永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(92)の3

2016年01月11日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (92)の3 2016.1.11

「湯屋に物など敷きたりければ、行きて臥しぬ。心地せんかたしらず苦しきままに、臥しまろびぞ泣かるる。夜になりて湯など物して、御堂にのぼる。身のあるやうを仏に申すにも、涙にむせぶばかりにて、言ひもやられず。夜うちふけて外の方を見出だしたれば、堂は高くて、下は谷と見えたり。」
◆◆湯屋に敷物などが敷いてあったので、そこへ行った横になりました。気分がどうしようもなく苦しいので、臥して身もだえしつつ涙にくれてしまいました。夜になって、湯を浴びて身を清め、御堂に登ります。わが身の上を仏様に訴え申し上げるにも、涙にむせぶばかりで、言葉もとぎれとぎれになってしまいました。真夜中になって外の方を眺めますと、この御堂は高いところにあって、下は谷になっているように見えました。◆◆



「片岸に木ども生ひ凝りて、いと木暗がりたる、廿日の月夜ふけていと明かかりけれど、木かげに漏りて、ところどころに来しかたぞ見えわたりたる。見おろしたれば麓にある泉は鏡のごと見えたり。高欄におしかかりて、とばかりまもりゐたれば、片岸に草のなかにそよそよ白みたるもの、あやしき声するを、『こはなにぞ』と問ひたれば、『鹿のいふなり』と言ふ。などか例の声には鳴かざらんと思ふほどに、さしはなれたる谷の方より、いとうらわかき声にはるかにながめ鳴きたり。」
◆◆片方の崖になっているところには、木々が生い茂っていて大層暗くなっています。廿日の月が夜ふけに明るいので、ところどころ木蔭から洩れて、上ってきた方が見渡せました。見下ろすと、麓にある池は鏡のように見えました。高欄に寄りかかりながら、しばらく見すえていますと、片側の崖の草の中で、かさこそと白っぽい物が耳慣れぬ声を出してします。「あれは何?」と聞くと、「鹿が鳴いているのでしょう」と言う。どうしていつも聞きなれている声で鳴かないのかと思っていると、かなり離れた谷の方で、とても若々しい声で遠く余韻のある鳴き声が聞こえてきました。◆◆



「聞く心地そらなりといへばおろかなり。おもひ入りて行ふ心地、ものおぼえでなほあれば、見やりなる山のあなたばかりに、田守の物追ひたる声、いふかひなくなさけなげにうち呼ばひたり。かうしもとり集めて肝を砕くことおほからむと思ふぞ、はてはあきれてぞゐたる。さて後夜おこなひつれば下りぬ。身弱ければ湯屋にあり。」
◆◆そういうことを耳にする心地と言ったら、心もうわの空になるどころではない。一心に勤行をしている中で、ふとぼんやりしてしまって、なおもそのままでいると、遠方に見える山のあちらで田の番人の獣や鳥などを追い払う何とも無粋な声がひびいてきます。あれやらこれやらに胸をしめつけるようなことが多いのだろうと、終いには途方にくれてぼおっとしてしまっていたのでした。さて、後夜の勤行が終わったので、御堂から下りました。体が疲れきったので湯屋で休みました。◆◆


■湯屋(ゆや・斎屋とも)=参籠者の斎戒沐浴のため、あるいは控えの間として設けられた、寺社の一隅の建物。

■片岸(かたぎし)=片一方が崖になっているところ。

■後夜(ごや)=六時。夜半から朝までの間。勤行としては、最朝、日中、日没、初夜(そや)、中夜、後夜。

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