◆響の灘(ひびきのなだ)
響の灘とは播磨灘のうちで飾磨から高砂辺を指すのだろうか、どうして都の人は響の灘即ち播磨灘を恐れたのだろう、他所よりも恐ろしかったのだろうか。
瀬戸内海は島また島でいたる所で海賊が出没していたのは確。奈良・平安時代は西国への道中は駅制も完備している往還を利用して海路はあまり利用していなかった、都の者は西はせいぜい明石辺りまでしか知らないから瀬戸内海の物騒な話はすべて「響きの灘」で片付けたのではないかと思われる。
加古川市の尾上神社には国の重要文化財「尾上の鐘」朝鮮製がある。この鐘の聞こえる範囲の海を「響きの灘」と呼んでいたそうだ。参考:『高砂の尾上の鐘や響の灘』-滝野瓢水(1684~1762加古川市別府出身)より
響の灘とは播磨灘のうちで飾磨から高砂辺を指すのだろうか、どうして都の人は響の灘即ち播磨灘を恐れたのだろう、他所よりも恐ろしかったのだろうか。
瀬戸内海は島また島でいたる所で海賊が出没していたのは確。奈良・平安時代は西国への道中は駅制も完備している往還を利用して海路はあまり利用していなかった、都の者は西はせいぜい明石辺りまでしか知らないから瀬戸内海の物騒な話はすべて「響きの灘」で片付けたのではないかと思われる。
加古川市の尾上神社には国の重要文化財「尾上の鐘」朝鮮製がある。この鐘の聞こえる範囲の海を「響きの灘」と呼んでいたそうだ。参考:『高砂の尾上の鐘や響の灘』-滝野瓢水(1684~1762加古川市別府出身)より