幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

龍馬誕生の日の天気 天保六年十一月十五日(西暦1836年1月3日)

2009-12-31 19:15:36 | Weblog
来年と言っても明日ですが、今度の大河ドラマは坂本龍馬だそうです。
本屋に行きますと龍馬関係の本が山積みしてありました。どのような龍馬像が描かれるか楽しみです。
そこで、龍馬の一生の節々の天気を追いかけてみたいと思います。
何れ蛇足でありますが、お暇な方はお付き合い下さい。
もし、ドラマの天気と違えば、むしろ作者がどのような龍馬を描きたかったが分ります。

土佐の英傑、坂本龍馬が高知城下で生まれたのは天保六年十一月十五日、西暦で言いますと1836年の1月3日です。
京都の近江屋で暗殺されたのも慶応三年十一月十五日です。
かぐや姫ではありませんが、十五夜の満月の日に生まれ、死んでいったようです。
ただ、暗殺された日を西暦に直しますと、1867年12月10日となり24日の違いがあります。これは、天保六年は七月に閏月が入り、慶応三年は翌四年の四月に閏月が入っているためです。
まず誕生前日の天保六年十一月十四日の天気を見て参りますと、
鹿児島市で雨。
富山県氷見市で、昼後折々雨降る雪よほど消。
京都で、朝曇りで寒、昼から雨で夜は暖、午後11時頃雨はやむ。
江戸では、夕方より雨ふる
銚子では、天気北風昼すぎから東南風に変わり夕方雨で夜半頃大風雨烈しく雷鳴
流山市では、曇、午後2時頃から小雪夜雨降、
宮城県涌谷町では、暮過ぎみそれ雪降夜中雨降
青森県八戸市では晴、夜雪五寸程
北海道厚岸では、曇天となっていますが翌十五日は終日雨天となっています。
これらの記事を併せてみますと、十四日朝から夜にかけて、日本海を低気圧が東進したことがわかります。
低気圧に吹き込む南東風で、流山市や涌谷町で雪から雨に変わり日本列島には暖気が流入して来たようです。
この暖気のおかげで、十五日も暖かく江戸の儒者松崎慊堂先生は、この日暖和なので着物を一枚脱いだと書いております。
肝心の高知はどうだったのかと言いますと、史料がなくはっきりした事は言えないのですが、暖和だったのは間違いがないと思います。  天気は、近くの太平洋側の記述を上げますと
愛知県豊田市では、晴風
三重県松坂市では、快晴、暖気
鹿児島県肝属町で、晴天
鹿児島市で、曇天、間々雨
となっていて、あえて予想しますと、温かくて晴れのち曇りといった天気でしょうか。
ただ、これは天気予想ですので外れる可能性も大です。当日の高知市付近の日記や史料を御存知の方がありましたらお教え下さい。
十五日からの天気は、低気圧が呼び込んだ暖気が去り、大陸から優勢な寒気入り込んで日本海側を中心に雪になっております。
ちなみに青森県の太平洋側の八戸市では晴の日が続いていますが、逆に日本海側の津軽平野では十五日から6日間雪となっています。
低気圧の嵐がさった後、本格的な寒気が流入するまでの間、晴れで暖かい天気が現れる事があります。雪山では擬似晴天と言い、暫くすると猛烈な寒気と吹雪が襲って来ます。この間になるべく撤退するか防備を固めなければいけません。
余談になりますが擬似晴天に引っ掛かったのが、榎本武揚で開陽丸を沈めてしまい函館政府の没落を決定的なものにしてしまいました。その内ブログで紹介したいと思っています。
ともあれ、龍馬が生まれた夜頃から、南国土佐もぐっと冷えてきたことだろうと思います。

