09.8/20 482回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(36)
このようにかき口説く声に、女三宮は、ああ、あの人(柏木)と思い当たり、いっそう恐ろしく、あるまじきことと、全くお声も出ず、お返事もされません。
柏木は、
「いと道理なれど、世に例なきことにも侍らぬを、めづらかに情けなき御心ばへならば、いと心憂くて、なかなかひたぶるなる心もこそつき侍れ。あはれとだに宣はせば、それを承りて罷でなむ」
――ご無理もないことと思いますが、例の無いということでもございませんのに、あなた様の世にも稀な無情さが情けなく、辛くて、ますます一途にお慕いしてきたのです。たった一言「あわれ」とおっしゃってくだされば、それを伺って退出いたしましょう――
柏木が余所ながら想像しておりました女三宮は、さぞかし威厳がおありで、馴れ馴れしく近ずくことさえ難しく、自分の気持ちだけをお知らせして関係を持つことなど決してすまいと思っておりましたが、
「いとさばかり気高うはづかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見え給ふ御けはひの、あてにいみじく覚ゆることぞ、人に似させ給はざりける」
――気高くてお側に伺うのも畏れ多いというほどでもなく、ただなつかしく愛らしくて、えも言えずやわやわと、抱けばやわらかく添って、他の人に比べようもないのでした――
「さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちもゐて隠し奉りて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや、とまで思ひ乱れぬ」
――(柏木は)あれほどの自制心もなくなって、この上はどこへでも宮をお連れしてお隠しして、自分も出世の道など棄てて、行方をくらましてしまいたいとまで、夢中になっておりました。――
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(36)
このようにかき口説く声に、女三宮は、ああ、あの人(柏木)と思い当たり、いっそう恐ろしく、あるまじきことと、全くお声も出ず、お返事もされません。
柏木は、
「いと道理なれど、世に例なきことにも侍らぬを、めづらかに情けなき御心ばへならば、いと心憂くて、なかなかひたぶるなる心もこそつき侍れ。あはれとだに宣はせば、それを承りて罷でなむ」
――ご無理もないことと思いますが、例の無いということでもございませんのに、あなた様の世にも稀な無情さが情けなく、辛くて、ますます一途にお慕いしてきたのです。たった一言「あわれ」とおっしゃってくだされば、それを伺って退出いたしましょう――
柏木が余所ながら想像しておりました女三宮は、さぞかし威厳がおありで、馴れ馴れしく近ずくことさえ難しく、自分の気持ちだけをお知らせして関係を持つことなど決してすまいと思っておりましたが、
「いとさばかり気高うはづかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見え給ふ御けはひの、あてにいみじく覚ゆることぞ、人に似させ給はざりける」
――気高くてお側に伺うのも畏れ多いというほどでもなく、ただなつかしく愛らしくて、えも言えずやわやわと、抱けばやわらかく添って、他の人に比べようもないのでした――
「さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちもゐて隠し奉りて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや、とまで思ひ乱れぬ」
――(柏木は)あれほどの自制心もなくなって、この上はどこへでも宮をお連れしてお隠しして、自分も出世の道など棄てて、行方をくらましてしまいたいとまで、夢中になっておりました。――
ではまた。