幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

電子図書室の日記

2012-04-19 23:17:48 | Weblog
 前回は地震の事を書くと思ったのですが、
愛媛大学の電子史料に「米山日記」を見つけました。

あちこちの大学図書館が、貴重史料を写真で公開しています。
その中に日記が時々あり、タダで見れますのでとても有難いことです。

画像で解読しながら、パソコンに打ち込むと、老眼なので目が苦しくなって
来ます。
若い人たちは、何時もメールをしていますが、目が進化して
いるのでしょうか。

ともあれ、
あまり読まれていない日記を紐解くのは、何かワクワクするものがあります。
と言う訳で地震記事の紹介は、お休みしまして、「米山日記」を読んでいます。

米山は書の大家とのことですが、読みにくいですし、私はただの下手糞としか思えません。

日記は作品とは又別なのでしょうか。

孤高の天才書家 『三輪田米山』

芸術的な目がない私です。どうぞ皆さん見て御感想をお寄せ下さい。

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嘉永七年十一月四日、五日(1854年12月23、24日)東海南海連動大地震、下田、大阪津波

2012-04-07 18:30:51 | Weblog
 ようやく暖かくなり、梅のつぼみもふくらんでまいりました。

昨年は、東日本大震災の本震が3月11日で震度6強、4月17日の余震も震度6強で、

いまも時々震えています。

良い経験をしたとは、言えないのですが、人や社会の弱さが良くわかりました。

実は、幕末の天気のデ-タと一緒に地震の記事も集めておりました。

「熱海の温泉から火が噴出した

など、嘘くさくて書き込む気にならなかったのですが、

今回の大震災を経験した人で、地震や津波の状況について嘘を言う人は

なかったように思います。

人知を越えた現象に対して、人は其の真実を伝えるのが精一杯なのかも

知れません。


と言うことで、多分記事はすべて本当なような気がしてきました。

勿論、地震については素人ですので、予測はできませんが、こんなことが

あったから気をつけよぅ。

と言う感じで書いて見るのも良いのではないかと思いました。


余震から一年が過ぎようとしている、今日からぼちぼち書き込んで参ります。

まずは、私が勝手に名をつけた、嘉永七年十一月四日、五日(1854年12月23、24日)

東海南海連動大地震について考えて見たいと思います。

本当は安政元年と言うべきかも知れませんが、嘉永七年の方が実感がでますので嘉永七年とさせて頂きます。


今回は地震の概要だけを紹介させていただきます。


大地震は嘉永七年十一月四日朝五つ七分頃、東海沖で発生いたしました、今で言えば午前10時ころだった

とおもいます。この地震により関東東海の各所で津波が発生いたしました。

この地震に誘発されたのか、翌十一月五日七つ時頃(午後4時前)南海で大地震が発生いたしました。

この地震により津波が発生して、四国地方や九州、東海を襲いました。

大阪では橋がおちたり、千石船が川をさかのぼったりして死人数を知らずという大被害をだすにいたりました。


詳細についての史料は沢山ありますので、今後少しづつ疲れないように書き込んで行きたいと思います。





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