅若実は七日「今夜ハ様子悪敷き故門外ニ寝ル」
また、八日も「今夜も野陣にて外へ寝ル」と二日間門外に避難していた様です。
【藤沢山日鑑】には、困った事が書かれています。
「六日迄火不納所々端々焼候様子、処々寺々死人為山、千住、小塚原、袖ケ浦同断死人山之ことく、大八車ニ而曳出し候との事、寺々へ無沙汰ニ死人等荷ひ込或は捨置候、依之寺々番人付置候との事右数万之死人ニ準し怪我人不識其数、誠ニ、、」
訳しますと、六日までところどころの火事が治まらず、寺々は死人が山となった。千住、小塚原、袖ケ浦も同じく死人が山のようになった。 大八車に死人を乗せて寺に断りもなく死人を遺棄して行く。寺々も番人を雇って、、
いやはや凄まじき様子です。
【藤沢山日鑑】は藤沢にある、藤沢山遊行寺の日記です。遊行寺の僧侶も死体遺棄の危機を感じたのでしょうか。
地震と言う事象は一つですが、人は立場立場で感じ方が違うものでありんす。