永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(57)

2008年05月25日 | Weblog
5/25  

【賢木】の巻 (5)

 御四十九日まで、女御、御息所たちもおられましたが、過ぎますと、みな散り散りに院を去ります。十二月も二十日になりまして、世間もさびしい年末の空模様に、心の晴れない藤壺でいらっしゃいます。弘徴殿大后のご気性もご気性で、これからその方面に変わっていく世の中を住みづらくお思いになりますが、それにしても、こんなに急に皆、余所へ余所へと移って行かれるので、限りもなくお悲しみになります。

やがて、藤壺も三條の里(自邸)にお移りになります。

 年が替わりましたが、源氏は心の晴れぬ日々でございます。かつては春の除目の時は、桐壺院がご在位の時もご退位なされても、源氏の勢力に劣ることはなく、ご門前に隙間も無いくらいに立て込んでいました馬や車が、今年は数が少なくなって、家司が手持ちぶさたに居ますのを見るにつけても、

「今よりはかくこそはと思ひやられて、ものすさまじくなむ。」
――今からこんなことではと思いやられて、もの寂しくお感じになります――

それぞれの方々のご様子がつづきます。

「御櫛笥殿(みくしげどの)は、二月に尚侍(ないしのかみ)になり給ひぬ」
――御櫛笥殿(朧月夜の君)は二月に尚侍になられました――

 内裏での朧月夜の君は、高貴で品格もおありで、大勢の宮仕えの中でも特別に羽振りがおよろしい。ごく内密に源氏と文を交しておいでのようです。源氏は例のお癖で、危険であればあるほどかえって突き進まれるようです。

 弘徴殿大后は、ご気性がきつく、今までのことに何とか復讐をしたいと思われています。というのは、左大臣の姫君でいらした故葵の上をわが東宮(現朱雀院)へと所望いたしましたのを、左大臣は辞退されて、姫を源氏に差し上げたことなど、いまだに根に持っておいでです。

 左大臣はといえば、すっかり気落ちなさって内裏にも参内されません。桐壺院の在世には何事も意のままでしたが、時勢が変わって右大臣が得意顔でおられるので、面白くないのも当然です。

 源氏はかつては桐壺院のご寵愛のため、ご多忙でございましたが、今ではお通いになる女のところへも絶え絶えに、お忍び歩きもつまらない風でございます。


 紫の上のお幸せを、乳母の少納言、御父君もご満足ですが、北の方(継母)は、妬む心がおありで、まるで「継子の出世物語」のように気に入らないご様子です。

 朝顔の姫君が賀茂の斎院にお決まりになりました。源氏は昔から、この姫君をお忘れになることはなかったのですが、このようなご身分になられては、なお隔てられ、口惜しいものの、どうにもなりません。

 源氏はあれやこれやと気の紛れることなく悩みの多いことでした。

 朱雀院(今帝)は故桐壺院の遺言を違えずにと思われるものの、お若くて気質もお優しすぎて、母の大后や祖父大臣(右大臣)のなさることに背くこともおできになれず、政もご自分の思うようにならないようでございます。

 源氏としては、面倒な事ばかり重なる中ではありますが、朧月夜尚侍とは、密かに心を通わせておられるので、無理にでもお逢いできないことはないとお考えになります。

◆尚侍(ないしのかみ、しょうじ、かんのきみ)=尚侍司(ないしのつかさ)の長官。常に帝の側近にあって、取り次ぎなどをつかさどった。妃となる場合もあり、その時には、更衣に次ぐ地位として遇された。

◆写真は  葡萄染(えびぞめ)の小袿姿の紫の上
 風俗博物館より

ではまた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。