日本人が「幸福」の字を用い出したのは、どうも江戸時代からのようです。そしてこの作家ならまず記したであろう、と勝手に狙いをつけたのが井原西鶴(1642~1693)でした。
長者についての致富譚『日本永代蔵』(副題:大福新長者教 貞享5年1688)と、『世間胸算用』(元禄5年1692)です。
富豪である長者・分限者の話に語「幸福」が出るのではないか? そう思って両書を読むのではなく、字探しをやってみました。結論は残念ながら、見つかりませんでした。
「仕合」(しあはせ)、「幸ひ」(さいはひ)はいっぱい出て来ます。しかし字「幸福」は、どこにも見えません。西鶴の活躍した元禄期は、その後に出現する幸福の前夜のようです。
西鶴の用例をいくつか紹介しますが、参考図書は古典文学全集(岩波・小学館・新潮)と、西鶴全集(中公)など。本によって解釈が異なるときは、両方の説を併記しています。また引用原文中(かな)は、原文の「振りかな」です。
なお参考書の注や現代語訳を整理しますと、「しあはせ」と「さいはひ」の意味は、ざっと以下の通りになりそうです。
<しあはせ>仕合<しあわせ>
運・好運・福・家運・運命・収入・儲け・財産。
次第。人の運。運の良い。縁起の良い。ものごとの巡り合わせ。成り行き良く成功する。
生まれつき与えられた好運。天然自然の好運。神仏の加護による運。自分ではどうしようもない成り行きの人生。才覚と運の合体した好運。天性の好運。
知恵と才覚が合わさった結果、都合よくことが運ぶ。自分の知恵才覚で、富裕になって家を栄えさせること。
<さいはひ>幸ひ・幸・<さいわい>
好都合なことに。これさいわい。ちょうどよいこと。霊験。
※神社仏閣の縁日やまつり、正月行事には語「幸ひ」が用いられることが多いように思います。
「初午(はつむま)は乘(のつ)て來(く)る仕合(しあはせ)」<永代蔵巻1目録>
2月の初午の会日、泉州の水間寺観音に参詣すると運が向いてくる。好運がやって来る。
「世(よ)は欲(よく)の入札(いれふだ)に仕合(しあはせ)」<永代蔵巻1目録>
宝くじ・富くじで得た利益で家運を挽回した話し。仕合せは好運。
「かりし人自然(しぜん)の(さいはい)有けると」<永代蔵巻1 初午は乗て来る仕合>
有る男が水間寺から借りた大金を、すこしずつたくさんの人に又貸ししたところ、観音の力の込められたお金なので、きっとその霊験があるとみな信じてそのように話しあった。自然と好運に恵まれる。
「思ひよらざる仕合(しあはせ)は是ぞかし」<永代蔵巻1 二代目に破る扇の風>
予想外に金貨を得て。
「奉公(ほうこう)は主取(しゅとり」が第一の仕合(しあはせ)なり」<永代蔵巻1 浪風静に神通丸>
奉公先は、主人の選び方で奉公人の運が決まる。
「是非(ぜひ)もなき仕合(しあはせ)」<永代蔵巻2 才覚を笠に着る大>
致し方のないなりゆき。ぜひもない次第。
「參詣(さんけい)の人買(かふ)ての幸(さいはひ)と一日に利(り)を得て」<永代蔵巻2 才覚を笠に着る大黒>
参詣のひとたちがこれ幸いと買い求めた。「諸商人買(かう)ての幸ひ賣(うつ)ての仕合(しあはせ)」は、縁起を祝う商人の商い口、口上。ことわざ。<胸算用巻頭序>
元日の朝、若えびす売りが来ると、諸商人が「買うての幸い、売っての幸せ」の諺通り、縁起を求めて買い求めた。
「每年仕合男(まいねんしあはせをとこ)とて」<永代蔵巻2 天狗は家な風車>
福男。ここでは漁師の話しなので、毎年漁獲高が多くて縁起・運のよい男。
「仕合(しあはせ)のよい時津風(ときつかぜ)真艫(まとも)に舟(ふね)を乗(のり)ける」<永代蔵巻2 天狗は家な風車>
好運にも、順風を船尾(真艫)から真直ぐにうけるごとく、船に縁のある家業が順調に発展した。
「仕合の有時」<永代蔵巻2 舟人馬かた鐙屋の庭>
収入のよい時。儲けがあった時。やり方がひとと違って上手なので、それが基になって成功した。
