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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(451)

2009年07月20日 | Weblog
09.7/20   451回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(5)

蛍兵部卿の宮は、

「なほ一所のみおはして、御心につきて思しける事どもは、皆違ひて、世の中もすさまじく、人わらへに思さるるに、さてのみやはあまえて過ぐすべき、と思して、このわたりに気色ばみより給へれば」
――まだ独身で、ご自分の希望されたことが皆遂げられず、世の中もつまらなく、外聞も悪いと思っておられますが、このままで良い気になって過ごす訳にもゆくまいと考えられて、真木柱に求婚なさいますと――

 式部卿の宮は、

「何かは、かしづかむと思はむ女子をば、宮仕へにつぎては、親王たちにこそ見せ奉らめ。ただ人の、すくよかになほなほしきをのみ、今の世の人の賢くする、品なきわざなり」
――何の、大事にしようと思う娘なら、宮仕えの次には、宮さまに差し上げるのが一番だ。臣下でただ真面目で、ありきたりの人をこの頃の人は喜ぶようだが、品位のない考えだ――

 と、おっしゃって、蛍兵部卿の宮をひどく焦らすこともされず求婚を承諾されました。
余りにも簡単に承諾された蛍兵部卿の宮は、張り合いもなく物足りなくも思われましたが、

「大方のあなづりにくきあたりなれば、えしも言ひすべし給はでおはしましそめぬ」
――式部卿の宮家は、馬鹿にできぬお家柄ですので、言い逃れもお出来になれず、婚姻のため通い始められました――

 式部卿の宮は婿君としてまたとないほどご立派にご待遇なさいます。式部卿の宮には姫君が何人もおられましたが、ご長女は髭黒の大将に嫁して離縁され、次女の王女御は、
秋好中宮に気圧されて立后もできないなど、女子のお世話はこりごりなさった筈ですのに、それでも孫娘の真木柱を放って置かれず、真木柱に、

「母君は、あやしきひがものに、年頃に添へてなりまさり給ふ。大将はた、わがことに従わず、とて、疎かに見棄てられたれば、いとなむ心苦しき」
――あなたの母君は、気の狂おしさが年々ひどくなっていかれる。父君の大将は「自分の言う事に従わない」と言って、あなたをいい加減にして放って置かれるので、本当にかわいそうだ――

 と、おっしゃって、真木柱のお部屋の飾りつけもご自分で身を入れて、熱心にお心を尽くしてお二人をお世話しております。…が。

ではまた。


源氏物語を読んできて(450)

2009年07月19日 | Weblog
09.7/19   450回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(4)

 左大将殿の北の方(髭黒大将の北の方・玉鬘)は、ご自分のご兄弟である太政大臣家の君達よりも、右大将(夕霧)の君を、昔と同様に親しく思っていらっしゃいます。玉鬘は今風で才気のある方で、夕霧も、実の御妹君の明石の女御よりも気安く感じられて、一風変わった親しさで交わっていらっしゃる。

 「男君、今はまして、かの初めの北の方をも、もて離れはてて、並びなくもてかしづき聞こえ給ふ」
――髭黒の大将は、今では初めの北の方(式部卿の宮のご長女君)ともすっかり縁を切られ、二人と並ぶ者のないほど、玉鬘を大切にしておられます――

 ただ、お子様は男君ばかりで寂しいので、あの真木柱を引き取って養育したいものと
思うのですが、御祖父の式部卿の宮は断固としてお許しにならず、

「この君をだに、人わらへならぬさまにて見む」
――真木柱だけでも、みっともなくないように育てよう――

 この式部卿の宮という方は、世間のご声望も結構高く、帝もこのことには同情をお寄せになっておられます。

「大将も、さる世のおもしとなり給ふべき下形なれば、姫君の御おぼえ、などてかは軽くはあらむ」
――髭黒の大将も、将来、世の柱石ともなられるお立場ゆえ、真木柱への執着が軽い筈はございません。(姫を政略として使い、外戚の身分を固めたい)――

 真木柱への求婚者は大勢おられるようですが、式部卿の宮は快いご返事をなさらない。

「衛門の督を、さも気色ばまばと思すめかめれど、猫には思ひ貶し奉るにや、かけても思ひよらずぞ、口惜しかりける」
――(式部卿の宮は)柏木を、もしこの人が申しこんで来たならば、許しても良いとお思いのようですが、柏木は真木柱を猫より低い者と思い貶していると見えて、夢にもそんなことは考えてもいないらしく、残念でならないのでした――

 真木柱は、母君が矢張り妙に変わった人で、今も気がおかしいのが悲しく、継母の玉鬘を慕わしく思っておいでの、現代風なお方です。

ではまた。


源氏物語を読んできて(449)

