明けましておめでとうございます。新春初詣は、はじめて出雲大神宮に行ってきました。といっても島根県の出雲大社ではありません。京都市の隣市、亀岡の出雲大神宮、旧称は出雲神社です。
常識として丹波のこの宮は、島根県杵築の出雲大社の末社と思うのがふつうです。ところがどうもそうではない。この古社は丹波国の一之宮で、丹波国風土記には
「元明天皇和銅年中(708~715)、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり」
この記述では、亀岡の出雲神社から島根杵築の出雲大社に、大国主命が勧請されたことになります。神社の通称「元出雲」の由来もそこにあると言います。
何とも不思議なので、岩波日本古典文学大系『風土記』を見たのですが、なぜかこの文も丹波国風土記逸文も見あたりません。
ところがこの記述は、ネットではあちらこちらに出てきます。ご存じの方がありましたらご教示いただきたいのですが、胸に雑煮の餅がつかえたような気分です。どうも出雲大神宮にのみ伝わる社伝のように思います。
『徒然草』に丹波出雲神社の話しが出て来ます。神社拝殿前の一対の狛犬が、向かい合わせでなく、背中合わせになっている。よほど深いいわれがあるのだろうと出雲神社の神官に聞いてみた。すると「子どものいたずらですよ」と言って、神官はコマ犬を置きかえて去って行った。
いたずら坊主の笑い声が聞こえそうなエピソードですが、このコマ犬は石ではなく木製です。石造ではおとなでも動かせません。それにしても愉快です。
ところで同社では毎年1月15日に、粥占い(かゆうらない)の神事が古くから行なわれています。今年は火曜日ですが朝7時から。これにも行きたくなりました。出雲大神宮のサイトから粥占を引用します。
小正月の1月15日には粥占祭(よねうらさい)が斎行されます。この神事は古くから当宮に伝わっており、夜前、宮司による火入れ神事(浄火)が行われたあと、秘伝の方法により神饌所で小豆を混ぜた粥を炊き上げます。
用意した3本の竹筒には、それぞれに一、二、三と刻み込みます。一は早生(わせ)、二は中生(なかて)、三は晩生(おくて)を意味しており、その中に入っている米と小豆の量で一年の稲の収穫豊凶を占います。筒中の小豆が少なく、米がたくさん詰まっている程、収穫が期待されると伝えられています。
午前7時になると本殿で祭典が行われ、炊き上がった粥と共に御神前にお供えされた後、宮司の粥占が行われ、広く一般に拝観させられます。
豊作か不作か、その判断は各人に委ねられていますが、昔から”当たる”と評判で、農業が盛んに行われていた戦前までは、丹波一円から多くの参拝者が訪れていました。
また炊き上げた粥を椿の葉で包み、御神札と共に竹筒に挟みます。これは豊作の御守で、田畑にさしておけば、虫除けになり、多くの稲が収穫されると信じられています。
<2013年1月2日>
常識として丹波のこの宮は、島根県杵築の出雲大社の末社と思うのがふつうです。ところがどうもそうではない。この古社は丹波国の一之宮で、丹波国風土記には
「元明天皇和銅年中(708~715)、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり」
この記述では、亀岡の出雲神社から島根杵築の出雲大社に、大国主命が勧請されたことになります。神社の通称「元出雲」の由来もそこにあると言います。
何とも不思議なので、岩波日本古典文学大系『風土記』を見たのですが、なぜかこの文も丹波国風土記逸文も見あたりません。
ところがこの記述は、ネットではあちらこちらに出てきます。ご存じの方がありましたらご教示いただきたいのですが、胸に雑煮の餅がつかえたような気分です。どうも出雲大神宮にのみ伝わる社伝のように思います。
『徒然草』に丹波出雲神社の話しが出て来ます。神社拝殿前の一対の狛犬が、向かい合わせでなく、背中合わせになっている。よほど深いいわれがあるのだろうと出雲神社の神官に聞いてみた。すると「子どものいたずらですよ」と言って、神官はコマ犬を置きかえて去って行った。
いたずら坊主の笑い声が聞こえそうなエピソードですが、このコマ犬は石ではなく木製です。石造ではおとなでも動かせません。それにしても愉快です。
ところで同社では毎年1月15日に、粥占い(かゆうらない)の神事が古くから行なわれています。今年は火曜日ですが朝7時から。これにも行きたくなりました。出雲大神宮のサイトから粥占を引用します。
小正月の1月15日には粥占祭(よねうらさい)が斎行されます。この神事は古くから当宮に伝わっており、夜前、宮司による火入れ神事(浄火)が行われたあと、秘伝の方法により神饌所で小豆を混ぜた粥を炊き上げます。
用意した3本の竹筒には、それぞれに一、二、三と刻み込みます。一は早生(わせ)、二は中生(なかて)、三は晩生(おくて)を意味しており、その中に入っている米と小豆の量で一年の稲の収穫豊凶を占います。筒中の小豆が少なく、米がたくさん詰まっている程、収穫が期待されると伝えられています。
午前7時になると本殿で祭典が行われ、炊き上がった粥と共に御神前にお供えされた後、宮司の粥占が行われ、広く一般に拝観させられます。
豊作か不作か、その判断は各人に委ねられていますが、昔から”当たる”と評判で、農業が盛んに行われていた戦前までは、丹波一円から多くの参拝者が訪れていました。
また炊き上げた粥を椿の葉で包み、御神札と共に竹筒に挟みます。これは豊作の御守で、田畑にさしておけば、虫除けになり、多くの稲が収穫されると信じられています。
<2013年1月2日>
近ごろ新刊本を読むことが減ってしまいましたが、やっぱり歳でしょうかね(w
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず*」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり
まあ、仕事柄1年の大半が社寺通いですから、正月くらいは家にいて古典なんぞをゆっくり読みなおしたいものです。