ななえさんの花まる休暇~自己中レシピを添えて~

~突然仕事を早期退職し、パート勤め主婦になりました。いつでもあたふた生活しています~

東日本大震災・原子力災害伝承館

2021-01-21 18:26:24 | 東日本大震災

先日、福島県双葉町にある

東日本大震災・原子力災害伝承館に行ってきました

地震、津波、原発と複合災害について

震災前、震災当時、震災直後と時系列でたどり

資料・証言・記録をもとに

複合災害の悲惨さを私たちに

訴えかけてくれる内容になっています 

普通の生活を瞬時に奪い去った災害

どれほど恐ろしいものか

どれだけ人々の生活を変えてしまったのか・・

現実とは思えないような悲惨な災害であることを

改めて実感しました

 

伝承館の中から見た風景

何もない風景

これは、津波でなんにも失くなっちゃったんですね

綺麗に整備され・・

 

被災地を訪れると、みんな綺麗に整備されているんです

災害前よりも綺麗に・・

一般的には、それが「復興」というものなのでしょうか

でもなんだか

整備された風景を見て「綺麗になって・・」と思いながら

とても寂しくなるんですよ

 

いつも思うのですが

昔のままの姿が戻ってくることが

「復興」だったらいいなと思います

新しい道や家ではなく

新しい生活や地域ではなく

全て昔のまま・・

通い慣れた道、見なれた町並み、顔見知りのご近所さん・・

昔のまま戻ってくるのが「復興」・・

 

もちろん

昔の状態がそっくりそのまま戻るなんて不可能なんですけどね

でも、やっぱり

昔のまま戻ってきたらなぁと思うんですよ

 

まだまだ

自分の気持ちのどっかで

「復興」という言葉の中に

昔に戻してくれることを託しているような

そして願っているような気がするんです

叶わなくてもね・・

 

では、またね👋 

 

 

 

 

 

 

 

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90名の命を守り抜いた小学校

2020-12-27 08:22:34 | 東日本大震災

昨日、震災遺構である

「中浜小学校」に行ってきました

タイトルの(90名の命を守り抜いた小学校)は

パンフレットやガイドブックに書かれている言葉です

この言葉通り

この小学校の屋根裏倉庫で90名(児童52人含む)が

厳しい寒さの中一夜を過ごし、全員無事救出されたのです

その屋根裏倉庫も見学させてもらえました

 (写真はパンフレットより)

明かりも暖房もトイレも水も食料も何もない

この屋根裏倉庫で90名の方が過ごしたのです

津波は、2階まで到達したので

あと少し津波が高かったら

この屋根裏倉庫もかなり危険な状態だったのかなと思います

危機一髪で難を逃れたという感じです

(トイレは、衣装ケースを利用して簡易トイレを作ったそうです)

 

今回の見学は、説明する方が付いてくれて

かなり詳しく知ることができました

 (写真はパンフレットより)

被災状況を見ると津波の速さと方向がわかるとか・・

隣同士の部屋でも

一部屋は全て流され、一部屋は全く流されず・・

近くにある壁やガラスでも

一方は無惨に破壊され、もう一方は無事・・

角がある柱は倒壊し、丸い柱は無事・・

1m場所が違うだけでも被害は全く違ってくるし

物の形状によっても被害が違うという

 

屋上から見る景色は、広い土地と海が見える

しかし

震災前は、海は見えなかったという

震災前は、松の木林があり、住宅もあったというから

それが全て流されたということですよね

 

震災当時の状況は、もっともっと悲惨だったかと思いますが

悲惨な状況を彷彿させる状態で、校舎は保存されています

見学したあとは、絶句というか、言葉も出なかったです

(写真は、パンフレットより)

機会があれば、是非見学してほしい場所です

 

その後、夫の希望で閖上にある

「みちのく潮風トレイル、名取トレイルセンター」へ・・

私は、トレイルという言葉は、知りませんでした

初め見たときは、どうも「トイレ」と読んじゃって(笑)

この施設は、みちのく潮風トレイルを歩く上で

必要な情報を発信する施設みたいです

なんだかよくわからないけれど

簡単にいうと三陸海岸を歩くこと?