2009年07月18日 | Weblog
09.7/18   449回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(3)

 東宮は、それをお聞きになって明石の女御をとおして、女三宮から唐猫を進呈なさるように、おさせなさったのでした。まことに愛らしい猫との評判どおりで、人々がうち興じていらっしゃるのを、柏木は目的通りに運んだことに満足なさって、数日して内裏に参上なさったのでした。

「御猫どもあまたつどひ侍りにけり。いづら、この見し人は」
――たくさんの猫どもが集まっていますね。どこでしょう、私が見ましたあの時の猫は――

 と、尋ね見つけて、たまらなく可愛らしく思って抱いて撫でております。

「まさるども侍ふめるを、これはしばし賜りあづからむ」
――こちらには、この猫以上のものもいるでしょうから、これをしばらく拝借しましょう――

 と、申し上げながら、お心の内に、あまりにも私は愚かしいことをするものよ、と思うのでした。
 やっとこの猫を迎え取って、真から可愛がっておりますので、猫もよく馴れて纏わりつき、ますます可愛く、夜は抱いて寝る事もあります。

「『恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とてなく音なるらむ』これも昔の契や、と、顔を見つつ宣へば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れてながめ居給へり」
――「恋い慕う女三宮の形見として、飼いならしていると、お前は何のつもりで
ねうねうと鳴くのだろう。(ねうねう=寝う寝う)」これも前世からの深い約束であろうか、と、猫の顔を見ながらおっしゃると、ますます可愛らしく泣きたてますので、懐に入れてはぼんやりと物思いに沈んでいらっしゃる――

 女房たちは、

「あやしくにはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れ給はぬ御心に」
――妙なこともあるものですこと。猫が急に可愛がられるなんて。今まで猫などには見向きもされませんでしたのに――

 と、不審がっております。
東宮から「猫をこちらへ返すように」と催促されましても、お返し申さず、猫を側から離さず、なにかと話相手にしていらっしゃる。

◆写真:猫を抱く柏木  wakogenjiより


源氏物語を読んできて(猫はいつから)

2009年07月18日 | Weblog


 猫はいつから日本に来たのでしょう。
5世紀頃、インドから仏教の伝来と共にシルクロードを経て中国に持ち込まれた「イエネコ」。やがて、仏教の教えを説く教典がネズミにかじられないように、一緒に船に乗せられ、日本へやってきます。当時のネコは中国から来たので「唐猫」と呼ばれ、その数はごく少数だったとか。

 清少納言の「枕草子」には、一条天皇が猫を溺愛しいていたことが書かれ、猫を飼うことは平安貴族の習慣だったようです。

◆写真:猫たち

源氏物語を読んできて(448)

2009年07月17日 | Weblog
09.7/17   448回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(2)

 「自らも、大臣を見奉るに、気恐ろしく眩く、かかる心はあるべきものか、斜ならむにてだに、けしからず、人に点つかるべきふるまひはせじ、と思ふものを、ましておほけなき事」
――(柏木は)自分自身も、源氏を拝しますと何となく恐ろしく、気恥ずかしく、このような料簡を持って良いか、ちょっとしたことでも決して人に非難されるような行動は取るまいと思っていますのに、ましてこんな大それた事を――

と、思い悩まれたその果てに、

「かのありし猫をだに得てしがな、思ふこと語らふべくはあらねど、傍ら寂しきなぐさめにもなつけむ」
――あの時の唐猫でもせめて手に入れたいものだ。猫に心の思いを話しても仕方がないが、独り寝のなぐさめに懐に抱いてなつけたい――

 と、思い始めますと、もの狂おしいまでに猫が恋しくなって、どうして盗みだそうかと考えますが、それこそ難事だと思うのでした。

 ある日、柏木が参内しました折、宮中の飼い猫が子猫をたくさん産んで、あちこちに分かれていて、東宮のところにも可愛い猫が一匹来ております。柏木はあの日を思い出し、

「六条の院の姫君の御方に侍ふ猫こそ、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。わづかにてなむ見給へし」
――六条院の女三宮の御殿にいます猫こそ実に稀に見る良い顔で可愛らしゅうございました。ちょっと見ただけでしたが――

 東宮は特に猫を愛されるご性分ですので、詳しくお聞きになります。

「唐猫の、ここのに違へるさましてなむ侍りし。(……)」
――唐猫で、こちらのとは違って可愛い様子をしていました。(猫はどちらも同じように見えますが、性質がよくて、人に馴れているのは稀なほどで、心に惹かれるものです)――

