永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(985)

2011年08月09日 | Weblog
2011. 8/9      985

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(46)

 薫には、宇治におられた頃より、今の中の君がずっとご立派で優れて見えたのでした。そしてお心のうちで、

「何かは、この宮離れはて給ひなば、われをたのもし人にし給ふべきにこそはあめれ、さても、あらはれて心安きさまにえあらじを、しのびつつまた思ひます人なき、心のとまりにてこそはあらめ」
――何のことはない。匂宮がすっかり離れてしまわれたなら、中の君は自分を頼る相手になさる筈のことだ。それにしても、天下晴れて夫婦になるというわけにもゆくまいが、人目を忍びながら通う女とてない身では、この方こそ心の安らぐ、ついの泊りにちがいない――
 
 など、

「ただこの事のみ、つとおぼゆるぞ、けしからぬ心なるや。さばかり心深げにさかしがり給へど、男といふものの心憂かりけることよ、なき人の御かなしさは、言ふかひなきことにて、いとかくくるしきまではなかりけり。これは、よろづにぞ思ひめぐらされ給ひける」
――ただただ中の君にお逢いすることばかりが心から離れないのは、なんと怪しからぬ心ですこと。あれほど薫は思慮深そうで賢人ぶっておられるけれど、男というものは何と厭なものだろう。亡き大君への悲しさは、今更言っても仕方がないことで、これ程苦しくははかった。中の君のことでは、ありとあらゆる点に物思いをなさらずにはいられないのだから――

「『今日は宮渡らせ給ひぬ』など人の言ふを聞くにも、後見の心はうせて、胸うちつぶれて、いとうらやましく覚ゆ」
――「今日は、匂宮が二条の中の君のところに渡られました」などと人が言うのを聞くだけで、薫は後見人の立場も忘れ、はたと胸がつぶれ、羨ましく妬ましくばかり思われます――

「宮は、日頃になりにけるは、わが心さへうらめしく思されて、にはかに渡り給へるなりけり」
――匂宮は、中の君への無沙汰が幾日にもなっているのを、やはりご自分でもお気の毒の思われて、思い立ってこちらへお出でになりました――

「何かは、心へだてたるさまにも見えたてまつらじ、山里にと思ひ立つにも、たのもし人に思ふ人も、うとましき心添ひ給へりけり、と見給ふに、世の中いとところせく思ひなられて、なほいと憂き身なりけり、と、ただ消えせぬ程は、あるに任せて、おいらかならむ、と思ひ果てて、いとらうたげに、うつくしきさまにもてなし居給へれば」
――(中の君は)決して匂宮の情(つれ)なさに対して隔てをおいているような態度は見せまい。宇治に帰ろうと思い立ってはみたものの、頼りと思う薫も、厭な気持を抱いていらっしゃったのだと分かってからは、いよいよ身の置きどころのない心地がして、やはり自分は不幸な生まれつきなのだ。でもこの世に命のある限りは、宿命のままに穏やかにしていようとお心に決めて、まことに愛らしく素直なご様子に振る舞っていらっしゃる――

では8/11に。