歩く人達のために情報を発信する施設なのかな

夫に「三陸海岸を歩くつもりなの?」って聞いたら

「歩く❗」だと・・

ビックリ~😲 

三陸海岸って何県にもまたがっていますよね

どうなることやら・・😞💨

では、またね

 

 

 

 

 

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震災遺構 ~気仙沼向洋高校~

2019-03-22 17:05:49 | 東日本大震災
昨日、朝早く家を出て

実家のお墓参りに行った後

気仙沼にある「震災遺構 気仙沼向洋高校」に行って来ました


パンフレットより


パンフレットより


パンフレットより

気仙沼向洋高校は、4階まで津波が到達した校舎です

当時のまま、校舎が残されており

見ると一目で津波の破壊力が

いかに恐ろしいものかがわかります

この惨状を

とてもとても口頭や文章で表すことなんて出来ません

やはりこのように「残す」ことによって

より具体的に後々まで語り伝えることができるのではないかなと思います


見学をしている間も映像を見ている間も

ずっと泣いている女性の方がいました


今後誰一人として、悲しい思いをしないように

あらゆる手段を通して、記憶を風化させず

被災地の惨状を教訓として多くの方に伝えることが重要なんだなと思います

後世に「より具体的に強く教訓として伝える」ことを考えた時

震災遺構の果たす役割は非常に大きいものではないかな・・と思います

一人でも多くの方に見てもらうことを強く希望します



見学をした後は

高校の目の前にある「岩井崎」へ・・

なんだか、みんな新しくなっちゃって・・

ちょっと寂しい~

でも潮吹き岩は、健在でしたよ~🎵







(おまけ)
ランチは、気仙沼海の市にある
「リアスキッチン」でマグロ丼を食べました



残念なことにイマイチでした


では、またね
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星よりも、遠くへ

2019-03-10 09:47:03 | 東日本大震災
~星よりも、遠くへ~



「東日本大震災の夜、

大停電の被災地を満天の星が照らしていた。

こんな星空を今まで見たことがない。

予想だにしない苦難とともに

被災者たちが見上げたのは、

星空という名の「宇宙」だった。

震災の星空と被災者たちの繋がりを描いた

「星空とともに」の第二章となる

プラネタリウム版ドキュメンタリー」
(文、ポスターは、仙台市天文台HPより)


昨日、仙台市天文台で「星よりも、遠くへ」を見てきた

あの日の星空ほど綺麗な星空は、見たことがないと誰でもが話す

でもワタクシは、見ていないんです

何度も外に出たはずなのに

一度も空を見上げなかったのです

(どんなんだったのだろう?)

あの日の星空に会いたくてというのが主な理由で

当時の星空を再現するという今回の上映に参加したんです

内容は、ただ単に星空を再現するというものではなく

被災者の方々と星空の繋がりを描いている

実際、被災者の方の証言を元に描かれているのですが

被災者の方々の言葉から深い悲しみが伝わってきて

ものすごく胸を打たれました

中でも印象的だったのは

「あの日、星が綺麗だったのは、亡くなった方が
迷わないように導いてくれるためなんだよ」

「あの日は、ものすごく流れ星が多くて
いつもは、なかなかみつけられないこどもでも
2つ3つと見つけるんです」

「一番綺麗に輝いているのがお母さんだよ」

という言葉・・


亡くなった方は、本当に星になっちゃうんだなぁ

心からそう思いました


被災者の方々と星空の繋がり、ぜひ多くの方に見てほしいです


では、またね

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震災と不思議なこと

2017-03-12 05:02:06 | 東日本大震災
私は、父が亡くなってから

父の部屋を1年以上

片付けることができませんでした

気にはなるものの、なかなか・・

でも「片付けるのも供養の1つ」と思い

やっと片付け始めたのが、

震災の1か月前・・

2月のことでした

ただ、

父の部屋のファンヒーターが

壊れてしまって暖房がなく

物置の奥から

石油ストーブを出し

暖房に・・

土日ごとに少しずつ片付けていたところでした



震災当日は、

当然のごとく

電気、水道、ガス等全て

ストップしました


職場から

真っ暗闇の道を二時間以上かけて
(信号も街灯も家の電気も消えるのです)

