永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて

2015年03月20日 | 蜻蛉日記を読んできて
蜻蛉日記  上巻 
(その2 ) 2015.3.20

「さて、あはつけかりしすぎごとどものそれはそれとして、柏木の木高きわたりより、かくいはせんと思ふことありけり。例の人は、案内するたより、もしはなま女などして言はすることこそあれ、これは親とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかししに、『便なきこと』と言ひつるをも知らず顔に、馬にはひ乗りたる人してうちたたかす。」

――さて、これまでちょっとした恋の駆け引きなどもありましたが、それはそれとして、摂関家の御曹司、兵衛府の衛門府官人の藤原兼家殿から求婚のご意向を伝えてくるということがありました。普通このような場合は、仲立ちの労をとるべく縁故や、取次ぎをする者をとおすものですが、これは父親に冗談とも真面目ともつかぬような申し方で言ってきましたので、私の方では「とんでもございません」と言っておりましたのに、そのようなことにはお構い無しに、馬に乗った使者に門を叩かせてよこしたのでした――

「『誰』など言はするにはおぼつかなからずさわいだれば、もてわづらひ取り入れて持てさわぐ。見れば紙なども例のやうにもあらず、いたらぬところなしと聞きふるしたる手も、あらじとおぼゆるまで悪しければ、いとあやしき。」

――「どなた様」と尋ねさせるまでもなく、あまりにわめき散らしますので、仕方無しにお手紙を奥に取り次いでの結果、そこで一騒動になったのでした。見てみますと手紙の料紙なども、懸想文のように凝ったものではなく、また隅々まで非のないように書くものだということを聞いていました筆跡なども、ぞんざいな書きっぷりで、何とも府に落ちないものでした――

「ありけることは、
<音にのみ聞けばかなしなほととぎすことかたらはんとおもふこころあり>とばかりぞある。『いかに。返りごとはすべくやある』などさだむるほどに、古体なる人ありて、『なほ』と、かしこまりて書かすれば、<かたらはん人なきさとにほととぎすかひなかるべき声なふるしそ>」

――そこには、(歌)「あなたのことを噂に聞くだけでは悲しい、お目にかかった是非お話をしたいです」とだけありました。「どうしましょう、お返事はやはりしないわけにはいかないでしょうか」などと相談していますと、古風な母が、「もちろんお返事は差し上げねばなりません」と恐縮して私に書かせましたので、(歌)「親しくなるような者もいないこの家に、何度も声をかけても無駄でございます」と。――

■柏木の木高きわたり=家門の高いことを「柏木」の縁で「木高き」といった。
 藤原兼家(かねいえ)は、右大臣藤原師輔(もろすけ)の三男、当時右兵衛佐であった。
■親とおぼしき人=作者の父、藤原倫寧(ともやす)。…とおぼしき=身内を卑下する婉曲表現。
■古体な母=古風な人。作者の母

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