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桜田門外の変の起きた時の天気をご紹介いたします。
当日は、雪
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が降っていたことは、あまりにも有名です。
さしあたり、万延元年の春
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の天気の特徴を申し上げますと、
丸亀に配流中の鳥居甲斐守様
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が日記に「二月来多雨」と書いていますように
寒気が強く不順な気候でした。
ちなみに、世田谷では二月一日から三月三日の33日のうち、降水のあった日は
17日でした。(53パーセントの降水確率です。)
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人馬氷の上往来、、珍敷事ニ候、、当年ハ近年無覚大雪ニ候【永宝日記】【鯵ヶ沢】
天気陰暗、霾曀不開、寒気特重【曽国藩日記】【武昌】
などとありますように、寒気の残った陰鬱な日が日本列島でも大陸でも続いて
いた様子です。
その原因は、優勢なオホーツク高気圧から吹出す、寒冷な北東気流
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にあったように思われます。
銚子の玄蕃日記によりますと、上記の33日のうち
東北、又は北東風の日が23日
東南の風の日が5日
西南の風の日が2日
西北の風の日が1日
東風の日が1日
北風の日が1日
となっています。
北東気流に支配された、陰鬱な春に、桜田門外の変は起ったと言えましょう。
それでは、事件当日の天気を見て参りましょう。
当日の風は、小倉で東風、銚子で北東風、東京都の新島で北風
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となっています。
また、雨と雪の分布が微妙です。
江戸、甲府、日光、宮城県松島、青森県鯵ヶ沢で雪、
新潟県巻町、秋田県の院内銀山で、みぞれ(水雪、糠雪)
山形県尾花沢市、新潟県三条市、駒ケ根市、銚子、生麦、藤沢、などで雨となっています。
一般に、日本の降水は氷晶が下降してきて、下層で解ければ雨、解けなければ雪となると申します。
蓋し、北東気流により下層の温度が低いところが雪になったとおもわれます。
当日の江戸は、雪か雨か微妙なところで雪となりました。
大胆な推測をすれば、当日の桜田門外の気温は降水が雪になる目安の摂氏3度前後だったのではなかろうかと思われます。
井伊大老は、三日朝五ツ半時井伊候登城之処、とありますように朝9時ころ襲撃されたと考えられます。
その時江戸ではどのような雪が降っていたのでしょうか。
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夜中ヨリ雪ふる綿帽子大つぶ也、、昼時過雪止む【月岑日記】【江戸】
朝より雪五ツ半時頃さかりにふる、庭の一間先の木か見わかぬ位ひなりき、九ツ過頃ハやミたり【西升子日記】【江戸】
とありますように、水戸浪士が井伊直弼を襲撃した午前九時ころは、大粒の綿雪が激しく降っていて、一間先の木も分らぬくらいだったとあります。
雪の白いカーテンから躍り出て来る刺客たち、
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天は井伊大老暗殺に一枚加わったようです。
この葉書は「桜田門外の変」の吉村昭さんから、【西升子日記】を御紹介頂いたときの葉書です。