 と、東宮があの唐猫にご興味を持たれますように、柏木は上手に申し上げるのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(年中行事・賭弓)

2009年07月17日 | Weblog
年中行事・賭弓(のりゆみ)

 賭弓(のりゆみ)は、859年頃から宮中で正月十八日に催す、賞を賭ける弓の競技。稽古として七日には左右 近衛府の荒手結(あらてつがい)、十一日には 兵衛府の荒手結、十三日には真手結という予行演習をを行う。

 当日天皇が 射場殿に出御し、競技は 近衛府・ 兵衛府の射手が各一人ずつ分かれて射る。

 近衛十人・ 兵衛七人・左右 近衛より各二人ずつ出て射る。
三、四射つのを原則とし、その合計点で勝ちをきめる。
勝方には賭物を賜り、勝方が負方に罰酒を行う。勝方の大将は自分側の射手を自邸に招き饗宴を行う。これを賭弓(のりゆみ)後の還饗(かえりあるじ)という。



源氏物語を読んできて(447)

2009年07月16日 | Weblog
09.7/16   447回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(1)


源氏(臣下で最高の准太上天皇)   41歳3月~47歳2月
紫の上(源氏に養育され寵愛されているが、北の方ではない)
             33歳~39歳
女三宮(朱雀院の三の宮で、源氏に降嫁・北の方)15、6歳~21、2歳
冷泉帝(自身、源氏と故藤壺中宮の御子であると気づいている)
秋好中宮(六条御息所の姫宮で、冷泉帝の中宮) 32歳~38歳
明石の御方(源氏との間に明石の姫君をもうけた) 32歳~38歳
明石女御 (東宮の女御)13歳~19歳
匂宮(におうのみや)  誕生(東宮と明石女御の第三の男宮)
玉鬘(髭黒の大将の後添え・北の方) 27歳~33歳
夕霧   20歳~26歳
雲井の雁(太政大臣の外腹姫君、夕霧の北の方)22歳~28歳
柏木(太政大臣の長子) 25、6歳~31、2歳
落葉宮(朱雀院と一条御息所の二の姫宮)
蛍兵部卿の宮(源氏の母違いの弟宮)
真木柱(髭黒の大将と前北の方の姫君)

 
 小侍従からの返事に柏木は、

「道理とは思へども、うれたくも言へるかな、いでや、なぞかく、異なる事なきあへしらひばかりをなぐさめにては、如何過ぐさむ、かかる人伝ならで、一言をも宣ひ聞こゆる世ありなむや、と思ふにつけて、大方にては、惜しくめでたしと思ひ聞こゆる院の御為、なまゆがむ心や添ひにたらむ」
――(女三宮に是非お逢いしたいという願望は無駄だとは)尤もかも知れないが、ひどい事を言ってくれたものだ。ええい、何でこんな通り一遍の挨拶を気休めにできようか。人を介してではなく、直接宮とお言葉を交わす折がないだろうかとお思いになるにつけても、あの何事にもご立派な源氏に対して、反逆めいた心持ちが加わってくるのでした――

 三月晦日の日に、小弓とかで、又大勢の方々がお集まりになることとて、柏木は、

「なまものうく、すずろはしけれど、そのあたりの花の色をも見てやなぐさむと思ひて参り給ふ」
――何だか優鬱で、気分も落ち着かないのですが、女三宮の御殿の辺りの桜でも見れば、心が慰められるかと思ってお出かけになります。――

 宮中の賭弓(のりゆみ)が、二月に催されるはずのところ、そのまま過ぎて、三月は帝の御母宮の藤壺の祥月に当たりますので、皆残念に思っていました折に、六条院でこのような小弓の催しがあると聞き伝えて、それでこのようにたくさん集まられたのでした。
 左右に別れて競いあい、気勢をあげて弓を射、懸賞品を頂くなど、暮れゆくまで春を名残り惜しんで、いよいよ酒宴となりました。衛門の督(柏木)は、相変わらず沈み切っていますので、事情を少しはご存知の夕霧は、

「なほいと気色異なり、わづらはしきこと出で来べき世にやあらむ」
――(柏木の様子が)大分おかしい、何か面倒なことが起こりそうな気がする――

 と、心配されます。このお二人はたいそう仲が良く、格別にお互いを思い合って隔てなく付き合っていますので、柏木の心も上の空の様子が気にかかって仕方がないのでした。

◆うれたし=嘆かわしい、腹立たしい

◆あへしらひ=応答、あいさつ

◆なまゆがむ心=なま(生)=不完全な、未熟な。

ではまた。
 

源氏物語を読んできて(小弓)

2009年07月16日 | Weblog
小弓(こゆみ)

