永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(77)

2015年10月29日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (77)2015.10.29

「かくあるほどに、心ちはいささか人ごこちすれど、二十よ日のほどに、『御嶽に』とていそぎ立つ。をさなき人も『御供に』とてものすれば、とかく出だし立ててぞ、その日の暮れにぞ、我ももとの所など修理しはてつれば渡る。供なるべき人など、さし置きてければ、さてわたりぬ。」
◆◆こうしているうちに、気分は少しよくなってはきましたが、二十日すぎのころ、あの人は「御嶽詣でに」といって急いで出かけることになりました。道綱も「お供せよ」ということで同行するので、あれこれ支度をして送り出して、その日の暮れに私も、もとの家の修理も終わったので、そちらへ移りました。あの人がお供に連れて行くはずの人もこちらへ残してくれたので、それを使って引っ越しました。◆◆


「それより、さばかりうしろめきたる人をさへ添へてしかば、いかにいかにと念じつつ、七月一日の日のあか月に来て、『ただ今なん帰りたまへる』など語る。ここは、ほどいと遠くなりにたれば、しばしはありきなども難かりなんかしなど思ふに、昼つ方、なへぐなへぐも見えたりしは、なにとにかありけむ。」
◆◆それからは、まだまだ気がかりな子どもを一緒に行かせたので、始終どうしているかと、無事を祈っていると、七月一日の夜明け前に帰ってきて、「お父上は、たった今お帰りになりました」などと私に言いました。この家はあちら(兼家のお邸)から大分遠くなってしまったので、今までのように度々訪れることは難しいだろうと思っていますと、昼ごろ、ふらふらした疲れた足取りで訪ねてきたのは、一体どうした風の吹き回しだったのだろうか。◆◆


■もとの所=作者の旧邸。一条西洞院。兼家の新邸に結局入れたのは時姫で、作者は外面的にも敗者となった。そのため兼家は気を使っている。今までの作者の患いは正妻の座への絶望か。


■御嶽(みたけ)=奈良県吉野郡の金峰山。入山する前、長期間の精進をする。ここでも十日ほど日数をかけている。

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