中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

宝泉寺2

2008-10-09 23:06:38 | 雑記
 「たましひを 育みますと そびえ立つ 蔵王の山の 朝雪げむり」

 山形Qの上山宝泉寺での演奏会まで、あと二週間程です。前にも書いたようにこのお寺は、斎藤茂吉の生家の隣で菩提寺でもあります。例によって、あまり無知のままおじゃまするのも気がひけるので、斎藤茂吉と宝泉寺について少しだけ調べてみることにします。

 宝泉寺は山形が誇る遊園地「リナワールド」の近くにあります。この辺りは蔵王のふもとと言ってもいい場所なので、冒頭の歌のように朝起きたら朝日の輝く蔵王連峰を見上げたのでしょう。人々は蔵王を「お東」と呼び手を合わせ、夕方には「お西」と呼ぶ出羽三山に手を合わせたようです。

 茂吉の生家のある金瓶の近くを流れる「酢川」は、蔵王の温泉が源泉であるために、魚の住まない川だそうです。

 「秋づけば はらみてあゆむ けだものも 酸のみづなれば 舌触りかねつ」

 宝泉寺には寺子屋があって、それが金瓶小学校になり、茂吉はそこに入学しました。明治20年の事です。学校が隣とは恵まれてる感じがしますね。

 余談ですが僕が通った目黒区立第八中学校は、家の隣でした。ありがちな話ですが、よく遅刻しました。そんなもんですよね。しかも校内放送で職員室に呼び出されると、自動的に親にもばれます。あらゆる物事には、良い面と悪い面とがあるという事を学びました。

 それはさておき、茂吉の小学校は合併により三年生の時に無くなります。それからは半郷小学校といいますから、大分はなれた所になってしまったわけです。

 彼の随筆には真冬の登校の大変さが描かれています。朝、まだ馬も通っていなくて、道もできていない雪の中を長距離歩いて学校に通うつらさです。雪は前の晩に降った分だけでも膝くらいまであり、学校につくまで泣き止まない子供もいたと書かれています。

 それに比べると上山の辺りもずいぶん、雪が少なくなりました。やはり温暖化のせいでしょうかね。という事で続きはまた…。

 (写真の茂吉は右側、12歳頃と書かれていますが、時代のせいでしょうか、しっかりしているようでもあり、幼いようでもありますね)

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