「分限(ふけん)は、才覺(さいかく)に仕合手傳(てつだは)では成(なり)がたし」<永代蔵巻3 高野山借銭塚の施主>
分限者になるには、知恵・才覚とともに運、好運(仕合)が働かねばなりにくい。
「仕合(しあはせ)の種を蒔錢(まきせん)」<永代蔵巻4 目録>
神に賽銭をあげることが、わが身の幸せのもととなる。「種を蒔く」にかけている。
「海上(かいしやう)の不仕合(ふしあはせ)一年(ひととせ)に三度(ど)迄の大風(かぜ)」<永代蔵巻4 心を畳込古筆屏風>
海での不運続きで、一年に三度も大風にあって船の積み貨を失った。
「日每(ひこと)の仕合(しあはせ)程なく元手(もとで)出來(てか)して」<永代蔵巻4 茶の十も一度に皆>
日ごとに儲かり、ほどなく元手をこしらえて。
「思ひの外(ほか)の仕合(しあはせ)」<永代蔵巻4 茶の十も一度に皆>
思いもしない好運。
「水車(みつくるま)は仕合(しあはせ)を待(まつ)やら」<永代蔵巻5 目録>
昼夜休みなく働く水車は、好運を待つ象徴のようなもの。「淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると」の小唄のもじり。
「四五年は仕合のかさなりけるに」<永代蔵巻5 世渡りには淀鯉のはたらき>
四、五年間は儲けが続いたが。
「惣領(そうれう)に幸(さいはひ)の嫁(よめ)ありて」<永代蔵巻6 銀のなる木は門口の柊>
幸いは「好都合」。長男に良縁があって。
「此たび賣(うる)に仕合(しあはせ)と」<永代蔵巻6 銀のなる木は門口の柊>
このたび、売ればいい値段になる。
「自然(しぜん)の仕合(しあはせ)見えしは」<永代蔵巻6 身躰かたまる淀川のうるし>
生まれつき身に備わった好運があるということがわかったのは。自然と好運が向いてきたのは。
「これらは才覺(さいかく)の分限にはあらずてんせいの仕合(しあはせ)なり」<永代蔵巻6 身躰かたまる淀川のうるし>
天性、天の与えた好運。これなどは才覚でなった分限とは言えず、天然自然の好運にめぐりあわせただけだ。
「商賣(しやうばい)に仕合あつて」<永代蔵巻6 智惠をはかる八十八の升掻>
商売がうまく行って。
「幸(さいわ)ひこれに碓(からうす)有とて」<胸算用巻1 長刀はむかしの鞘>
ちょうどいいことに踏み臼(台臼)があった。
「人の分限(ぶげん)になる事仕合といふは言葉(ことば)まことは面(めん)々の智惠才覺(さいかく)を以てかせぎ出し其家榮(さか)ゆる事ぞかし」<胸算用巻2 銀壱匁の講中>
富裕になるとは、仕合せという言葉は各自が智恵才覚でその家が栄えることである。人が金持ちになることは好運によるというのは、言葉だけのことで、本当は各人が知恵才覚で稼ぎ出し、その家が栄えることである。西鶴のこれまでの主張と矛盾する。
「心よきお客(きやく)の御出來年中の仕合はしれた事」<胸算用巻2 訛言も只はきかぬ宿>
年の暮れに、気前のよいお客がおいでになって、来年中の好運はこれでわかりました。
「米は追付(おつつけ)のぼると仕合」<胸算用巻3 年の内の餅ばなは詠め>
米はまもなく回送されて来て、儲かるのだ。
「其上(うへ)の此仕合そなはりし人(ふくじん)」<胸算用巻4 闇の夜のわる口>
まだその上にこれだけの財産があるのは、それに備わった、生まれついての福人・福徳長者だ。
「此男なれ共ときの運(うん)きたらず仕合がてつだはねば是非なし」<胸算用巻4 長崎の餅柱>
この男こそ分限者・金持ちにならねばならぬはずだが、天の好運という仕合せが手伝わないのだから、そうなれないのは仕方がない。
「不仕合(ふしあはせ)いふを聞もあへず」<胸算用巻5 平太郎殿>
都合よく事が運ばなかったことを弁解する。うまくゆかなかったと弁解を最後まで聞かず。
<2012年9月22日 南浦邦仁>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます