永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(49)の2

2015年07月03日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (49)の2 2015.7.3

「かかるほどに心地いと重くなりまさりて、車さし寄せて乗らんとして、かき起こされて人にかかりてものす。うち見おこせて、つくづくうちまもりて、いといみじと思ひたり。とまるはさらにいはず。このせうとなる人なん、『何か、かくまがまがしう。さらになでふことかおはしまさん。はやたてまつりなん』とてやがて乗りて、かかへてものしぬ。」
◆◆このような日を過ごしているうちに、容態が重くなる一方でしたので、車を寄せて乗ろうと、抱き起こされてなんとか乗り込みました。こちらを振り返り私をじっと見つめていますのも、ひどく苦しそうでした。ここに残る私は言うまでもありません。弟なる人が「どうしてまあ、涙など流して縁起でもございません。まったく何ほどのことでございましょう。さあ、お車に早くお乗りなさいませ」と言って自分も乗り込んで、あの人を抱えながら行ってしまいました。◆◆


「思ひやる心地、いふかたなし。日に二たび三たび文やる。人にくしと思ふ人もあらんとおもへど、いかがはせん。返りごとはかしこなるおとなしき人して書かせてあり。『「みづからきこえぬがわりなきこと」とのみなん聞こえ給ふ』などぞある。ありしよりもいたうわづらひまさると聞けば、言ひしごとみづから見るべうもあらず、『いかにせん』など思ひなげきて、十よ日にもなりぬ。」
◆◆あの人の容態を思う心は言うまでもありません。一日に二度三度とお見舞いのお手紙をさしあげます。私を憎いと思う人もおいででしょうが、どうしようもないことでした。お返事はあちらの年配の侍女と思う人が代筆で、「ご自分でお返事できず、申し訳ない。とだけ申されています」などとありました。こちらにいる時よりも一層病状が悪化していると聞くにつけ、あの人が言っていたとおり、「もし死ななくても、これまでのようには来られまい」との言葉のように重い状態でも、私の方で看病して差し上げることもできず、「どうしたらよいのか」と思い嘆いていて十日あまりになったのでした。◆◆

■人にくしと思ふ人=私を憎いと思う人。時姫と周りの人たちのことか。

■兼家は、自邸ではどの妻とも同居してはいなかった。おとなしき人は兼家の乳母か。


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