 短小の弓の総称だが、特に平安時代以来、宮中や仙洞をはじめ広く貴族社会で行われた遊興の的射、及びそれに用いる的弓のことをいう。小弓は遊戯の具で、座したまま左膝を立てて左の肘をもたせかけ、右手を顔近く寄せて射る遊び。この源氏の場面では、賭け物賞品類が沢山出された。

◆写真と参考:風俗博物館 

源氏物語を読んできて(446)

2009年07月15日 | Weblog
09.7/15   446回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(55)

 柏木からのお文には歌が添えられていて、

「よそに見て折らぬ歎きはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ」
――よそながらお見かけしましただけで、お逢いできない歎きはいや増して、夕べの花陰のお姿が恋しく忍ばれます――

 と、あります。小侍従はあの日、居なかったので事情を知らず、お文の内容が飲み込めず、ただ、まだ見ぬ恋に憧れてのありふれたものと思っています。女三宮にこのお文を持って来て申し上げますには、

「この人の、かくのみ忘れぬものに、こととひものし給ふこそわづらはしく侍れ。(……)自らの心ながら知り難くなむ」
――柏木の君が、こうして宮さまを忘れられぬとお手紙をお寄こしになるのが、とても私には迷惑です。(あまりの思いこみに、私の方で、見るに見かねることになりそうで(思いを遂げるお手伝いをしそうで)私の心も変になりそうです――

 女三宮はちょっとお笑いになっておっしゃるには、

「いとうたてある事をも言ふかな」
――まあ、何てとんでもない事を言うの――

 と、気にかけるご様子もなくおいででしたが、広げられたお文をちらりとご覧になって、「見もせぬ」の歌の文字にはっとなさって、あの軽率だった御簾の端のことを思い合わされ、源氏がいつも「大将に見え給ふな。いはけなき御有様なめれば、自ずからとりはづして見奉るやうもありなむ。(夕霧にお姿をお見せになってはいけませんよ。あなたは他愛ないところがおありですから、ひょっとしてお姿を見られるということもありますからね)」ご注意なさっておられたことを思い出されて、柏木に見られた事にはお考えが及ばず、

「先づ憚り聞こえ給ふ心の中ぞ幼かりける」
――真っ先に源氏に気兼ねし、怖がっておいでになるのは、まことにお気持ちが幼ない――

 小侍従は、あの日、柏木が自分に逢いにいらしたのでないらしい、とは察しましたが、宮からのお返事はもちろん頂けませんので、

「いまさらに色にな出でそ山桜およばぬ枝にこころかけきと」
――及びもつかぬ宮様へのお気持ちは今更お顔にお出しになりませんように――

 無駄なことですよ、と、自分でお返事をしました。(柏木と小侍従は男女の関係にあると考えられます。この時代、思いと遂げるためには側近の女房を情愛で手なずけます)

【若菜上(わかな上)の巻】おわり。

源氏物語を読んできて(445)

2009年07月14日 | Weblog
09.7/14   445回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(54)

 柏木は今もなお父君の太政大臣邸の東の対に、独身で暮しておられます。女三宮を得たいとの下心があるまま、独身を通しています。どうにも寂しく心細い時もあるのですが、

「わが身かばかりにて、などか思ふ事かなはざらむ、とのみ心おごりするに、この夕べより頭痛く、物おもはしくて、いかならむ折にか、また然ばかりにても、ほのかなる御有様をだに見む」
――(柏木は)自分程の優れた地位や器量を持っていて希望の叶えられないということがあろうかと、自負心を抱いていましたのに、蹴鞠の日の夜から、ひどく気が滅入って
思い煩うばかり。どうにかしていつか、あの蹴鞠の時くらいの仄かさで、宮にお目にかかりたいものだ――

 身分が低く何をしようと目立たない人なら、何とでもして逢う機会を作れるだろうに、
私の身分になると、めったなことも出来ず…。

「深き窓の内に、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせ奉るべき」
――六条院の寝殿に住まわれるような深窓の尊い御方である女三宮に、どのような手段で、このように深く恋していますと、お知らせできようか――

 と、胸が痛み苦しいので、女三宮付きの女房の小侍従という者に、例のように文を届けるのでした。

お文には、

「一日風に誘はれて、御垣の原をわけ入りてはべしに、いとどいかに見貶し給ひけむ。その夕より、みだり心地かきくらし、あやなく今日はながめくらし侍る」
――先日偶然なことで、御殿に参りましたが、宮はさぞ以前よりいっそう私をお蔑みになったでしょうね。その夜から心が乱れまして、正気もなくぼんやりと過しております――

ではまた。