幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

河井継之助の性格

2010-11-06 17:33:37 | Weblog
天気を調べるために、色々な日記を読んでいますが、
日記は、時に等身大の英雄を描き出します。
蒼龍屈こと河井継之助の日記が「塵壷」です。

河井継之助は,安政六年六月十二日富士山に登山しようとしました。
登山には、三島から直山へ掛かるのが良いと言うことでしたが、
天気が悪いので諦め(降、時々雨、夕方晴)、
吉原と蒲原の間まで行った所で、天気が回復してきて山裾が見えてきました。
そこで予定通り富士登山を敢行しようと、大宮と言うところで、泊まりました。
翌日は富士山頂も見えたので、意を決して村山という所の大鏡坊で早い昼食を
摂りました。

其の内に、雨が降ってきて南の方は暗くなって来ましたので、見合わせていましたが、
「頂上は快晴なり、かえって雲のある方が登るによし」
案内人や坊に勧められたのですが、気乗りがしないので、大宮の辺りまで戻ると
富士山は雲に覆われたり、顕れたりしている。これでは、登山は難しいと覚悟をきめて、
蒲原戻ろうとしていた時、三人の道者に遇って「一緒に富士山に登ろう」と勧められた。
そこで、再び意を決して三四丁ばかり引き返したが、また富士が見えなくなったので
やっぱり、やめる事にした。

三島より此方富士のため、女子のごとき不決断となり、自ら嘆息す。

とあります。

たしか「花神」では高橋英樹が演じ、別名も蒼龍屈とても強い人柄のように思っていました。


しかし、日記を読みますと、行ったり来たりの優柔不断、悩み多き人柄の
ようです。

人の性格は、そんなに変らないものです。

朝廷軍か、列藩同盟軍か、どちらにしようか。

河井継之助の性格が出ている富士登山の一節でした。
コメント (4)
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