永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(85)の5

2015年12月15日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (85)の5 2015.12.15

「ふりがたくあはれと見つつ行きすぎて、山口にいたりかかれば、申のはてばかりになりにけり。蜩さかと鳴きみちたり。聞けばかくぞおぼえける。
<なきかへる声ぞきほひてきこゆなる待ちやしつらん関のひぐらし>
とのみ言へる、人には言はず。走井にはこれかれ馬うちはやして先立つもありて、いたり着きたれば、先立ちし人々いとよく休みすずみて心地よげにて、車かきおろすところに寄り来たれば、後なる人、
<うらやまし駒の足疾く走井の>
といひたれば、
<清水に影はよどむものかは>」
◆◆去りがたく、しみじみと心惹かれて景色を見ながら、逢坂山の麓にさしかかると、申(さる=午後3時~5時ごろ)になってしまいました。蜩が今を盛りと鳴き満ちています。それを聞くとこんなふうに感じられました。
(道綱母の歌)「激しく鳴くひぐらしの声が、泣き泣き帰る私の泣き声に劣らじと聞こえてきます。私もまっていたのか、逢坂の関のひぐらしは」
とだけ、口の中でつぶやして、誰にも言いませんでした。
走井には、従者の中に馬の足を速めて先に行った者もいて、私たちが到着すると、その先だった連中が、十分休息をとり、涼んで、気持ち良さそうな顔をして、車の轅を降ろす所に寄ってきたので、車の後ろの方に乗っていた人が、
(同乗の女性の歌)「うらやましいこと。馬を疾走させて、先に泉に到着している人は」
と言ったので、私は、
(道綱母の歌)「勢いよく流れる走井の水には影は映らない。足の速い馬なら、清水でゆっくり休んでいるものですか。うらやむことはありませんよ」



「ちかく車よせて、奥なる方に幕などひきおろして、みな下りぬ。手足も浸したれば、心地物思ひ晴るくるやうにぞおぼゆる。石どもにおしかかりて、水遣りたる樋のうへに折敷どもすゑて、もの食ひて手づから水飯などする心地、いと立ちうきまであれど、日暮れぬなどそそのかす。かかる所にては、物などいふ人もあらじかしと思へども、日の暮るればわりなくて立ちぬ。」
◆◆清水の近くに車を寄せて、道から奥に引っ込んだところに幕などを引き廻らして垂らして、みな車から降りました。手も足も水にひたすと、鬱陶しい物思いもすっかり消えて晴れ晴れする気がするのでした。石などにもたれて、水を流している筧の上に折敷などを据えて、食事をし、自分の手で水飯などをこしらえて食べる心地は、本当に帰るのが厭になるくらいですが、回りの人々が「日が暮れてしまいます。」などと言って急き立てます。こんな所では悩み事など言う人は居ないであろうと思うほど、いつまでも居たいけれど、日が暮れるので仕方なく出立したのでした。◆◆


■走井(はしりい)=逢坂の関付近の地名、大津市大谷町。現在月心寺の所にあり。

■水飯(すいは)=乾飯(ほしいひ)を冷水に浸して食べる夏の食物。


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