永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1235)

2013年03月31日 | Weblog
2013. 3/31    1235

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その27

「盤渉調をいとをかしく吹きて、『いづら。さらば』とのたまふ。女尼君、これもよき程のすきものにて、『昔聞き侍りしよりも、こよなく覚え侍るは。山風をのみ聞きなれにける耳からにや』とて、『いでや、これはひがごとになりて侍らむ』と言ひながら弾く。今様は、をさをさなべての人の、今は好まずなりゆくものなれば、なかなかめづらしくあはれに聞ゆ」
――(中将が)盤渉調(ばんしきちょう=十二律の一)をたいそう上手に吹いて、「さあ、お琴もどうぞ」とおっしゃる。娘の尼君は、この人もかなりの風流人で、「貴方のは、昔の音色より素晴らしく思われますこと。山風ばかり聞きなれた耳のせいでしょうか」と言って、「ところで私の琴は調子はずれになっておりましょう」といいながら弾きます。現代としては、近頃和琴を嗜なまなくなっていますので、かえって珍しく面白く聞こえるのでした――

「松風もいとよくもてはやす。吹き合わせたる笛の音に、月もかよひて澄める心地すれば、いよいよめでられて、宵惑ひもせず起き居たり」
――松をわたる風の音も、まことによく琴の音色を引き立てます。吹き添える笛の音に、月も心を合わせて澄み渡る心地がしますので、大尼君はますます興が乗って、眠気もささず起きています――

「『媼は、昔吾妻琴をこそは、こともなく弾き侍りしかど、今の世には、かはりにたるにやあらむ、この僧都の、<聞きにくし。念仏よりほかのあだわざなせそ>と、はしたなめられしかば、何かは、とて弾き侍らぬなり。さるは、いとよく鳴る琴も侍り』と言ひ続けて、いと弾かまほしと思ひたれば、」
――(大尼君は)「わたしのような年寄りも、昔は和琴をまずまず無難に弾いたものでしたが、当世では弾き方が変ってしまったものでしょうか。ここの僧都が、「聞きにくい。念仏以外の無益なことはなさるな」と戒められましたので、何の、それなら弾くものかと思って、弾かずにいるのです。でも実はまことによい音色の琴もあります」と大尼君は言いつづけて、ひどく弾きたげですので――

「いと忍びやかにうち笑ひて、『いとあやしきことをも制しきこえ給ひける僧都かな。極楽といふなる所には、菩薩なども皆かかることをして、天人なども舞ひ遊ぶこそ尊ふとかなれ。行ひまぎれ、罪得べきことかは。今宵聞き侍らばや』とすかせば、いとよし、と思ひて、『いで、主殿のくそ、吾妻とりて』といふにも、しはぶきは絶えず。」
――中将はそっと笑いを押し殺して、「妙な止め立てをなさる僧都ですね。極楽という所では、菩薩なども皆こうして音楽を奏し、天人なども舞い遊んでいるとか、それが大そう尊いと承っておりますが。勤行が妨げられる罪になどなりますものですか。今晩は是非うかがいたいものです」とおだてると、大尼君はとても満足げに、「さあ、主殿(とのもり)の君、吾妻琴を持っておいで」とはしゃぐ、その間も絶えず咳き込んでいます――

「人々は、見ぐるしと思へど、僧都をさへ、うらめしげにうれへて言ひ聞かすれば、いとほしくてまかせたり。取り寄せて、ただ今の笛の音をもたづねず、ただおのが心をやりて、吾妻の調べを爪さわやかに調ぶ」
――人々は見ぐるしいことと思いますが、僧都から咎められたことをさえ、恨めしく思って、中将に不満げに言いますので、気の毒がってそのままにさせておきました。和琴を引き寄せて、今中将の笛の音がどんな調子かもおかまいなく、ただ心のゆくままに、爪音さわやかに弾いているのでした――

◆主殿(とのもり)のくそ=侍女の呼び名。「主殿(とのもり)こそ=主殿の君」

では4/1に。

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