紫野斎院跡(むらさきのさいいんあと)
紫野斎院は、弘仁元年(810)に創設され、建暦2年(1212)に廃絶します。その間約400年間に斎王は35人を数えました。伊勢の斎王が天皇の代替わりごとに交替するのに対し、賀茂の斎王は必ずしもそうではありませんでした。
紫野斎院は、応仁の乱後その所在を失いました。しかし角田文衞先生の研究により、上京区大宮通西、廬山寺通北に位置する社横町の一画(檪谷七野神社をふくむ50丈四方)と推定されました。
◆写真 賀茂斎院跡石碑
紫野斎院は、弘仁元年(810)に創設され、建暦2年(1212)に廃絶します。その間約400年間に斎王は35人を数えました。伊勢の斎王が天皇の代替わりごとに交替するのに対し、賀茂の斎王は必ずしもそうではありませんでした。
紫野斎院は、応仁の乱後その所在を失いました。しかし角田文衞先生の研究により、上京区大宮通西、廬山寺通北に位置する社横町の一画(檪谷七野神社をふくむ50丈四方)と推定されました。
◆写真 賀茂斎院跡石碑