永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(991)

2011年08月21日 | Weblog
2011. 8/21      991

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(52)

「御覧ぜさせねど、前々も、かやうなる御心しらひは常の事にて、目馴れにたれば、けしきばみ返しなど、ひこじろふべきにもあらねば、いかがとも思ひわづらはで、人々にとり散らしなどしたれば、おのおのさし縫ひなどす」
――(侍女の大輔は)いちいち中の君の御覧には入れませんが、薫のこういうお心遣いはいつものことなので、すっかり見慣れていますので、今更わざとらしくお返しするなどと、あちこち引っぱりまわすことでもないと、特別案ずることもなく侍女たちに分け与えなどしましたので、それぞれが反物を刺したり縫ったりします――

 若い女房で中の君のお側に仕える者も、下仕えの者も、それぞれにさっぱりとした衣裳でいるのは気持ちの良い事。

「誰かは、何事をも後見かしづききこゆる人のあらむ。宮は、おろかならぬ御志の程にて、よろづをいかで、とおぼしおきてたれど、こまかなる内々のことまでは、いかがはおぼし寄らむ。限りもなく人にのみかしづかれて、ならはせ給へれば、世の中うちあはず寂しきこと、いかなるものとも知り給はぬ、ことわりなり」
――いったいどなたが、このようにお世話なさる方がいましょうか。匂宮は中の君に並々ならぬご厚意で万事をいかにしても、と思い決めていらっしゃいますが、このような細やかなところまではお気づきになれないのです。匂宮は何から何まで人にかしづかれ、大事にされる一方で過ごし馴れてこられましたので、世の中が思い通りになるわけでもなく見たされない寂ささが、どんなものかもご存知ないのでした。たしかに尤もではありますが…――

「艶に、そぞろ寒く花の露をもてあそびて、世は過ぐすべきもの、とおぼしたる程よりは、おぼす人の為なれば、おのづから折りふしにつけつつ、まめやかなる事までもあつかひ知らせ給ふこそ、あり難くめづらかなる事なめれば、『いでや』など、謗らはしげにきこゆる御乳母などもありけり」
――世の中はただ雅やかに、そぞろな寒さもいとわず花の露をもてあそぶように、風流に過ごすものだとばかりお考えになっておられます。その割には、愛する人(中の君)の為には、季節に合わせての生活の面倒も見てお上げになるという、この匂宮としては、いつにないお肩入れなので、「まあまあ、そんなことまでなさらなくても」と、匂宮の乳母たちが非難がましく申し上げたりもするようですが――

 中の君としては、この二条の院が立派過ぎて、わが身にふさわしからぬお住居も困ったもの、またみすぼらしい女童も混じっていたりと、人知れず恥ずかしくお思いになっておられましたが、この頃はそれどころではない。噂に高い六条の院の六の君の華やかなお暮らしぶりと比べて、匂宮の宮にお仕えになっている人々は、こちらを何と思っておられよう、さぞかしみすぼらしく思っておいでであろうと、あらたな物思いも加わって、辛くお心も乱れがちでいらっしゃる。

◆ひこじろふ=あちらへ引っ張り、こちらへひっぱり。引きずる。

では8/23に。