帰宅

家ももちろん真っ暗

そしてあの日はとても寒かった

暖房なしなんて考えられない


でもどの部屋もファンヒーターで

電気がないとつかない

普段は便利なものは、いざというとき不便

暖はとれないかと思いきや


片付けのためにわざわざ

物置から出した石油ストーブが

あるではないですか


震災当日、そして電気が回復するまで

この石油ストーブで救われました

暖かくもなり、灯りにもなり

ガスコンロ代わりにもなり・・
(よかったら3/20頃のブログを見てください)

本当に救われました

この石油ストーブがなかったら・・

と思うと今でもゾッとします


ただ、よく考えてみると

不思議な感じがします

父が亡くなって、しばらく片付けられなかったこと

父の部屋を片付け始めたのが2月であること

父の部屋のファンヒーターが壊れたこと

これがなければ

わざわざ物置からストーブなんて出さないでしょう


何だか、父がストーブを

出させたんじゃないかって

思うのですよ




父が、私たちに

寒い思いをさせなかったんじゃないかなって

思わずにはいられないのですよ



とにかくあの石油ストーブが

物置ではなく、部屋にあったことで

どれだけ救われたかわかりません



今では、物置ではなく

いざというときのために

部屋に置いています


さもないことで申し訳ありません

いつも頭の隅にあったので

書いてみました


震災で亡くなられた方の

御冥福をお祈り申し上げます

また、

まだ行方が分からない方が

少しでも早くご家族のもとに

帰ることをお祈り申し上げます


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震災のこと

2015-03-11 01:29:36 | 東日本大震災
震災から4年・・

改めて・・というより


常に生活の中に震災があり

震災のことは、頭から離れない



会話は、いつも震災のことを意識して話し

「戦前・戦後」という言葉があるように

「震災前・震災後」と何事も比較して表現してしまう



それだけ震災前と震災後では

環境、意識、考え方が

大きく変わってしまったんだと思う


私にとっては

改めて4年というより

震災とともに生活してきた4年だったかな



今回の震災は、

子どもも大人も心身に

打撃を受けた


子どもを大人が守るというより

大人も打撃を受けたもんだから

子どもが大人を気遣う場面が

多くみられた


とにかく子どもたちが

活躍したな・・

子どもたちって頼もしいよ



当時のことは、

話しても話し尽くせないけれど
(悲しいこと、大変なこと、驚いたこと、発見したこと等ひっくるめて・・)



ほんのちょっとだけ

当時のこと

つぶやいてみますね~
(あまり深刻にならず・・)


当日深夜車の中で寝た
揺れっぱなしで家の中が怖い

道路がでこぼこ
マンホールは、かなりの高さまで飛び出た

とにかく真っ暗
街灯も信号も消える
道路も家も真っ暗


お風呂に1か月入らなくても
元気でいられるみたい(笑)
職場のみんなも入っていないから
挨拶は「お風呂は入れた?」

水が恋しい

洗濯もできず・・

ガソリン、灯油が手に入らない

食べ物が手に入らない

スーパーに4時間並んだ



あと・・

当時「絆」という言葉を

いろんな場面で聞いた

日本中に「絆」という言葉が

あふれたように思う

でもあまりに気軽に使われすぎて

「絆」という言葉だけが

一人歩きして

本来持っている「絆」の意味が

置き去りにされているように思えたな



なんだか、まとまらない内容になってしまいましたが

ダラダラ話せるようになったのも

少し時間がたったからかな


では、最後に

いつ何時何が起きても

絶対必要な物をお知らせして終わりますね

これバックに入れて持ち歩いてください


頭につけるライト
頭につけるので両手が使えます


とにかく真っ暗、真っ暗になるので・・


では・・















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全てが2年ぶり・・

2012-06-03 01:28:25 | 東日本大震災
今年は、どこに行っても

何に参加しても

「昨年は、大震災で開催されなかったので

2年ぶりの開催となります」

という言葉で始まる・・


確かに・・・



開催できることに感謝しなければ・・・




震災から一年経ちますが、

まだまだ、「1年前のでき事」ではなく

「今」のことです





職場がある場所は

津波の影響が大きかった場所なので

ちょっと車で買い物に出かけても

その当時のものすごさが蘇ってきます



もう一年なのか、

まだ一年なのか・・



時間が経って

みんなに忘れられてしまうことが

怖いです






我が家では、まだまだ

撤去できないでいます(笑)


飲料水


飲料水、ビニール袋には、電池


トイレ用の水



どうしても撤去できないのです













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高田松原の1本の松に会ってきました!!