旧暦の十一月十五日は先勝ときまっています。
もしかして、龍馬は朝に生まれ、夜に暗殺されたのかな、などと馬鹿なことを想像しています。

ながなが御付き合いありがとうございました。
来年が皆様方にとりまして良い年でありますように。






コメント (2)
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薩長同盟 お龍ぶるっと寒冷前線

2009-12-27 14:19:10 | Weblog
 薩摩藩と長州藩は犬猿の仲です。文久三年長州系尊皇攘夷派を会津藩と手を組んで追い落としたのも薩摩藩でした。文久四年(元治元年)一月十八日の川路としあきら日記にも「薩州の軍艦へ長州より大砲打ちかけ候て、小出しの火薬へ当り、士官三人粉砕候よし風聞、いつの事にや知らず」とありますように、いつ戦争が始まってもおかしくない間柄でした。その危険な間を取り持ったのが、「雨男」坂本龍馬でした。龍馬は「晴男」のイメージがありますが、龍馬が事を起こすと必ずと言って良い程雨となります。龍が雨を呼ぶと言った具合でしょうか。
ともあれ、龍馬の暗躍は、慶応元年の閏五月一日の鳥居甲斐日記に「坂本龍馬、薩長和解を周旋」とありますように、龍馬は以外に早い時期から薩長間を周旋していた様子です。
 薩長同盟が結ばれたのは、龍馬が入京した二日後の慶応二年一月二十一日(西暦1866年3月7日)または翌日の二十二日とされております。
この時期は、冬と春との境にあたり温帯低気圧が、日本の南岸や日本海を足早に通り過ぎます。そのため天気が周期的に変化することがあります。
薩長同盟が結ばれたのも、日本海を温帯低気圧が周期的に駆け抜けた時でありました。朝彦親王の日記から京都の天気を拾ってみますと、1/17、1/18は、龍馬が京都に入った1/19は、1/20は、薩長同盟が締結された1/21は、同じく1/22は、寺田屋で龍馬が襲撃された1/23は。晴れ、曇り、雨、晴れ、曇り、雨と周期的な天気の変化をはっきり表わしています。
 温帯低気圧は前線を伴っていますので、日本海を温帯低気圧が通過すれば、日本列島は、大まかに言いますと晴~南東風くもりのち雨(温暖前線通過)~北西風雨のち晴れ(寒冷前線通過)と言う天気変化をしめします。一月二十一日の薩長同盟が成ったとすれば温暖前線による曇りまたは雨の中、一月二十二日に同盟が成ったとすれば寒冷前線による雨または、通過後の晴れで寒い中であったでしょう。
 伏見寺田屋で龍馬が襲われたのは同盟締結の日から程近い一月二十三日の夜のことであります。二十二日に寒冷前線通過後、強い寒気が日本列島に流入しており二十四日は、秋田県雄勝町で「朝雪一尺ばかり積り小雪降り小風雪」、新潟県新発田市で「雪降寒し」、栃木県日光市で「雪」、東京都あきる野市で「雨、曇、雪」、京都市で「晴、午後寒雪気有り」、鳥取市で「雪天」、山口県萩市で「寒し、時々雪粉々」、高知県土佐市で「晴寒し」、福岡県太宰府市で「陰、寒甚だし」とありますように真冬並の寒気が入ったようです。
寺田屋では、入浴中のお龍が裸で階段を駆け上って変事を龍馬に知らせたと言われていますが、さぞかし寒かったことと思われます。
京都にいる薩摩藩家老桂久武の、一月二十四日の日記には「夕べ伏見において坂元龍馬、難に逢い候よし、早速この方より、三四人も遣わし候て少々手疵にも逢い候よし」とあります。幕府の捕り手と薩摩藩との間で一悶着あったのでしょうか。  歴史は所々にスポットがあたっていますが、ほとんどの部分は闇ですね。いろいろ日記を読んでいて何時もそう思います。

以前このように書きましたが、先日「毎日新聞」に

坂本龍馬が伏見奉行所に襲撃され重傷を負った「寺田屋事件」について、事件直後の龍馬の足取りを詳細に記した同奉行所の報告書の写しが見つかり、15日、高知県立坂本龍馬記念館が発表した。同事件に関しては、これまで龍馬の手紙などでしか伝わっていなかったが、幕府側の資料が見つかるのは珍しいという。
 報告書は2通で、京都所司代にあてたもの。手負いの龍馬が薩摩藩邸に向かう途中、「村上町」(現在の京都市伏見区)にある「近江屋三郎兵衛」の「材木納家」に逃げ込んだと記載されており、特定されていない詳細な場所が分かる可能性があるという。材木納屋には血に染まった所持品を残していたとの記載もあった。

とありました。
京都にいる薩摩藩家老桂久武の、一月二十四日の日記「夕べ伏見において坂元龍馬、難に逢い候よし、早速この方より、三四人も遣わし候て少々手疵にも逢い候よし」
を読んで、薩摩藩と幕府方の衝突があったのかと思いましたが、「少々手疵にも逢い候よし」は竜馬のことだった様子です。
薩摩藩の諜報から、竜馬襲るの急報が桂久武に入り、早速久武は大山彦八など三四人を急行させ、何かの時にと示し合わせていた近江屋三郎兵衛の材木納屋で竜馬と落ち合い救出されたという具合だったのでしょうか。

            おそまつ



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奥州街道 気分は芭蕉(3)

2009-12-21 21:22:45 | Weblog
藪がたちまち街道になって行くのには驚きました。
再現された奥州街道を歩くと気分はすでに芭蕉です。

 この道や ゆく人なしに 秋の暮れ
              
コメント (3)
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奥州街道刈払い 60人の猛者たち(2)

2009-12-21 21:16:48 | Weblog
沢山の人があつまりました。
軽トラックに草刈機を積んだオバチャンのすがたに
故郷を思う気持ちが現れていました。
応援に駆けつけて頂いた、高倉淳先生によりますと、
東京以北では最も手付かずで残った街道とのこと
でした。
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奥州街道 1キロ刈払い(1)

2009-12-21 21:05:44 | Weblog
今回は天気からはずれますが、
念願でした奥州街道1キロほどを刈払いしました。
12月19日、冷蔵庫に入っているような寒さで雪がちらちら舞っております。竹やら蔦やらで2m歩くのに5分もかかった所もありました。
4つの隊に分かれて取り掛かりました。

道が出来て感動いたしましたので、写真を多く入れたいのですが、やり方がわからないので3部作に仕上げました。
見づらいのは、開通の目出度い席に免じて、御勘弁下さい


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