永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1000)

2013年01月21日 | Weblog
2013. 1/21    1205

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その45

「東の勾欄に押しかかりて、夕かげになるままに、花のひもとく御前の叢を見渡し給ふ。もののみあはれなるに『中について腸たゆるは秋の天』といふことを、いと忍びやかに誦んじつつ居給へり。ありつる衣の音なひ、しるきけはひして、母屋の御障子より通りて、あなたに入るなり」
――夕日の翳ってゆく頃、大将は東の勾欄に寄りかかって、花のほころび初めるお庭先の草むらを眺め渡しておいでになります。しみじみともののあわれを覚えられて、「中に就いて腸(はらわた)断ゆるは秋の天」という白氏文集の句を、たいそう忍びやかに誦しておいでになります。
女房の衣ずれの音がはっきりして、母屋の御障子の所を通ってあちらの方へ入って行きます――

「宮の歩みおはして、『これよりあなたに参りつるは誰そ』と問ひ給へば、『かの御方の中将の君』と聞ゆなり。なほあやしのわざや、誰にかと、かりそめにもうち思ふ人に、やがてかくゆかしげなく聞こゆる名ざしよ、と、いとほしく、この宮には、皆目なれてのみ覚えたてまつるべかめるもくちをし」

――匂宮が歩いてお出でになって、「ここからあちらへ参ったのは誰か」とお問いに、「女一の宮付きの中将の君です」と申し上げる声がします。何という嗜みのないことだ、あの女は誰かとかりそめにも気に掛けている男に、すぐこう露骨に呼び名を教えるなんて、と、気の毒に思いますが、大体において、この匂宮には、御殿の女房が馴れ馴れしく打ち解けているのが妬ましい――

「おりたちてあながちなる御もてなしに、女はさもこそ負けたてまつらめ、わがさもくちをしう、この御ゆかいりには、ねたく心憂くのみあるかな、いかで、このわたりにも、めづらしからむ人の、例の心入れて、騒ぎ給はむを語らひ取りて、わが思ひしやうに、やすからずとだにも思はせたてまつらむ、まことに心ばせあらむ人は、わが方にぞ寄るべきや、されど難いものかな、人の心は、と思ふにつけて」
――(匂宮のように)無遠慮で無理やりなお振舞いに、女はそのように靡いてしまうのだろうか。自分は何と残念にも、匂宮の浮気にはいつも辛い目に合わされていることだ。何とかして、女房の中でもよいから、稀に見る美人で、匂宮が例のとおり熱を入れてお騒ぎになる女を手に入れて、自分がかつて苦しい目にあったように、あちらにも口惜しい思いを味わわせてあげたいものだ、実際思慮のある女なら、自分の方に靡く筈だ、しかしめったに無いものだ、そんな気持ちの女は、と、思いますにつけても――

「対の御方の、かの御ありさまをば、ふさはしからぬものに思ひきこえて、いとびんなきむつびになりゆく、おほかたのおぼえをば、苦しと思ひながら、なほさし放ちがたきものに思し知りたるぞ、ありがたくあはれなりける」
――対の御方(中の君)が、匂宮のお振舞いを不似合いなものにお思いして、おもしろからぬ御仲となっていき、世間の見る目にも心ぐるしいと思いながらも、なお、別れることは出来ないと諦めておいでになるのは、稀に見るお方とも、お可哀そうにとも思う――

「さやうなる心ばせある人、ここらの中にあらむや、入りたちて深く見ねば知らぬぞかし、寝覚めがちにつれづれなるを、すこしはすきもならはばや、など思ふに、今はなほつきなし」
――それほど思慮深い人が大勢の女房の中にいるかしら、自分は立ち入ってみないから分からないが、と、寝ざめがちの時をもてあましつつ、薫は、少しは浮気でもしてみたいものだと、とはお思いになりますものの、今はやはりふさわしくない、とお考えになるのでした――

では1/23に。

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