2011-06-26 03:57:34 | 東日本大震災
ずっとずっと心に残っていた

一本の松の木に会ってきました。

以前ブログにも書きましたが、

高田松原の松です。

高田松原の海岸は、海岸線に沿って何万本もの松が立ち並び、

とても美しく、たくましい、

人を引きつける魅力を持った海岸でした。

その魅力に惹かれ私も何度足を運んだことか・・。


今思えば、防波堤の役割もあったのかな。


その何万本もの松が、今回の地震で全滅してしまいました。

しかし、、

その中でたった一本だけ生き残った松があるんです。

今回はその松にどうしても会いたくて、

とうとう会ってきてしまいました。。



再会した松は、葉の色は変色していましたが、

空に向かいまっすぐにまっすぐに

凜として立っていました。

たくましさと同時に

気品・プライドを強く感じました

高田松原海岸の当時の面影は全くありませんでしたが、

松の姿を見つけたときは、本当に感動しました。

一本だけでも残っていてくれて本当によかったです。







実は、我が家の始まりは、高田松原の海岸からなんです




そういうこともあり、今回は夫と一緒に

松の木に会ってきました。

家に帰ってきてから、夫が当時の写真を見つけてきました。

私が海岸で写っている写真です。

その写真を見てやっと、やっと

今回の一本の松がある周辺のイメージが浮かんできました。


それだけ壊滅的な被害だったのです。



どんなに時間がかかってもいい・・

また、いつか、以前の陸前高田市が戻ってくることを

二人で願っています。






ふと、考えたりするんです。

津波で周りの松が次々倒されている間

この一本の松は何を考え、何を思っていたのだろうか・・









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がれきと海と・・

2011-06-25 00:12:40 | 東日本大震災
職場から車で数分のところに

今回津波で被災した「七ヶ浜」という地域がある。

数日前、七ヶ浜に行く機会があった。

同僚が(七ヶ浜に行くと涙が出る)と言っていたことを思い出す。


車を走らせると、

普段通りの光景が突然信じられない光景に変わった。

えっ、何これ?

家が根こそぎなくなり、建っていたとしても

中身は全くない状態。

船が押し上げられ、木が倒され、色も変わっていた。

車で走っても走ってもいつまでも続くがれき。

広範囲にわたって津波が来たことがわかる。

所々境界線があって、

津波が来たところと来ないところと、

くっきり分かれていた。

生まれたときから、

共に過ごしてきた「青い海」

時には親であり、子どもであり、友だちであり、

同僚であったかもしれない・・。

その海が恐ろしい「凶器」に変わった。

その瞬間の心情を考えると

言葉では表現できないほど痛ましい。

東北の人はたくましい・・なんてよく言われるけど、

(確かにたくましいけど)

まだまだまだまだ

本音は、泣きたい気持ちでいっぱいなんだと思う。

本音は、めいっぱい弱音を吐きたいんだと思う。

思いっきり泣けるところつくってあげたいよ。

そんな気持ちもよそに

何事もなかったかのように美しい青い海が静かに広がっている。


残酷だな。













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高田松原

2011-04-04 00:31:50 | 東日本大震災
私は初任地が気仙沼で、3年間住んでいました。

気仙沼あたりはどこに行っても美しい海が広がっていて

思う存分感動と楽しさを満喫して生活していました。

美しい海の中でも特に好きだったのは「高田松原」という海岸です。

この海岸は陸前高田市にある海岸で、海岸線に沿ってずっとずっと

松原が続いているそれはもう表現できないほどのすばらしい海岸です。

かといって人がたくさんいる海岸でもなく、

どんな心境の時でも「落ち着ける海岸」として

心のよりどころにしていた海岸でもありました。

何かにつけて何度も何度も通った記憶があります。

しかし、今回の地震で気仙沼も陸前高田も高田松原海岸も大変な被害を受けてしまい、

思い出が多いだけに動揺がおさまりません。

ただ、先日の新聞に

高田松原海岸の松の木がたった1本だけ残ったという記事がありました。

あれだけの強くでかい津波に何本も松が倒されていく中で

たった1本だけ倒れずに残ったというのです。

奇跡的なことです。

何だかん心が救われたような気がしました。

自分の記憶と三陸の土地を結びつけてくれる唯一の木なのかもしれません。

津波を逃れるためにどんなに必死に頑張ったかと思うと

その一生懸命さとたくましさに感動します。

気仙沼も陸前高田も高田松原海岸も一日でも早くもとの姿に戻ることを

心より願っております。

そして残った1本の松のように私も一生懸命たくましく生活しなければと思います。

    ~その残った1本の松に会いたいな~




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愛情タップリ応援物資 ~part2~

2011-03-29 22:32:57 | 東日本大震災
3/27にいよいよ水が出た!!

やっぱ水が出ると生活が潤いますね!!

洗濯ができるのが何より

ただ、まだガスが出ないので調理に規制があり、

お風呂に入れな~い

しかしまだまだ品数は揃っていませんが、

お店には並ばず買うことができるようになりました。

「やったァ~!!」と思いきや

やっぱまだ甘かった(笑)

どの店も品物がなくなり次第閉店するので

仕事帰りには、どの店ももう真っ暗ァ~

何も購入できず

かなりガッカリしているところに

またまた届いたァ~!

~愛情タップリ応援物資~


今度は東京にいる娘から届きました。

現在東京もいろいろ大変なのに・・

でも購入も調理もまだまだ不自由なので
助かりましたァ!!
ありがとう!!



まだ学生なのにお金使わせちゃったね。
でも感謝してま~す。




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愛情タップリ応援物資

2011-03-25 23:51:32 | 東日本大震災
3/24(木)・・まもなく震災から2週間という日のこと。

いまだ、水なし、ガスなし、ガソリン・灯油不足の生活。

更に卵、肉、魚、牛乳等動物性たんぱく質のたぐいの物は全く販売されず・・。

パンも最近見てない・・。

その他の品物についても必要な物ほど手に入りにくい。

もちろんまだまだ贅沢な生活ということは知ってる。

でもやっぱりもうちょっと・・食べたい、ほしい・・よね。

とそんな時

我が家にも応援物資が届いたァ~

大阪に住む娘が送ってくれたァ~!!
これで1週間は乗り切れる。
魚肉ソーセージは肉代わりに使える。
心配かけてごめんなさい。
でも助かります!!



東京に住む娘も荷物を送ってくれるということです。

娘たちよありがとう~!!
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何もないけどのり巻き~元気バリバリ出るぞ~

2011-03-23 23:24:28 | 東日本大震災
わぁ~やったぁ~!!
並んでガソリン入れたぞ~

これで温泉行けるぞ~
ちょっと遠出して混まない温泉がいいな。

わぁ~やったぁ~!!
やっとやっとお風呂は入れたぞ~

わぁ~やったぁ~!!
並んでコインランドリーで10日分の洗濯したぞ~

わぁ~やったぁ~!!
給水所でタップリ水もらったぞ~

何とも言えない充実感(笑)
何もかもすっきりしたぁ~!!

あとは食べたいものが食べたいだけほしい~!!

こればっかりはなかなか・・手に入らない(泣)

ただ多くの食材があっても水とガスがないから

煮たり焼いたり・・思う存分できないんだよね。

少ない食材で・水とガスを節約して

空腹を満たすもの・・・

これがここ一週間の課題だな。

今までもちょこっと紹介してきたけど

今回も2品載っけておこう~!!

食材なくても水がなくてもガスがなくても
のり巻き食べて元気出そう~(笑)
元気バリバリ出るぞ!!



のり、すし飯、梅干し、キュウリ
仙台名物笹かま付きです。

ついでにコチュジャン入り大根の煮物も
載っけま~す!!
すんごくおいしいよ!!
今はストーブでくつくつ煮てます。



大根 300g位・ちくわ・酒 大2・しょうゆ 大1 1/2
みりん 1 1/2・砂糖 大1 1/2・コチュジャン 小2
とりがらスープ 小1・おろしニンニク 適当・水 250ml



まぁ、何もない時はないなりに何かはできるもんだね!!

水、ガスは当分こないらしい~。

マイペースで切り抜けよう~!!








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煮物はストーブで、食パンの代わりに卵なしケーキ?

2011-03-20 00:59:19 | 東日本大震災
大地震3/11から9日目です。

私はまだまだ贅沢な方なのですが、それでも

ガスなし、水なし、ガソリンなし、灯油不足の生活です。

食料は相変わらず並んで手に入れてます。

10品までと制限があり、賞費期限が短い物は手に入りません。

ただ、品物の種類が少し増えたかな。並ぶ時間も1時間半位になったし・・

ガス欠なので何処に行くにも歩って行きます。

月曜日から職場にどうやって行こう?

今年は何でこの時期こんなに寒いの?

灯油不足なので時間決めてストーブ使ってます。

寒くて我慢できないときだけ2時間つけます。

その時がチャンスです。煮物を作るんです。

煮物の具はあるものをかき集めます。



ストーブの消火とともに煮物もできあがりです。



食パンが今日やっと手に入り久々のトーストを食べました。(大感激!!)

でもまたいつ食パンが手に入るか・・・

トーストが食べたくても食パンが手に入らないときは・・

ある材料を混ぜて焼いてみるか・・


マーガリン100g・砂糖80g、小麦粉100g、BP小2

水が不足しているので焼く型に直接マーガリンを
入れて溶かし砂糖、小麦粉、ベーキングパウダー
を入れてかき混ぜて180℃のオーブンで30分
位焼けばOKよ。

卵が入ってないので砕けやすいけど・・おいしいよ!


あともう1種類
これはもっとおいしい

マーガリン80g、砂糖50g~60g、小麦粉80g
BP小2、完熟バナナ3本

前の生地に完熟したバナナを3本つぶして入れて
焼きました。今回黒い部分がけっこうあるバナナ
を使ったので砂糖少なめにしました。

卵なしでも普通に仕上がり、とてもおいしい!!


今回歩く生活で改めて思ったのですが、

どんなに長い距離でも一歩一歩前に進むと必ず目的地に着くのね。

一歩ってすごいなと思いました。

とにかく辛いときこそ ~まず一歩・・進んでみよう~












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大地震

2011-03-15 08:27:01 | 東日本大震災
先日宮城沖地震に備えなきゃ・・と書きましたが、

とうとう来てしまいました。

3/11(金)・・大きな揺れが来ておさまったかなと思い立ち上がろうとすると

また大きな揺れ、またおさまったかなと思い立ち上がろうとすると大きな揺れ。

とっさに(普通の揺れじゃない)と思いました。

みんなで外に避難したのですが、無情にも待ってたかのように

大きな粒の雪がどんどん降ってくる。

建物はがたがた揺れ、中にはいるのは危険。

安全な外は雪で寒い・・

最悪でしたね。

しかし、私は奇跡的に津波の難は逃れました。

私の職場は津波の被害が大きかった街にありますが、

何とか我が職場までは津波は到達せず、無事にここにいます。

ちょっとそこまで出かけていたなら、巻き込まれていたかもしれません。

しかし、今まだ知り合いの中で連絡が取れずにいる方がいるので

心配です。

昨日やっと電気が通ってテレビを見ることができました。

あまりにもひどい惨状に言葉がありません。

普段は贅沢している国なのに、いざとなると、なぜ早急に

水、食料、毛布、トイレ等が避難されている方々全員に行き渡らないのでしょう?

腹立たしくさえ思います。

避難されている方々が早く、暖かくてお腹が一杯になる環境で過ごせるよう願っています。

そしてまた、連絡がつかない家族や知り合いがいる方、必ずどこかで避難してます。

気持ちを強く持って下さい。

あきらめないで頑張りましょう!!



贅沢な悩みですが、
私も水、食料がなかなか手に入りません。
ガスもきてません。困っています。
写真は4時間以上並んでゲットした食料です。
でも水が手に入っただけでもラッキーなんです。




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